2007年11月30日

大学に神社・神道研究会

 東京大学に神社・神道研究会 が本年初頭に発足していたようです。今後の活躍が期待できそうです。地元の大学や学校でも研究会やクラブができてくれれば、と期待します。

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2007年11月26日

八上郡の古代史確立を!

 本日の日本海新聞に新誠氏のインタビュー記事が掲載されていました。(毎度、もどかしいのは記事内容のご紹介ができないことです。)
 八上郡の古代史確立を! を記事の見出しとして、サブタイトルには「赤染氏の娘が八上姫」とあります。
 新さんはずっと赤染氏をはじめとする因幡の古代豪族の活躍と、その後の動向を追求していました。記事によればその一つのまとめが大体完成してきたようです。
 記事の冒頭にも述べられていますが、本当に古代の八上の歴史に熱い眼差しが注がれるようになってきました。これほど連続して、八上の歴史が地元新聞に掲載されるようなことはかつてなかったことと思われます。
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2007年11月20日

国境の守護神=八上姫と因幡のシロウサギ

 先日の石破教授の講演でも特に強調されていたことですが、神話に登場するイナバノシロウサギと八上姫は同体と考えられます。
 興味深いことに気がつきました。
 因幡の国境の要所には八上姫、もしくは白兎が祀られています。(すべての場所にとはいえませんが。)かつての伯耆国との国境付近には塩津神社があります。ここには八上姫を祀っています。石破教授が主張する古事記神話の舞台とされる長尾鼻の西側、青谷町青谷にあります。波兎の彫刻の施された摂社のある吉瀧神社もおそらく一山越せば伯耆国になるような位置関係だと思います。
 岩美町の御湯神社も但馬との境の蒲生(がもう)峠に比較的近いところにあります。ここには大己貴命と八上姫、そして御井の神が祀られています。伊勢祭神とも関連を持つといわれるこの社には何か深いものがありそうです。
 そして、扇の山の国境付近、須賀の山と関連する酒賀神社には八上姫が祀られています。
 氷ノ越えの国境にはかつて素兎を祭る因幡堂がありました。
 因幡の一宮クラスの稲葉神社、二ノ宮といわれる大江神社にも八上姫は祀られています。因幡一ノ宮である宇倍神社は八上姫との関連もいわれている社です。
 日本武尊と景行天皇の賊退治伝承に基づく都波只知上神社にも、付近にあった八上姫を祀る石坪神社を合祀しています。
 そして、もっとも有名な鳥取市河原町の賣沼神社、ここは国境付近ではありませんが、前にも述べたとおり、八上の中心部を守る上で重要な位置にあります。かつては梁瀬山の中腹にあったとされるその位置からしても国を守る役目を持っていた社であるといえるのではないでしょうか。
 天照大神をご案内した八上の白兎も姿を現したのは三本松の郡境付近です。
 このように国や郡の境に、祀られる神社や伝承が残っていることに大きな意味があるといえるでしょう。
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2007年11月18日

講演会大盛況!

 「イナバノシロウサギと八上姫」と題する石破洋元島根県立女子短期大学教授の講演会は、昨年に引き続き、大盛況でした。悪天候の中、郡家公民館の大集会室は2Fギャラリーもほぼ満席で160名を越える参加者が集まりました。不思議なことに前回も今回もその会場の収容規模にぴたりと合うぐらいの方が来られました。
 今回、書籍販売を会場外で担当したため、肝心の講演を十分に聞くことができず内容がご紹介できません。ザンネーン!
 しかし、イナバノシロウサギへの町内(外)の方々、ならびに、町役場、町議会の関心は昨年の講演会のときよりはるかに深まってきており、今後の展開が非常に楽しみとなってきました。これから八頭町全体でイナバノシロウサギをクローズアップしたものがどんどん登場してくることでしょう。既に八頭町宮谷のエネオス給油所林石油店の事務所内では、因幡の各所に現存する波ウサギの写真が展示されています。
 八頭町のあちこちで、ウサギ関連のグッズやお守り、お菓子などもどんどん登場するかもしれません。

 書籍も筆者の予想以上に購入される方が多かったのも驚きでした。もし、1年以内に完売になるようならば、増補版、または2冊目を計画しています。
 しかし、惜しむらくは石破教授の『イナバノシロウサギの総合研究』が現在絶版で、入手不可能になっていることです。せっかく地元での関心も盛り上がってきているのにもかかわらず、その貴重な研究成果の全てにじかに触れられないのは残念です。
 八頭町内の図書館でも、蔵書は郡家図書館に1冊あるのみですが、鳥取市の鳥取県立図書館にはかなりの数の蔵書があるようです。しばらくは図書館の本をしっかり活用するしかないようです。

posted by yakamihakuto at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月14日

石破教授講演会迫る!

 イナバノシロウサギ伝説の源流は八頭町にあった!
 この結論に至った理由を分かりやすく、面白くお話しされます。

 イナバノシロウサギの神話に迫る
    古代ロマンの謎を追う
     講演会開催!
 
 11月18日(日)午後1時半より 石破洋元島根県立女子短期大学教授の講演会が催されます。
主催は八頭町観光協会・八頭町役場産業課です。
 演題は「イナバノシロウサギと八上姫」です。

場所は八頭町宮谷の郡家公民館大集会室です。
  
 詳しくは八頭町役場産業課へ 0858−76−0208 
 

 書籍出版の関係で、重複するブログ記事を大幅に削除していましたが、このたび復活させました。過去の記事Archivesもまたご参照ください。貴重なカラー写真もたくさんあります。
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2007年11月13日

神話の不思議と因幡の歴史

 本日11月13日の日本海新聞に「波うさぎ 神話の不思議と因幡の歴史」と題する渡辺一正鳥取環境大学教授の小論記事が掲載されました。この記事では、「八頭町の船岡には集中的に波兎が見られる。八頭町の土師一族の地域には多くの白兎神社がある事から、兎は土師氏の神のようである」と指摘しています。さらに「波うさぎは全国的に大ヒットした図柄であるが、そのオリジンが八頭町にある」とも論じられており、驚きです。波と兎の組み合わせは、謡曲「竹生島(ちくぶしま)」の節、月海上に浮かんでは兎も波を走るか 面白の浦の気色や・・・が起源で、これが江戸時代に流行したそうです。琵琶湖の竹生島といえば、市杵島姫命が祭神であり、池田の白兎神社とも間接的にですが、関連があることになります。
 元の社殿(現青龍寺本堂内陣厨子)に施された波うさぎをモチーフに地元の方によって彫られた福本白兎神社の波うさぎも写真で大きく紹介されています。 次第に明らかになりつつある八上と兎神の関係、八上から目が離せません。
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2007年11月11日

デスクのぶろぐ

 検索ですごいブログを見つけました。日本海新聞記者によるブログです。(先週日曜日の日本海新聞1面のコラム鳥取百景にも天照大神降臨伝承の伝わる霊石山が紹介されていました。)
 ここには、記者のニュースに対する雑感などが記されていますが、最近脚光を浴びつつある八上の古代史にも照準を合わせて、八上郡衙跡や土師百井廃寺、霊石山、国中平野などについてのコメントもなされています。(ちなみに本年発掘された群馬の天良七堂遺跡=新田郡衙跡は全国最大といわれ、地元での盛り上がりぶりは、八上とは比較になりません。八上郡衙もその規模や概要をちゃんと公表しないと、他の発掘調査も困るのではないでしょうか。)
 猫山にも着目されています。地元郷土史家の三木薫氏も自著で紹介されていましたが、実に富士山のような形をした美しい山です。この山には、後醍醐天皇に託宣を下した神霊が宿っているといえそうです。
 猫山に関連する社寺は、現防衛大臣石破茂氏の出身地である八頭町郡家殿の和多理神社、西御門の仁王堂=伝後醍醐天皇内親王墓所、上野の野々宮神社、下濃の野々宮神社、宮谷の賀茂神社があります。(位置関係からの筆者の推定です。)ネコを、猫ととらえると意味がわからなくなりますが、第7代〜9代天皇の名前にネコが使われていることと関係があるのではないでしょうか。7代孝霊天皇は伯耆国へ行宮された形跡があり、また、八上に孝霊天皇を遠祖に持つ家系があることから、可能性があるかもしれません。また、福本の白兎神社に叙位、叙勲なされたときの天皇が仁明天皇で和風諡号は「日本根子天璽豊聡慧尊」(やまとねこあまつみしるしとよさとのみこと)です。和風諡号(しごう・おくりな)を奉贈された最後の天皇だそうです。
 国中とは、石破洋教授の調査によれば、この八上と、新潟の佐渡島、そして、奈良市にあるそうですが、こうしてみると、全国どこにでもある地名ではなさそうです。念のためネット検索してみましたが、そのほかにはせいぜい、福岡、山梨、越前(福井)にその地名が残り、国中神社が京都府と大阪府、福井県に各一社ずつあるのみのようです。
 奈良は言わずもがな、佐渡は、隠岐と並んで、皇室関係者が流刑された地であり、そして、このブログでも紹介してきたように八上も皇室と関連の深い所です。
 八上はその意味では、かつては重要な祭政の場所であったのかもしれません。国中といい、国英(くにふさ)といい、実は中央を志向する名称です。八上の特色は、ほかの地方との対比によって、初めて浮かび上がります。
 そのような対比がなされなかったがゆえに、たとえばつい最近まで、八上郡衙が日本一クラスの規模を持つものであることや、天照大神伝承が伝わる地は全国的に見て極めてまれであることなどに、たいした注目が向けられなかったのであると思われます。
posted by yakamihakuto at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月09日

吉瀧神社波ウサギ

 本殿ではなく、境内摂社の社殿の裏側に施された波ウサギです。少し食べ過ぎのせいか、太りぎみです。こうして様々な波ウサギをみてきましたが、本当にその姿は多様で個性的です。

吉瀧神社波ウサギ
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2007年11月07日

再び大江神社

 大江神社は鳥取県神社庁発行の鳥取県神社誌にはすべての祭神名が記されています。
 そして、由緒の説明には「延喜式所載の神社なり、また正一権現或いは財原大明神とも称す、文徳実録巻三仁寿元年の条に「冬十月戌申因幡国大江(中略)従五位下を授かる」と見え、因幡誌には「大江神社 大江郷財原村(坂田村)財原大明神是なり三座中殿大己貴命、天穂日命、三穂津姫命摂社三十余神 郷中の大社たるを以って大江神社と称す」と記せり、往古国司正四位下因幡国大江氏雄当社を再建す、その後大江広元氏神として崇敬せり、後二条天皇嘉元三年十二月八日本殿相殿二神境内末社五十二神拝殿、神楽殿、神輿宝庫を建立せり 当時の棟札現存し其の文に「嘉元三季乙巳十二月八日大勧進地頭平宗康大宮司藤原吉政」と記載せり、次いで因幡民談記に、寛文年中記録に其の社柱の彫刻に貞治七年再興云々の記事あり、元禄年間大江神社と復称し、享保年間本殿、拝殿、神楽殿を改築す、降りて明治元年境内末社三十五社 祭神五十二柱を合祀し、同五年三月郷社に列せられ...」そして大正五年村中の計十五柱の神々を合祀したことが記されています。これを見ると以前記した大江神社に祀られている八上姫は、もとよりこの大江神社境内の摂社に祀られていたことが分かります。それにしても、かつての大江神社の境内には、数多くの神殿があったのです。丹後の大江町の元伊勢や出雲大社のように、多くの摂社を擁していたようです。これほど多くの摂社をもつ神社はそれほど多くはありません。
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2007年11月06日

郡家選果場の波ウサギ

国道29号線沿い、地元名産の二十世紀梨などの出荷をしている郡家町堀越(門尾?)の郡家選果場では、いつ頃からかはわかりませんが、このように波ウサギがさりげなく使われています。勢いよく波の上をジャンプしています。
 上の波ウサギは、選果場の建物の壁にペンキで描かれたもので、ペンキの具合からおそらくこの建物が建てられた70年代頃のものと思われます。多産、豊穣、防火の意味を持たせて掲げられたのであろうと思われます。昨年の石破教授の講演でも紹介されたものですが、石破教授が、選果場の方にそのいきさつを尋ねると、「つい、(ただ無意識に)描いた。」そうです。下の横断幕にデザインされたものは比較的新しそうです。内陸の八上の里のこのような場所にも波ウサギが描かれています。

郡家選果場の波兎


















郡家選果場波兎2
posted by yakamihakuto at 09:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 波ウサギ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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