2008年05月31日

ケルトと日本

 小泉八雲はギリシア人の母とアイルランド人の父の間に生まれました。ギリシアといえば、ヨーロッパの学問のルーツといってもよいと思われます。
 一方、アイルランドはヨーロッパ文化の基底をなすものであるように思えます。
 アイルランドはかつてヨーロッパ全体で活躍したケルト人が追いやられたところです。地球は丸いので、東の果てであるアジア、そのさらに東は、結局西洋の地になるのですが、その最西端に位置すつと言えるのがアイルランドなのです。このアイルランドと日本は、どちらも島国ですが、いくつか、共通性があるように思えます。
 最近、知ったことですが、日本には昔から家紋があります。
 筆者の家紋は丸に蔓柏(つるかしわ)です。柏紋は、古くは神職の家紋として採用されてきたものだそうです。神前に捧げる御餞(みけ)を盛る器として柏の葉が用いられたことに由来するらしいのです。この家紋を持つ家系は神職か、若しくは、熱心な氏子の家系だそうです。もちろん、一昔前までは日本社会では神社の存在を重要視しており、それに携わる人も多かったことから、ある意味ではありふれた家紋であるのかもしれません。
 この柏紋の変形版にはなんと偶然にもケルトの装飾と全く共通するものがあるのです。三つ柏は西宮の西宮神社や甑岩神社など、恵美須神を祭る社の社紋でもあります。
 セントパトリックによって改宗される前のケルト社会ではドゥルイド(ドルイド)教に代表される多神教的な世界観が主流でした。その点でも、日本と共通することがあると思われます。
 

posted by yakamihakuto at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月20日

御湯神社の波兎

昨日昼過ぎにまた新たな兎発見情報が舞い込んできました。とてもわくわくします。郷土史研究家の新誠(あたらしまこと)さんのお知り合いである御湯神社の宮司さんから新さんに連絡があって分かったものです。
 旧道のところに神社の灯篭があり、そこに波兎の彫り物が発見されました。御湯神社は昨年9月に紹介したように、大己貴命、八上姫、御井の神をそろって祭る非常に珍しい神社です。これで、白兎神もそろったわけですから、非常に価値があります。神社の装飾の一つ一つには大きな意味がこめられているはずです。
 この神社へは筆者は一度きり、昨年、雨の中で参拝しただけですが、厳かな感じを受けました。ほぼ同一地点に古代の廃寺があったわけですから、当然、風水上も最良の地といえるでしょう。場所が重なっているという点では、土師百井のもと白兎神社と土師百井廃寺=慈住寺との関係と似ています。
 まだまだ兎は隠れているかもしれません。残らず見つけ出したいものです。
写真提供:新誠氏

御湯神社 波兎
posted by yakamihakuto at 16:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 波ウサギ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月09日

賀茂神社祭神と堤

 八頭町宮谷には創建年不詳の賀茂神社があります。白兎神社と東西ライン上の位置にある賀茂神社ですが、以前は、上賀茂社と下賀茂社に分かれていたそうです。
 主祭神は瓊瓊杵命と木花咲耶姫命の夫婦神 彦火火出見命と豊玉姫命の夫婦神 別雷神です。
 合祀神は、素兎神、須佐之男尊 天児屋根尊 
天穂日尊 猿田彦尊 ミズハノメ尊 倉稲魂尊 誉田別尊 市杵島姫尊 です。
 筆者はこのゴールデンウィークを利用して、この上賀茂社跡へ行こうとしたのですが、その場所はついぞわかりませんでした。次回はよく場所を調べていくつもりです。賀茂神社の由緒書きには、旧社地の写真が紹介されています。そこは平安時代、末法思想の流行したときに埋められた経筒が掘り出された京ヶ塚という地名がついています。
 結局、麓から約30分かけて山の頂上まで登りつめて、私都や大御門方面、霊石山を眺望したあと、南へ尾根伝いに下り、堤の所へ下りてきました。宮谷には大きな堤が5つあります。そのうちの一つには土手に燈篭があります。
 賀茂神社の主祭神は瓊瓊杵命(ニニキノミコト)ですが、どうやらこの5つの堤と祭神とは密接な関連があるようです。 
 ホツマによれば、瓊瓊杵命(ニニキネノミコト)は人々の生活を豊かにするため、特に稲作を発展させるために、全国を回られて各地で農耕の指導をして、特に水利の不便な村々には、井堰や堤を造られて水不足解消に大きな貢献をされたそうです。ホツマにはその瓊瓊杵命の行幸ルートも紹介されており、文面にも、はっきりとヤマカゲ(山陰)を行幸されたことが記されているのです。山陰の地名が相当古いものであることもわかってきます。堤の土手に立つ燈篭は祭神への畏敬・感謝の気持ちを表しているように思えます。
 筆者は宮谷のこの堤すべて、またはそのうちの一つは、おそらく瓊瓊杵命がここへおいでになったときに造られたものであると思います。高田さんや、井関さんという苗字の方も八上にはおられますので、ご先祖をたどると、案外この新田開発をされた瓊瓊杵命と縁があるのではないでしょうか。宮谷の一番南にある堤の隣には前方後円墳があり、遠くからもその後円部の形がよくわかります。墳丘の一部は地元名産の二十世紀梨の果樹園となっています。
 こんなことを主張する人は今まで誰もいなかっただろうと思いますが。記紀ではこのようなことは全くうかがい知る事ができません。やはりホツマによって、様々な結びつきが判明してきます。
宮谷 堤















燈篭の後方にある山が霊石山=中山で、天照大神が八上の白兎と遭遇した辺りです。

堤 灯篭
posted by yakamihakuto at 23:41| Comment(4) | TrackBack(0) | 郡家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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