2008年07月30日

松原 丹比の天照大神伝承

  大阪府松原市の丹比というところにも天照大神の伝承があるようです。八上にも旧八東町に丹比というところがあります。遡ればおそらく関連を見出せるでしょう
posted by yakamihakuto at 13:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 八東 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月28日

因幡薬師

 元は因幡に在った薬師如来の像が安置されています。台座は現在もなお、因幡高草の座光寺に安置されています。さきに紹介した岩戸山のすぐ近くであり、因幡薬師の隣は大江町という地名が残っています。

因幡薬師
























因幡薬師由緒
posted by yakamihakuto at 13:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 鳥取市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月24日

驚くべきサイトが。

 驚くべきサイトをネット上で発見しました。月の光 という成田亨氏のサイトで、因幡の神社についても紹介されていますが、拙著からも引用されています。うれしい様な恥ずかしい様な気がします。
 このサイトでは筆者が全く気づいていない点についての指摘もいくつもあり、八上・因幡が特別な地である事が浮かび上がってきます。特に豊受大神と因幡の関係について、より深く推理されている点は筆者にとっても驚きです。筆者が神道に関心を持ちはじめたとき、最も惹かれた神が豊受大神であった理由がわかるような気がしました。豊受大神と因幡の関係は今まで、あまり注目されてこなかったことです。
 もっと、このような深遠な神々が作り上げた歴史的背景を認識しておく必要があるでしょう。
他にも風のメモワールというページサイトにも紹介いただいております。ありがとうございます。それぞれ基本的な考えなどのバックグラウンドはさまざまですが、それがまた良い点であると思います。
posted by yakamihakuto at 10:49| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月18日

スローライフイン鳥取 八頭分科会

スローライフイン鳥取の八頭分科会の紹介が掲載されている主催者側ホームページがありました。福本の白兎神社の写真も紹介されています。因幡のシロウサギも、ますますそのルーツが明らかにされそうです。

 郷土史研究家の新誠(あたらしまこと)さんもパネラーとして参加されます。 
皆さん、分科会に出かけましょう。
posted by yakamihakuto at 09:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 郡家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月15日

祇園祭の天照大神と瀬織津姫命

 祇園祭 四条烏丸西入る 岩戸山の御神体、天照大神です。
 (偶然にもこの岩戸山のすぐ東に因幡由来の因幡堂があり、大江町という地名もあります。因幡ルーツの人たちが多くいたところなのでしょうか。)
 岩戸山保存会の方にお聞きしたところ、現在の像は、天明の大火で消失後、作られたものだそうです。おそらく当時の人たちも、それ以前より伝わるお姿で作られたのだと思います。

 祭りで男性ばかりだから、天照大神を男性にしたものだという説もあるようですが、太陽神は世界的にも多くは男性の神として認識されており、保存会の方も男神か女神かに疑問をお持ちでした。
 祇園祭の、特に山や鉾は地元の人々によって維持されてきたもので、民の祭りであるといえます。
 
天照大神御神像

















こちらは、明治期に、この岩戸山の模型が作られたようで、天照大神は凛々しい男性のお姿をしておられます。

天照大神御神像2














 




烏丸三条上る 鈴鹿山の瀬織津姫命です。現在、保存会はわずか12軒だけで、周りの企業の方が持ち回りでお世話をされているようです。
 こうして、天照大神と瀬織津姫は、あたかも七夕伝説と同じようにこの祇園祭のときに密かにそのご関係を表わしているといえるかもしれません。烏丸通を一条おいて、位置する男神天照大神と、瀬織津姫、真の事実を知っていた人々が、祇園祭に意図して2つの山を取り入れたのではないでしょうか。

瀬織津姫












 


 同じく岩戸山のご祭神、イザナギノミコトが現実離れした肌の色や形相であるのは、保存会の方のお話によると、この世とあの世を結ぶ神であることの象徴であるのではないかということでした。御子神である天照大神とあまりにかけ離れたお顔はどうしてか、という疑問が少し解けたようにも思いました。 


イザナギノミコト


posted by yakamihakuto at 13:42| Comment(1) | TrackBack(0) | 瀬織津姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月13日

下鴨神社 井上社

下鴨神社境内本殿東隣にある井上社です。祭神は瀬織津姫命です。みたらし団子発祥の地といわれています。

井上社
















井上社由緒
posted by yakamihakuto at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月09日

ホツマで解ける『砂の器』の謎?

 日本映画の不朽の名作といわれる『砂の器』では、事件解決の糸口として、東北弁と出雲弁の類似性がクロースアップされました。何故、このような類似性が生じたのかについての考察はなされていなかったようです。
 ところが、ホツマによれば、大国主命は、国譲りの後、東北の岩木山に遷ったことが記されています。それに対応するように、青森の岩木山にある岩木山神社の祭神は顕国玉神(ウツシクニタマノカミ)として大国主命が祀られているのです。名前の由来が国替えに基づくものであることがはっきりとわかります。
 大国主命の御子が181(180)人もいたのではなく、180人の従者を引き連れて出雲から岩木山へ遷ったというのが真相のようです。これが、出雲弁が東北弁と似通った発音となった根拠かもしれません。記紀ではこのようなことは一切わかりません。記紀神話がいかに貧弱であるかを、ホツマを知れば知るほど強く感じてきます。(もちろん、ホツマがすべて正しいとまでは断言はしておりません。)
 筆者が偶然、伊勢外宮の下御井社で出会った、あるホツマ研究家からお聞きした話によると、鹿児島の言葉と、東北のおそらく秋田だったと思いますが、そこの言葉とが似通っているそうなのです。実は縄文時代に桜島が大噴火をして、鹿児島の住人が東北へ遷ったという伝承があったそうです。方言をより緻密に研究するとよりさまざまなことがわかるかもしれません。
 
posted by yakamihakuto at 00:09| Comment(2) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月02日

ホツマ文字の効用!?

 今朝の朝刊にマキノ出版の『安心』という有名な健康雑誌の広告が出ていました。その中に「癒しの力を秘めた古代文字を発見! ホツマ文字を手足に書いたらひざ痛、腰痛が消えた うつ病、リュウマチが大改善 7kgやせた」とあるではありませんか。
 ホンマカイナ?という気がしますが、じつはホンマという言葉もホツマが語源ではないか、という説もあります。また、古文を学習された方なら皆さんご存知の真秀(まほ)という言葉ですが、真秀(まほ)と秀真(ほつま)は同じ言葉といっても良いのではないかと思います。 
 思わぬ方面からホツマのことが有名になるかもしれません。ホツマツタヱが発見された滋賀県高島市の市民会館では、既にほつま文字が刻まれた会館の石碑があります。
 ホツマホツマと八上の伝承の関連、および神話・古代史が『記紀』として書き換えられた理由等については以前も述べましたが、これがきっかけで日本の神代史・古代史の実相が広まるとよいのですが。
 
 『安心』を入手したら、また記事を足します。

と、書きましたが、やはり、関心のある方は是非、『安心』を入手してください。
 
posted by yakamihakuto at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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