2008年10月30日

箱根神社

 箱根神社 別荘地としても有名なこの地に古くからある箱根神社。その湖畔にある鳥居です。すばらしい景色です。できればここに永住したい気がします。
 箱根神社の祭神はニニギノミコト、コノハナサクヤヒメノミコト、ヒコホホデミノミコト、とどこかで、見たたことのあるような組み合わせです。
 そうです。八上の宮谷の賀茂神社です。もともとの主祭神はニニギノミコト、コノハナサクヤヒメ、ヒコホホデミノミコト、トヨタマヒメ、そしてニニギノミコトの別名別雷命です。
 ホツマによればここは天忍穂耳命の御陵にあたるところです。実際、富士山ろくの近くにはそれと関連するようにオシという響きを持つ地名が残っています。芦ノ湖の鳥居です。

箱根神社




















箱根神社2
posted by yakamihakuto at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

瀬織津姫と木花咲耶姫の御実家

 三島大社です。ホツマによれば、コノハナサクヤヒメと瀬織津姫は同じサクラウチの家系に当たり、どうやら、この三島大社のある場所が、その御住居だったようです。
 それにしても、静岡にある著名な神社はすべて徳川家の厚い信仰により、どれもすばらしい整備がなされています。神様もお喜びのことと思います。
 
三島大社
posted by yakamihakuto at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 瀬織津姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月29日

八上姫の顕彰

 
 神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添う(御成敗式目:1232年)

 八上姫の本拠の候補地はどこか、というと、現在のところやはり一番は鳥取市河原町です。江戸時代以降明確に、八上姫を祀る賣沼神社があるからです。
 河原町では八上姫を町の象徴的存在として、アピールしています。
 八上姫は無論、八上を象徴する姫であり、八上全体で、大きくクロースアップしていける存在です。
 
 少し不思議なお話をします。神話時代の八上姫は、その後の歴史時代、ちょうど古事記編纂の時期に近い頃の八上采女として再び八上に誕生したととらえることはできないでしょうか。この八上姫は、安貴王との悲恋で知られていますが、どこか、神話時代の八上姫を彷彿とさせるようなお話です。
 実は、神話時代の神々のなかに転生された例があることがホツマには記されているのです。
 原初の神ともいえる国常立命がその後、豊受大神として活躍されたこと、スサノヲノミコトがヤマトタケ(ル)(明治以前はヤマトタケと記されていたそうです。)に転生されて、非常に似通った数奇な運命をたどったことなどです。ヤマトタケが女装して敵陣を油断させてみごとにしとめた話や、叢雲の剣を使って敵を倒したり、大蛇との因縁の対決があったり、など、不思議なくらい一致しています。そのほかにオロチ自身も転生した例も記されています。
 このようなことを前提にすると、先に述べたように、神話時代の八上姫と歴史時代の八上采女には並々ならぬ関連があるといえるかもしれません。
 すると、八上にかつてあった莫男(まくなむ)駅のあった辺りが神話時代、歴史時代ともに八上姫の住んでいた本拠といえるのではないでしょうか。以前紹介しましたが、郷土史家の三木薫氏は、莫男とは「男莫き(おとこなき)」(未亡人)がその由来であろうと推測されています。なぜ、そのような名前がここの駅につけられたのか、無論どちらの八上姫も、悲恋の後に独り身となったためでしょう。莫男とはずばり八上姫・八上采女を指し示す名称です。采女とは国魂を代表する国造の子女でした。即ち中央に出て行く八上采女は因幡国を代表する存在であり、神話時代の八上姫となんら変わらぬレベルにある人です。
 したがって八上姫の本拠はかつて莫男駅のあった辺りととらえられるのであり、その場所は、国中平野に当たります。そこは、すでに紹介しているとおり、霊石山東麓の八上の中心地で、全国最大規模の八上郡衙のあったところであり、白兎神社が3箇所もあるところなのです。最もその可能性の高い場所は、郡家ー私都、大御門ー八東ー若桜、船岡ー大江へと道の分かれる土師百井、石田百井の辺りではなかろうかと考えられます。石田百井といえば、以前井古で紹介したようにかつてそこに祭祀を司る巫女が居た可能性を持つ土地です。
また、野々宮神社のある下濃(しもの)と上野(かみ の)もその候補地として挙げられるかもしれません。なぜならば、祭祀を司る中でも特に、天照大神の祭祀を担う最高位の斎王のための社だからです。天照大神と密接な関連を持つ八上で、天照大神の祭祀を担う資格をもてるのは、野々宮神社で精進潔斎をした巫女のみとも考えられるからです。
 このようにみてくると、八頭町も八上姫を、白兎と並んで大いにクローズアップするべきところなのです。
 いや、八上姫(またはその化身であるシロウサギ)は、因幡の広域に祀られている神社があることから、因幡全体で顕彰していく大切な国神であるといえるでしょう。
 
 神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添う(御成敗式目)
 神を称えることがすなわち、自分たちの開運を導く基なのです。
 町おこしの精神の根本に持っておくべき大切な考えを鎌倉の北条泰時はみごとに説いていました。御成敗式目は、日本人ならその名を誰でも知っているものですが、その内容となると、ほとんど知られていません。筆者も、このたびの箱根神社参拝の折、境内にこの言葉が紹介されているのを見て初めて知ったというくらいのものです。
 日本全国津々浦々、神社がたくさんあります。これによって日本の国土は守られています。あたかも見えざる毛細血管のごとく、本当に日本の国土の隅から隅に至るまで、いきわたっています。これが日本を日本たらしめている根拠でしょう。強制的な神社合祀が実行される明治以前には全国に17万箇所ものお社があったそうです。合祀終了後も、現在まで10万社を超える神社が残っています。しかし、残っているとはいえ、日ごろ、十分に整備・管理されないで、その存続が危ぶまれているお社も少なくありません。このことと、町や村の衰退とは一定の関連があるのではないでしょうか。

posted by yakamihakuto at 09:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 八上姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月26日

浅間大社

 静岡県富士宮市の浅間大社です。主祭神はもちろん、コノハナサクヤヒメノ命です。
 ホツマによれば、この浅間大社、もしくは、富士山周辺にある同名の浅間神社、または、浅間大社奥宮のいずれかにおいて、天照大神は旧暦の正月一日にお生まれになりました。
 


浅間大社
posted by yakamihakuto at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

瀬織戸神社

 静岡県三保の松原にある折戸(おりど)という所に鎮座売する瀬織戸神社の由緒書きによれば、「瀬織津姫は天照大神の第二王女である」とされています。瀬織津姫が天照大神の第二「皇女」(つまり天照大神の御子神)という意味で記されたとするのならば、由緒書きにもあるように弁天様と同じ神となります。
 しかし、天照大神の御子神は五男三女で、弁天様は本来イチキシマ姫のことを示します。
 瀬織津姫がいかなる神かがかき消されてしまい、記紀にものっていないことから、イチキシマ姫、と誤って認識されるようになったのであると思われます。
 それにしても、瀬織津姫の名にちなむ地名が残っているのは珍しいこと、すばらしいことです。


瀬織戸神社2



















瀬織戸由緒
posted by yakamihakuto at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 瀬織津姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

耳なし波兎

静岡県 草薙神社拝殿
 このたびは静岡、富士宮、箱根、厚木、三島で、主に天照大神、コノハナサクヤヒメ、オオヤマズミノミコト、ヤマトタケノミコト、オシホミミノ命に関連する神社を中心に旅行してきました。
 草薙神社はヤマトタケノミコトに因む神社ですが、おそらく江戸時代に流行した波兎をここでも社の再建のときに取り入れたのでしょう。
 耳がなくなっており、耳なし芳一ならぬ耳無し波兎になっていました。早く耳を取り戻してあげるとよいと思いました。

耳なし兎
posted by yakamihakuto at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 波ウサギ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

富士山

 八上の真東に位置する富士山です。八上の真西には、大山があります。
 このふもとのどこかで、天照大神はお生まれになり、富士山の真西の恵那山にその胞衣(えな)が埋められました。

JR三島駅ホームより眺めた富士山の雄姿です。

富士山


posted by yakamihakuto at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月24日

イナバノシロウサギ神話 シンポジウムを開催!

 
八頭町にもあった!イナバノシロウサギ神話
 八神姫とイナバノシロウサギ
来る11月23日(日)午後1時30分より八頭町郡家公民館でイナバノシロウサギ神話シンポジウムが開催されます。主催は八頭町観光協会です。

 なんと驚くなかれ、この私め、白兎の小使いが講演をさせていただくことになりました。
 二部構成で、前半が、私の基調講演、「八上の白兎と神々の伝承の謎」と題して、旧八頭郡全体に残された伝承や遺跡の再認識をし、今までばらばらにされていたそれらのつながりを浮かび上がらせていきます。
 後半はコーディネーターとして、日本海新聞より石井記者をお招きしてのパネルディスカッションで、どんな話になるかは皆目見当がつきません。パネラーの一人はご存知、郷土史研究家の新誠さんです。こちらのほうが面白そうです。
 これで、3年連続で地元八頭町で、イナバノシロウサギの催しが開催されることになります。しかも今年は因幡でスローライフ学会や石破洋教授のいくつかの講演会も催されるなど、大賑わいです。いよいよです。
 次の兎年に向けて旧八頭郡全体、八頭町で大きなうねりができることを期待しております。
 


posted by yakamihakuto at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月23日

山蔭神社

 八頭町西御門の通り谷の手前にある山蔭神社です。国道29号線からも鳥居は見えます。(筆者は小さい頃からこの神社へ行ってみたいと思っていました。)
ヤマカゲと読むのでしょう。鳥取県神社誌によれば、祭神はオオヤマズミノミコトです。 創立年代は不詳で、往古より山蔭大明神と呼ばれていたそうです。太平記に登場する神社で、「元弘三年後醍醐天皇が…山蔭の東に進ませ給ひし由記せり、山蔭は即ち当社の事なり。」と記されています。
 山陰「サンイン」とは音読みであり、元は「ヤマカゲ」であったろうと思われます。ちなみにホツマにもこの地方のことがヤマカゲとして登場しています。
 山陰地方に山蔭神社は果たして他にあるのでしょうか。他に無いとすれば、この地はやはり重要なところであったとはいえないでしょうか。このあたりにはかつて円入寺という大伽藍を持つ寺院もあり、ここと郡家殿の和多理神社に後醍醐天皇名和長年一行は行宮されました。当時の和多理神社の大川神主は出自は熊本であるそうです。旧八東町に阿蘇神社(本社は熊本)があることとあわせて注目に値することです。
 円入寺にて後醍醐天皇が大川神主をしてナギナミ二神を勧請して勅願されたその札は、今も和多理神社に保管されているそうです。

 

 

山蔭2


















山蔭1
posted by yakamihakuto at 15:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 郡家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月14日

「田から」が「宝」に

 時々、聞くようになったことですが、宝という言葉はもともとは田からいろいろな作物ができて、人々の生活を潤すことが、その語源であるということです。実は、これはホツマに記されていることです。
御衣(ミハ)定(サダ)め剱名(ツルギナ)の紋(アヤ)23紋 11に記されています。
 同じ23紋の38,39にはツルギの語源も記されています。
 一方で筆者は、出雲国風土記と格闘しています。風土記では天穂日命の本拠地について野城神社が出ていますが、やや疑問の余地が無きにしも非ずですし、事代主命=クシ彦のことが一言も記されず、美保神社の祭神についても異なったことが記されています。古事記や日本書紀の出雲神話と大幅に内容が異なることはつとに有名ですが、それにしても、733年成立の出雲国風土記の記述がすべて正しいとも断定しがたいとも思われてきます。このあたりの最終判断はかなり慎重にすべきでしょう。(筆者は丹後の元伊勢を研究して以来、丹後国風土記において、あたかも豊受大神が羽衣天女であるかのごとくに記されていることから、風土記の信憑性に疑問を持っています。もちろん風土記すべてではありません。浦島伝承(特に出発の日時が雄略22年7月となっている点、これは宇治山田への遷宮出発と同時です。)と羽衣伝承は豊受大神の伝承をぼかす意図の下に作られた可能性を持っていると、推測しています。)
 また新たな研究課題が出てきました。いずれにせよ、出雲は式内社の数も周囲の国と比べて圧倒的に多く、したがって、神社祭神や由緒について、相当な改変が藤原氏の全盛期に、あるいは記紀編纂のタイミングとあわせて変えられた可能性があるのではないかと思えます。
posted by yakamihakuto at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月09日

八上の白兎は神聖な神

 
 八上 ルネサンス Yakami Renaissance
 
 八上の白兎を象徴するイラストはすでに、拙著の中でも紹介していましたが、改めてブログ上でもご紹介いたしました。
 このイラストに象徴されるように、八上の白兎は、初めて八上においでになった天照大神を、行宮のためによりよい場所へと案内したのです。城光寺縁起、慈住寺記録に基づけば、このイラストのように天照大神の御衣の裾を銜(くわ)えて、霊石山頂の伊勢ヶ平(もちろん後世の呼称です。)まで案内しました。これが、八上の白兎伝承の核心です。そこには、ワニを騙して、などという話は介在しようがありません。八上における白兎は、より良き方向へ導く道案内の神であり、八上姫を含むその祭神の神社等から八上、因幡全土を守る守護神として意義付けて差し支えないでしょう。
 その意味で、古事記に記された稲羽の素菟とは、その描かれ方が大いに異なります。
 実際、稲羽の素菟がワニを騙したことに対して、素菟に対してあまりよい感情を抱かない地元の人もいるのを筆者は知っています。
 しかし、古事記神話は、海外のウサギ伝承をつなぎ合わせて、稲葉に伝わる本来の伝承をかき消して、創作されたものとしてとらえるのが妥当です。したがって、八上の人たちは、自信を持って白兎の神を誇りに思ってよいのです。そうであるが故に、今まで八上の地で、数千年にもわたって兎神を大切に祭ってきたのです。しかも、古事記神話では舞台(比定地)について異論が出ていますが、八上ではその舞台はそれぞれ明確であることもたいへん重要です。(伊勢が平、御冠岩、白兎神社、伊勢道、赤倉山、氷ノ越えなど。話は少しそれますが、中央中学校近くの寺山古墳は八上に今も在住している方の先祖の墓である、という言い伝えが残っていることもすごいことです。)
 今後、八上ではこのイラストのように描かれた兎神を町のあちらこちらに、数多く登場させてはいかがでしょうか。
 地元の神話伝承を大切に顕彰することは、郷土愛を深めることにつながります。私たちのレーゾンデートル(存在理由)を確認し、自信を深めていくことになります。
 そして、八上の白兎伝承は天照大神伝承と不可分であり、もちろん、大己貴命の八上来訪、八上姫伝承とも不可分なので、かつての八上郡、すなわち、旧八頭郡郡家町・船岡町・八東町・若桜町・智頭町、鳥取市の河原町・用瀬町・佐治町が結束して、この神話伝承の更なる顕彰を進めていかないと、話が断片的になり、その意義が薄れてしまいます。この点は大変重要です。

八上の白兎
posted by yakamihakuto at 00:18| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月02日

「因幡の白兎神話の謎 比較神話から読み解く」を読んで

「因幡の白兎神話の謎 比較神話から読み解く」は12名の研究者、学者の皆さんが執筆した論文を編纂した書です。
 その名のとおり世界の神話との比較から論じられたものが多くのせられています。
 私のような浅学のものには、少々難しい内容でした。比較的地元のことが詳しく論じられているものが読みやすいと思いました。金達寿氏の歴史観にも触れられており、筆者は懐かしさを感じました。
 イナバノシロウサギと一言でいえども、いろいろな視点からさまざまに論じることができるものであることを強く感じました。
 世界的に神話の内容に類似点が見られることはつとに知られていることですが、なぜこのような現象が起こったのか、そこを探ると面白そうです。
それにしても、世界各地に残る神話、その中で、現在もその神話に基づく神殿や遺跡があり、それらが今もなお、信仰の対象となっているのは日本の神話くらいのものではないでしょうか。
 日本の神話の生命力の強さを感じます。
 八上に伝わる天照大神を道案内した白兎伝承は、絶妙なストリー性のあるものではなく、この本には記載されていませんが、逆に、それは固有のもの、であることがわかります。
 誰も指摘していませんが、八上のシロウサギは騙したりすることは一切ありません。本来の純粋無垢で尊いシロウサギの神です。それは、石破教授が主張されているようにシロウサギ=八上姫の化身、八上姫の評判とも完全に一致します。
 
posted by yakamihakuto at 23:47| Comment(2) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。