2009年03月31日

無事参拝成就!

 28,29、30と、私め白兎の小使いは、因幡全土の瀬織津姫を祭る神社ほとんどすべてと、兵庫県西宮市の地名由来(世間では西宮神社と思われていますが、西宮神社は広田神社の摂社でした。)の瀬織津姫を祭る神社、広田神社の参拝をしてきました。
以下は参拝先 そして立ち寄った名所です。
◎印は瀬織津姫を祭る神社、□印は瀬織津姫と思われる神を祭る神社です。
 
初日
◎白坪神社 八頭郡智頭町
◎虫井神社 八頭郡智頭町
◎上市場神社 八頭郡智頭町
◎諏訪神社  八頭郡智頭町
◎東井神社  旧八頭郡用瀬町
◎日月宮   旧八頭郡河原町
◎湯谷神社  旧八頭郡河原町

清流茶屋かわはら 旧八頭郡河原町

□賣沼神社  旧八頭郡河原町
 米岡神社  八頭郡旧郡家町
 御冠石   旧八頭郡河原町
 白兎神社 福本 八頭郡旧郡家町
□赤倉神社   八頭郡旧船岡町
◎大江神社   八頭郡旧船岡町
□賀茂神社   八頭郡旧郡家町

ラダック 鳥取市 懇親会場

二日目

◎水戸神社 賀露神社境内 鳥取市
白兎神社  鳥取市白兎海岸
◎利川神社 鳥取市青谷町
不動山 湯原滝 鳥取市青谷町
青谷上寺地遺跡展示館 鳥取市青谷町
青谷ようこそ館 のうみそせんべい発見

移動中に不思議現象あり(後日報告)

鳥取砂丘  鳥取市
多鯰ヶ池(たねがいけ)弁天神社 鳥取市

ラダック  昼食

◎越路神社 鳥取市越路

◎麻生神社  八頭郡私都
◎野町神社  八頭郡私都
福地神社  八頭郡私都
◎美幣奴神社 八頭郡私都

こおげ農業開発センター 八頭郡私都
(名所ではありませんが、要所でした。トイレ休憩アンド拙著の献本)

◎花原神社 八頭郡私都
◎隼神社  八頭郡旧船岡町

道の駅 わかさ 八頭郡若桜町

◎舂米神社 八頭郡若桜町
不動院岩屋堂 八頭郡若桜町
岩屋神社  八頭郡若桜町
◎池田神社 八頭郡若桜町
意非神社 八頭郡若桜町
□若桜神社 八頭郡若桜町
□江嶋神社 八頭郡若桜町
 
 以上、瀬織津姫を祭る神社18社、瀬織津姫と思われる神を祭る神社5社を合わせて23社を無事参拝することができました。
 鳥取市の立川神社、桜谷神社と合わせると計25社、因幡に瀬織津姫の関連の神社があります。
  ここで、瀬織津姫と思われる神について説明しておきます。

 まず、ミズハノメノ神は水の神ですが、瀬織津姫の名の代わりに使われている可能性があります。
今回参拝した神社では、赤倉神社と賀茂神社です。(ミズハノメノカミの御神像は奈良の丹生川上中社本殿に鎮座しています。社務所で写真を拝見したことがあります。)

 熊野神社は、和歌山の熊野那智の神社で、滝神、瀬織津姫を祭る神社です。八上姫で有名な賣沼(めぬま)神社にあります。(ちなみに元伊勢内宮の本殿脇にも熊野神社があります。)
 タカオカミ、クラオカミの2神も瀬織津姫の名の代わりに用いられた可能性があります。賣沼神社に祭られています。(奈良の丹生川上下社、京都の貴船神社に も祭られています。)
筆者は、このたび賣沼神社を訪れて初めて、瀬織津姫との関連を強く思いました。この神社が、かつて祭神名を伏せなくてはならない時代があったこととも関連してくるようです。今まで、祭神名が伏せられなくてはならない事情については、誰も何も言及することはありませんでした。
 八上姫の御親神は天照大神と瀬織津姫ではないか、という、以前から抱いていた筆者の大胆な発想にすこし根拠を持つことができました。賣沼神社は白兎ライン終点上にあり、その隣はというと、天照大神を祀る米岡神社です。この位置関係も絶妙であることが今回明確に浮かび上がってきた、ともいえるのです。

 市杵嶋姫は、広島県の宮島であまりに有名で、弁天さんとも言われる神ですが、瀬織津姫の可能性があります。今回の参拝では賀茂神社、若桜の江嶋神社です。また、旧郡家町池田の白兎神社にも祀られています。こちらも白兎ライン上です。賀茂神社、若桜の弁天さんどちらのお社も、由緒書きから、奇跡的なことが起こった神社であることが分かります。
 賀茂神社での筆者の間接的な不思議体験は、以前紹介したとおりで、13年前の夏、筆者が帰省して賀茂神社参拝の折、偶然ある老女と出会いました。その方には市杵嶋姫と思われる神が、はっきりとそのお姿を現されたようです。
 「あちらにいらっしゃいますよ。見えませんか。」と、言われて筆者も懸命に探し出して見ても、何も見えませんでしたが…。(昨年末、滋賀県高島市の田中神社に参拝したときも、同行の方には明確に見える神のお姿が社殿上方にあったそうですが、筆者には何も見えませんでした。同行の方は理系の科学技術専門の方でしたので、無理して見えないものを、「見える」と主張されているのではないだろうとは思いました。真相はわかりません。)
 イチキシマ姫とミズハノメノ神はホツマにも登場するので瀬織津姫イコールとはいえないかもしれません。
 しかし、たとえば伊勢外宮祭神、豊受大神がしばしば、保食神、稲生神(稲荷神)と同一視されることと事情が似ているように思われます。その意味ではすべてのイチキシマ姫を祭る神社、およびすべてのミズハノメノカミを祭る神社がイコール瀬織津姫ではないといえるでしょうが、逆にイチキシマ姫、ミズハノメノカミを祭る神社の中に瀬織津姫を祭っているお社があることは間違いないといってよいでしょう。それがどの社なのかは、外宮祭神の場合と同じく明確に分けることは難しいように思えます。
 一方高龗神タカオカミ、闇龗神クラオカミはホツマに登場しない中国由来と思える神名なので、こちらは祭神瀬織津姫の代わりに祭られた可能性がありそうです。
 



posted by yakamihakuto at 10:27| 瀬織津姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログ容量一杯

 容量が一杯に近づき、昨年末あたりから、極端に写真掲載を制限していたのですが、ネタもまだ切れそうにないようなので、このブログを残しつつ、今後の記事は新しい引越し先で続けることにいたしました。
 とはいえ、まだ、使い方に慣れていないので、少しかかるかもしれません。
posted by yakamihakuto at 09:35| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月18日

欠史八代?

 鳥取県には7代孝霊天皇とゆかりのある神社などがあります。鳥取県西部には、孝霊天皇を祭る楽々福神社(ささふくじんじゃ)が複数あります。霊石山付近には、八頭町土師百井や河原町国英に孝霊天皇と血縁のある末裔の方もおられます。
 丹波、丹後には9代開化天皇に因む神社や伝承が残っています。
 一方で、初代神武天皇から10代崇神天皇までの間の天皇については、歴史学会の主流的な見方として、実在しなかったとされています。
 その理由は、その間の天皇の平均寿命が長いことや、記紀の叙述に詳しく述べられていないことがあげられています。その意図は、皇室の歴史を故意に延ばそうとしたものとして、実在しない天皇を作り上げたというものです。
 天皇の平均寿命や在位期間はともかく、その実在性そのものをもすべて否定しているのが主流となっているというわけです。
 実は、筆者は、ホツマを研究する数名の人たちとともに、一昨年、この欠史八代といわれる天皇の御陵をすべて回りました。
 架空の天皇であるなら、どうしてわざわざこれほど立派な御陵を作ったものであろうか、というのが率直な感想でした。もちろん、御陵は明治以降にかなり整備されてはいます。
 しかもそれを作ったのは、ほぼ間違いなくわが因幡と深い縁を持つ土師氏なのです。実際に御陵を回ってみて、その見事な造形美に改めて感心しました。
 神武天皇陵は長らくその場所が不明でしたが、明治の初期に記紀の記述にそって、場所を特定、整備されました。
 2代から9代までの天皇陵についても記紀にそれぞれ記述があり、そのとおりに御陵が存在するわけですから、これについてはもう少し素直に認めるべきではないでしょうか。
 
 欠史八代とホツマの叙述には関連があることを「関西ホツマの集い」の清藤代表が提唱されています。
 ホツマは、40章からなりますが、前半の1章から28章までは初代神武天皇の御世、クシミカタマノミコトが執筆したとされます。
 後半の29章から40章までは、10代崇神天皇・垂仁天皇の御世、クシミカタマノミコトの末裔であるオオタタネコノミコトが記したといわれます。
 そして、それに伴い、ホツマにおいても、2代から8代の天皇の御世の記述は必然的に少なくなっています。
 おそらく記紀も、ホツマ、あるいはホツマを底本とするほかの歴史書に基づいて記されたために、ちょうど、クシミカタマノミコトとオオタタネコノミコトの間の8代の天皇の御世のことが簡略的な叙述になったのであろうという説です。
 
 まさしくホツマを研究し、それと記紀を照合することによって浮かび上がる事実の一つなのです。
 
 欠史八代はいったい誰が提唱したのでしょう。筆者はこの間、それを追っていましたが、意外にも追求できません。これについてご存知の方はお知らせください。
 

posted by yakamihakuto at 23:39| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月04日

隼神社

 イドフの友さんからいただいたコメントから、このところ隼神社に俄然関心を持っています。
 ここで、鳥取県神社誌に掲載されている隼神社祭神をご紹介します。
 
 須佐之雄神 櫛稲田媛神 羽明玉神 イザナギノカミ イザナミノカミ 天照大御神 月読神 大己貴神 天穂日神 三穂津媛神 市杵島媛神 味スキ高彦根神 下照媛神 都味歯事代主神 高照光媛大神 建御名方神 木花開耶媛神 大屋津媛神 大年神 御年神 猿田彦神 瀬織津媛神 速秋津媛神 気吹戸主神 岐之神

 以前にも紹介しましたが、ここはかつて、竹内宿禰が居館を構えていたところと伝えられています。そのちょうど北方にやはり、竹内宿禰を主祭神とする因幡一ノ宮、宇倍神社があります。
 一説に竹内宿禰は、河原町の多加牟久神社と縁のある多加牟久命と同一、とも言われています。多加牟久命は大己貴命の子孫であり、その縁で河原の地に定住されました。
 
 隼神社には竹内宿禰は祭られていません。竹内宿禰が神々を祭る祭祀の場であり、それは当然のことといえるでしょう。

 隼神社をグーグル検索してみると、この八上以外に京都市の隼神社があるのみのようです。
非常に珍しい名前の神社です。
 祭神も多く、天穂日命も祭られていることから、土師氏ルーツでもあるはずです。
 古代エジプトにおいて神と崇められてきた隼、(ホルス ヘル、ファルコン) 神を乗せる船の存在、など、隼と船岡の地名は意味深長です。もしかすると、古代エジプトの末裔たちが大挙して移り住んだ所であったのかもしれません。
 日本は、全世界からの移民がさまざまな時代に入ってきた可能性があります。日本では、伝説扱いにしかなされていない徐福一行にしても、中国では史実として扱われています。日本にあこがれてやってきているという事実を看過してはなりません。
 奈良・京都・滋賀には、さまざまな海外からの文物が運び込まれましたが、それとともに世界各国からの民が移住してきた所でもあります。
 京都の太秦(うずまさ)などはユダヤ系ではないかと思われるようなものが多く残っています。聖徳太子の法隆寺などもゾロアスター教の影響もうかがえるという説もあります。東大寺のお水取り行事もタタール人との関連も指摘されます。滋賀県には百済系の移民の地がいくつかあります。
 因幡においても、古代エジプトの移民が一つの町を形成していた、と考えてもおかしくないでしょう。隼神社を中心に、かつては隼村と呼ばれていたのですから。
 朝鮮半島との関連はよく引き合いに出されますが、それだけでなく、もっと世界中のさまざまな民族が
日本に移り住んだといえるでしょう。もちろん白ロシア系も移住してきた事も考えられます。あったかも知れないムー大陸からの移民もいたかもしれません。世界的に見て、きわめて特徴的な日本語の音韻体系の歴史をたどると、そのような説にもうなづけるのです。
 しかし、日本の言語体系や文化、習慣に慣れ親しみ、もっとも優勢であったと考えられるネイティヴの土師氏となじむことによって、すべて民族的には同化されていったのでしょう。 
 これは何も八上に限ったことではありません。
 日本人を日本人たらしめるもの、その筆頭に日本語があると考えられます。
 そして、日本の祖先神が築き上げた情緒性豊かな感性や、しきたりがさまざまな年中行事を通じて日本の社会に継承されていったことがあります。
 ホツマのような教えの書もかつてはあったかもしれません。
 しかし、そのような教えの書がなくなっても日本人の生活習慣や常識的感覚の中に神々の教えが定着してきたのでしょう。
 八上はかつての日本の玄関といわれた日本海側においてさまざまな世界の文化を巧みに受容してきたのでしょう。
 隼の存在はそれを裏付けるものといえるかもしれません。



posted by yakamihakuto at 00:18| Comment(12) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月03日

世界の中の鳥取の神話Pt2

 世界の中の鳥取の神話の第2弾が催されたようです。
 地元のある方からメールでお知らせ頂戴しました。ありがとうございます。いつもお世話になります。
 またまた、毎日新聞に詳しく記事が載っていることもお教えいただきました。ありがとうございます。
ここ数年、動きが活発化しています。たいへん喜ばしいことです。
 私の頭の中でもこの3年間くらい兎が飛び跳ねています。頭からはなれません。
posted by yakamihakuto at 15:51| Comment(2) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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