2009年04月27日

早池峰で波乗り兎発見!!

  あの、瀬織津姫を祀る神社が全国一の岩手県、その中でも総本山とも言うべき、早池峰神社の神楽に用いられている鳥兜の両脇の垂れている部分に大きく、波乗り兎が描かれています!よく見ると、波兎の背景は大きな太陽です。
波が瀬織津姫、太陽が天照大神を表わすとしたら、どうでしょう。鳥兜というくらいで、冠の一番上には鳥がのっかています。鳥取と縁があります!
 この神楽は山伏が西方から伝えた、という説もあるそうですが、山伏というと修験道の厳しいイメージがあり、本当にそうなのかな、と思います。元々から伝わっていたものなのではないかと思いたくなります。

 今まで、筆者は、定説を受けて、波ウサギは江戸時代ごろに全国的に爆発的にヒットした絵柄である、と思っていました。
 ところが、古い伝統を重んじる早池峰の神楽に用いられる装束に波ウサギが描かれている、ということは、これは相当古くから波ウサギがデザイン化されていたものであるものと思えます。

 筆者は、約12年位前に伊勢神宮外宮の下御井神社で、この早池峰神社やオシラ様を研究する住吉様という方と偶然出会いました。
 外宮の上御井神社または下御井神社とは、別名天の真名井、天の忍穂井と呼ばれ、瀬織津姫が天忍穂耳命をご出産されたところです。
 そして、その数年後、9年前ですが、筆者の職場のお客様で、早池峰神社の巫女または、神楽をしている家の出身の方がお見えになりました。
 そのことを外宮で知り合った住吉様にお伝えし、そのお客様の岩手のご実家(オシラ様を祀る)まで、ご縁を取り結ばさせていただいたこともあります。実に不思議な経験をしたものです。
 また、一昨年秋から本年春にかけて、またまた岩手の方が突然のご転勤で、筆者の職場のお客様になられたことも実に不思議なことでした。(それまでは、岩手県といえば、千昌夫と新沼謙治しか知らなかったのですが。また、ほぼ時を重ねて、因幡・八上ルーツの方もお客様としてお見えになっていたことも実に不思議なシンクロです。)
 ということで、因幡八上ルーツの筆者は、なんとなく、岩手の方ともご縁があるのです。なぜでしょう。
とにかく、瀬織津姫と兎神にはなんらかの関係がありそうです。
 筆者は想像します。
「天照大神が因幡、八上にお越しになったときに土地の神、白兎神に行宮にふさわしいところへと案内されます。その後、または同時に瀬織津姫も八上にお越しになります。
 そこで天照大神と瀬織津姫の間に美しい姫がお生まれになります。八上姫です。その姫のご誕生の際に、兎神の魂も姫に宿ります。お生まれになったところが、あの白兎夏至冬至ライン上の、賀茂神社の胞衣塚付近と思われます。つまりこの胞衣塚とは八上姫の胞衣というわけです。
 天照大神、瀬織津姫ご一行は、八上姫を土地の方にお預けして、八東谷、若桜経由で大江町の元伊勢内宮へお帰りになります。(ちなみにホツマではイサナギ、イサナミの子、ワカ姫は西宮の広田の地でヒロわれタ、て(ヒロタの語源)住吉神=カナサキノミコトに養育されますし、天照大神も東北、日高見で豊受大神に養育されます。
 忍穂耳命も天照大神、瀬織津姫の元をはなれて、滋賀の野洲川付近でワカ姫とオモイカネノ命に養育されています。)

 おそらくその後、八上姫は私都(きさいち)の人たちに大切に養育されます。私都の奥にある八上姫を祀る須賀神社の存在、姫路という地名を考えると、つながってきます。私都には、八上姫は祀られていませんが、瀬織津姫および関連する神を祀る密度が八頭郡の中でも最も高いのです。
 八上姫はその御一生の中で、宮の位置を幾度か遷られたことも考えられます。
 そして神上がられて、胞衣塚の南西、夏至冬至ライン上に位置する河原曳田の簗瀬山(賣沼神社)に、その美しいお姿と御魂の復活・再生を願ってご埋葬されました。」筆者の想像はあながち外れていないかもしれません。 

posted by yakamihakuto at 10:30| 瀬織津姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月26日

イナバノシロウサギ オブジェ募集!!

 八頭町産業課では、イナバノシロウサギのオブジェを郡家駅前に設置して、町の観光のシンボルとする計画が立てられているようです。
 すごいですねえ。大きな前進です。
 そのオブジェのモチーフとなるイラスト、およびタイトルを募集されているようです。特に地元限定、とはかかれていないようですので、どんどん応募しましょう。
 詳細はこちらをご参照ください。
 またあの瀬織津姫を祀る岩手県の総本山、とも言うべき早池峰(はやちね)神社の祭りで、踊りに用いる被り物の両側に波乗り兎が描かれているそうです。
 
 
posted by yakamihakuto at 22:48| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月24日

波折神社の不思議

 瀬織津姫を祭る神社、波折神社は不思議な神社です。
 なんとそこには、波乗り兎の像があるのです。
 波乗りと波折、瀬織津姫も瀬折津姫と表記されてもいます。 
 兎と瀬織津姫、やはり何か関係があるのではないでしょうか。
posted by yakamihakuto at 08:56| 瀬織津姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月22日

みずがきに鳥居礼氏の論文と絵画掲載!

  逆流から元の流れへの転換

 本日、帰宅してみると年3回くらい発行されている神宮司庁の『瑞垣』(みずがき)が届いていました。
早速、わくわくしながら、何か面白い記事はないかと目次を見ると、ありました!
 なんと、見慣れたお方の名が、鳥居礼氏の論文が掲載されています!!!!!
異端の書とされるホツマの研究家の論文が『瑞垣』に掲載されるのを見るのは初めてで、筆者は、これまで、そのようなことは不可能だと思い込んでいたので、とても感激して、急いでブログ記事を書いているところです。

 今回は御即位二十年記念特集号です。
 鳥居氏は、日本画家でもあり、その作品2点と合わせて論文が掲載されています。(筆者もさりげなく、職場に作品を飾らせていただいています。)
 「美の至宝 伊勢神宮」という論題で書かれています。
 もちろんざっと目を通してみると、ホツマのことは触れられていませんが、鳥居氏がホツマの諸著作で主張されている事柄が展開されています。
 鳥居氏は、伊勢神宮側からの要請で、鎮地祭を描くことになったそうです。その作品が紹介されています。日本に多くの画家がいる中でホツマ研究家でもある鳥居礼氏に白羽の矢が立ったのは、すごいことです。神宮側が鳥居氏のホツマ研究にも肯定的であることを示しているといっても良いかもしれません。まさか鳥居氏の著作をご存知ないはずがありません。実際、鳥居氏のホームページを見てみると、高円宮妃様や秋篠宮様も2006年に催された河口湖ミューズ館での展示に、ご来臨されているようです。
 すでに皇室、神宮関係の方からもホツマが注目されていることを、なんとなく感じます。
 それは、伊勢の神々、瀬織津姫をはじめとする日本の神々の本当のご活躍について、見直そうとする気運が高まりつつあることを示すのではないでしょうか。
 筆者は強く感じます。記紀によって、神道の流れが逆流となっていたものの、ここ数年のさまざまな動きによって、元の正しい流れへとその向きが180度変わったのではないかと思われます。
確かにそのベクトルが変わった直後なので、いわばほとんど静止した状態なため、そのダイナミズムは感じ取ることができないかもしれません。けれども注意深くアンテナを張っていると、その動きが次第に大きくなっていくことを知覚することができるようになるでしょう。
  
 皆さんもこれを機にぜひとも、『瑞垣』の定期購読者になりましょう。
 連絡先は神宮司庁広報課
電話 0596−24−1111です。まずは最新号のサンプルを送ってもらってください。
 筆者も近い将来、八上に伝わる天照大神神話伝承、外宮祭神と因幡の地名由来をテーマに、瑞垣に掲載されるよう、文章を書くことができれば、と思います。
 大いに励みになる出来事でした。

posted by yakamihakuto at 23:05| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月17日

鳥取市民限定 石破教授の講演会 すでに締め切り! 

 鳥取市民大学 (鳥取市民、および鳥取市で働く人限定)で8月19日に石破教授の講演会が催されます。
  4月30日現在ですでに申し込み締め切りとなりました。あしからずご了承ください。

 鳥取白兎伝説再考          
〜白ウサギ神話と古代の豪族〜
 因幡の白ウサギ伝説をもとに、古代の鳥取について考察する。
 石破(いしば) 洋(ひろし)   (郷土史研究家)


posted by yakamihakuto at 10:18| 講演会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月12日

図書館に拙著が

 筆者も暇に身を任せて、拙著の名前ををググルことがあります。
 すると、新たに三重県津市のうぐいす図書館と、三重大学附属図書館、龍谷大学の図書館、和光大学図書館に蔵書されていることが判明しました。
 どなたが入れてくださったのかはわかりませんが、ありがたいことです。 
公立図書館(川崎市・札幌市・三次市・岡山県・大阪市)と1箇所の大学図書館(帝塚山大学)が今までで判明していた拙著の蔵書図書館です。いずれも、筆者は寄贈していないところです。
 (実は昨年、お膝元の皇學館大學には筆者が1冊寄贈いたしましたので、これも含めると、大学は計5大学となります。)
 鳥取県県内のいくつかの図書館へは、勿論蔵書されています。
 おそらく、八上や因幡に伝承される神話をまとめた書籍が今までほとんど皆無に近かったためでしょう。
 
 しかし他の地域でもまだまだ掘り下げられていないことはゴマンとあります。ですから、全国各地の皆様、ぜひとも地元に伝わる神話伝承、神社史を研究し、先ずはインターネットで公開、そして、著作として出版していきましょう。
 そうすれば、記紀に縛られていた日本の神話の本当の姿が明瞭に現れてくるでしょう。
 
 その他にもいくつか、拙著をご紹介してくださっているブログやホームページがあり、感謝いたします。ありがとうございます。
 
posted by yakamihakuto at 21:42| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月10日

因幡の波ウサギ

 ブログを開設して5月で3年になろうとしていますが、ここで、今まで確認された因幡の波ウサギをまとめて紹介します。ぜひ地元の新聞や広報誌などでシリーズで紹介していただきたいものです。
青龍寺本堂厨子   八頭町下門尾 1
(旧福本白兎神社本殿)
福本白兎神社    八頭町福本  1※
西橋寺本堂     八頭町船岡 1
赤倉神社本殿    八頭町大江 2
金比羅大権現本殿  八頭町水口 1
西野神社本殿    智頭町西野 2
光専寺本堂     智頭町智頭 1
上市場神社本殿   智頭町智頭 1
諏訪神社 燈籠2基 智頭町智頭 2
御湯神社 燈籠   岩美町 1
岩崎神社本殿 鳥取市晩稲     1
天穂日命神社本殿  鳥取市福井 4
利川神社摂社    鳥取市青谷町 1
吉瀧神社本殿    鳥取市青谷町 1
以上20柱(羽)うち旧八頭郡に12柱 
波ウサギ ほか

八頭町見槻中の私邸(石破教授論文より)1
八頭町日田の私邸 1
八頭町安井宿 内田様 1 ※
八頭町堀越(門尾?)郡家選果場 1

置きウサギ

賣沼神社拝殿            1 ※

総計25柱(羽) うち旧八頭郡に17柱(羽)
※印はここ10年以内くらいに新たに誕生したウサギ神です。
 もっと誕生させましょう。
 もっと光を(ゲーテ)
 もっと兎を(白兎の小使い)
posted by yakamihakuto at 11:25| 波ウサギ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月09日

旧八頭郡 高龗神タカオカミを祀る神社

 旧八頭郡で高龗神タカオカミを祀る神社を同じく鳥取県神社誌からピックアップしました。

賣沼神社 河原町曳田 クラオカミも祀る
貴布禰神社 八頭町私都延命寺
貴布禰神社 佐治町栃原
 以上3社でした。
 旧八頭郡でもあまり多くないことがわかりますが、やはり、ここにも私都(きさいち)が含まれていることには着目です!

 私都の神社をもう一度確認しましょう。
麻生神社
野町神社
福地神社
市場神社(木花咲耶姫命)※
美幣沼神社
貴布禰神社(高龗神)
花原神社

 ※瀬織津姫は記紀にその名がないため木花咲耶姫命とされることがあります。
 福地には お瀧さん があり、瀬織津姫との関連がありそうです。
 
 私都谷には最大7社もの関連神社があることになるのです。少なく見ても4社です。
 私都谷は天照大神の后神としての瀬織津姫を大切に祀り続けているといえるかもしれません。
posted by yakamihakuto at 10:19| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

旧八頭郡 ミズハノメノ神を祭る神社

 ミズハノメノ神については、すでに述べたように瀬織津姫ではないかという説もあります。
 ここで、ミズハノメノカミを祀る神社を鳥取県神社誌からピックアップしました。

賀茂神社 八頭町宮谷
大江神社 八頭町橋本
赤倉神社 八頭町大江

長瀬神社 河原町長瀬
袋河原神社 河原町袋河原
都波只知上神社 河原町佐貫
中村神社 河原町佐貫
松上神社 河原町佐貫

澤神社 八東町才代 単独で祀る

若桜神社 若桜町若桜
岡神社 若桜町岡  単独で祀る
秋葉神社 若桜町岩屋堂
池田神社 若桜町中原

高山神社 佐治町高山
福園神社 佐治町福園

祓谷神社 智頭町土師



posted by yakamihakuto at 10:10| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月08日

再度、因幡 瀬織津姫を祭る神社

 この間の調査で、町村合併でわかりにくかった点があることに気付きました。
 改めて、瀬織津姫を祭る神社を掲載しました。
すると、因幡の中でも、ほんの4年前までの旧八頭郡に圧倒的に集中していることがわかります。これは石破洋教授や江戸時代の安陪恭庵に指摘されているようにいにしえの八上郡であった可能性があるエリアです。
 ◎印は瀬織津姫の祭神名で祭る神社、□印は市杵嶋姫、またはミズハノメノ神の名で祭る神社です。
 賣沼神社のみ高龗神タカオカミ、闇龗神クラオカミという名で祭られている点は要注目です。しかも、ここには明治の合祀以降、熊野神社も鎮座しています。古くから近くに祭られていたのです。
 福地神社と野町神社は記されている書物によって異なるのですが、筆者はどちらの社にもまつられているものと思います。すると私都谷にはなんと5社の瀬織津姫を祭る神社があるということです。しかも、私都市場の市場神社はコノハナサクヤ姫を祭っており、瀬織津姫との関連もありえます。また、谷の一番奥には姫路、という地名があり、ここは後世、安徳天皇隠棲の地とも伝わる由緒ある土地柄なのです。姫路の北方には八上姫の宮殿があったかもしれない酒賀神社、姫路の南方にはスサノヲノ命の宮殿があったとされる須賀の山が位置しています。

◎白坪神社 八頭郡智頭町
◎虫井神社 八頭郡智頭町
◎上市場神社 八頭郡智頭町
◎諏訪神社  八頭郡智頭町

◎東井神社  旧八頭郡用瀬町(現鳥取市)
◎日月宮   旧八頭郡河原町 (現鳥取市)
◎湯谷神社  旧八頭郡河原町 (現鳥取市)
□賣沼神社  旧八頭郡河原町 (現鳥取市) 

□赤倉神社   八頭郡旧船岡町 (現八頭町)
◎大江神社   八頭郡旧船岡町 (現八頭町)
◎隼神社    八頭郡旧船岡町 (現八頭町)

□賀茂神社   八頭郡旧郡家町 (現八頭町)

◎麻生神社  八頭郡旧郡家町私都     (現八頭町)
◎野町神社  八頭郡旧郡家町私都     (現八頭町)
◎福地神社  八頭郡旧郡家町私都      (現八頭町)
◎美幣沼神社 八頭郡旧郡家町私都     (現八頭町)
◎花原神社 八頭郡旧郡家町私都      (現八頭町)



◎舂米神社 八頭郡若桜町 
◎池田神社 八頭郡若桜町
□若桜神社 八頭郡若桜町
□江嶋神社 八頭郡若桜町
 旧八頭郡計21社


◎水戸神社 賀露神社境内 鳥取市
◎利川神社 鳥取市青谷町

◎越路神社 鳥取市越路

◎桜谷神社 鳥取市桜谷
◎立川神社 鳥取市
 計5社
因幡全体で総計26社
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2009年04月06日

八上姫の和歌

 
 火の山の ふもとの湯こそ 恋しけれ
        身をこがしても 妻とならめや
 

 八上の人、八上に縁のある人は全員知っておくべきですね。
 因幡の人にとって絶対暗誦しておくべき大伴家持の最後の和歌、そして、万葉集の最後を飾る吉兆の歌


新しき年のはじめの初春の
    今日降る雪のいや重け吉事

も、しっかり顕彰しましょう。

posted by yakamihakuto at 23:14| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月04日

八上姫と瀬織津姫 白兎ライン

 筆者は瀬織津姫と八上姫・因幡の白兎の関係について、以前より何かあると思っていました。因幡参拝旅行で、その思いはさらに強くなりました。瀬織津姫の祭られている神社にも兎神が祭られていたり、波兎が存在する例があるのです。
 瀬織津姫と八上姫は相似たところがあることはすでに述べました。
 もう一点類似点があることに気がつきました。
 ホツマによれば、瀬織津姫が天照大神との間にお産みになったオシホミミノミコトは、その名が現在の伊勢神宮外宮にある忍穂井(おしほい)、つまり上御井神社(または下御井神社)付近でお生まれになったからつけられた名前です。
 忍穂井とは天の真名井の別名です。
 一方、八上姫は大己貴命との間に御子神をもうけますが、その名も御井の神です。島根県の三井神社がそのお生まれになった場所です。どちらも清水の湧き出る聖なる地に基づいてつけられたお名前です。この点も一致します。不思議です。
 
 白兎夏至冬至ラインをもう一度確認してみます。
 するとラインの一番北には天穂日命が祭られています。天穂日命は天照大神の御子神です。一番南には八上姫を祭る賣沼神社があります。筆者の仮説によれば、八上姫は天照大神と瀬織津姫の御子神です。
 
 そして、育英小学校跡地付近に胞衣塚があります。
この胞衣塚とは八上を代表する尊い祖先神の胞衣を祭ったものではないかと思われます。ここで誕生された尊い神とは即ち八上姫ではないでしょうか。胞衣塚とは、八上姫の出生に大いに関わるものであるように思えてくるのです。
 賣沼神社横の嶽古墳は、地元の人には八上姫の墳墓ではないかともいわれています。
 実際、この白兎ライン上に、ご誕生に関わる胞衣塚、そして、葬礼に関わる墳墓がある事には重要な意味があると思います。また、変形八角形の福本70号墳もこの胞衣塚の真西に位置してるのです。これらは八上姫と大いに関連するのではないでしょうか。
 というのは、天照大神のご生誕の際に埋設された胞衣塚がある恵那山が、同じく天照大神の崩御の地と思われる丹後の大江町氷室岳と同一の緯度に位置しているのです。東のご誕生の地と西の崩御の地、東からのぼり、西に沈む太陽の復活にあやかって、適切な埋葬の地が設定された可能性があります。
 八上においても、北東から南西に伸びるライン上の北東の地に胞衣塚、南西の地に嶽古墳が位置しているのも単なる偶然とはいえないかもしれません。とにかく、古代の人々は、現代人よりも方角に対する感覚は敏感でしたし、復活・再生を願う呪術的な考え方には、現代人よりもはるかに重きを置かれていたと思われます。古代エジプトにおいてもそのような考え方が非常に強かったことは、吉村作治氏の研究によって明らかにされつつあります。
 八上姫を祭る神社は、因幡国に数箇所ありますが、その分布を見ると、八上郡と一致しません。大己貴命と八上姫の宮殿ではなかったかと思われる、兵庫県境に近い酒賀神社も八上郡ではないのです。あるいは八上姫ファミリーがすべてそろう御湯神社も八上ではありません。
ただし、八頭町大江の大江神社も八上姫ファミリーがそろっています。ここは瀬織津姫も祀られています。
 その位置関係から、むしろ八上姫信仰は因幡国全体で見たほうが良いように思えることも、以前指摘したとおりです。それは白兎が「因幡の」と形容されていることと一致します。
 石破教授も指摘されていたとおり、白兎は八上姫の化身ととらえられるかもしれません。もっとも、天照大神が八上へお越しになったときには八上姫はまだ成人されていませんが。 
 やはり八上姫は因幡の白兎と同様、因幡全体の守護神だといえます。
 ですから、八上姫、因幡の白兎、天照大神の行幸伝承、瀬織津姫祭祀の色濃く残る点、大己貴命伝承、スサノヲノミコトを祭る神社の異常なまでの多さなど、因幡に秘められた神々の謎は、現在の行政区画で縦割りで考察すると、何も見えてこなくなります。

posted by yakamihakuto at 00:51| 瀬織津姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月02日

兎発見情報

 このたびの参拝旅行で、もうでてくることはない、と思われていた波兎が4羽もいらっしゃいました。
  上市場神社  本殿真後ろ 智頭町智頭
  諏訪神社   参道の灯篭に2羽 智頭町智頭

  利川神社 摂社本殿真後ろ 青谷町
 ぜひ見に行ってください。

posted by yakamihakuto at 15:46| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

国常立命=豊受大神として転生

 若桜神社の主祭神として祭られている国常立命とは。
 ホツマでは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の宇宙根源神に相当する神が天御祖神(アメミオヤノカミ)として登場します。つまり、日本の神道と世界3大宗教の根源神とは同一なのです。
 そして、天御祖神が地球の日本に天御中主神として下生され、人類の基を形成されます。その後国常立命として転生され、国土を整備され、政をされトコヨクニを作られます。今の茨城県・福島県あたりが縁ある地の一つです。その証として日立・常陸(ひたち陸=国)・常世として各地にその名がかなり残っているのです。日立製作所のシンボルマークも主神のそれと酷似しています。(それは八上・若桜の平家の落ち武者集落、天御中主神を祀る藤原神社の扉にもあります。)そして関東地方を中心に昔はホツマ国と呼ばれていたそうです。
 それから、国常立命は豊受大神として転生され、東北で、孫に当たる天照大神のご誕生を願い、8000回のご祈祷をされます。
 豊受大神は宇宙根源神がその御神霊本体ですから、さまざまな祭祀の基礎を築かれたのでしょう。フトマニ図を豊受大神がおつくりになったのもうなずけることです。
 富士山ろくでのご誕生後はワカヒト(天照大御神のご幼名)様を東北にて養育されます。
 豊受大神は晩年には、大日霊貴命(ウヒルギノミコト)=天照大神のご要請により、北陸・山陰地方の統治に当たられます。
 その跡が、現在丹後地方を中心に数多く残る豊受大神を祭神とするおびただしい数の神社、神蹟なのです。因幡の稲葉神社、古苗代もその一つでしょう。
 伊勢神道において豊受大神は国常立命である、と提唱しているのは、ホツマをご存知の方にとってはまったく当然のことなのです。
 それを外宮の格上げのための渡会氏の策略であるなどと結論付けるのは、ホツマの視点からは愚の骨頂といえるでしょう。
伊勢外宮は、宇宙根源神を祭る超重要なお社なのです。
 しかし現在、伊勢外宮祭神は天照大神の食事を司るミケツ神としての位置づけしかなされていません。これは神宮、および歴史学会での定説となっているといってよいでしょう。伊勢神道は一時代の一説にしか過ぎないという扱いなのです。ホツマなどはいまだに一切無視です。
 筆者は、伊勢神道は本来の神道のあり方を最も反映しているものとして、きわめて重要であると認識しています。
 そして、伊勢神道の根本書、神道五部書には、伊勢内宮荒祭宮の祭神が実は瀬織津姫である、と明確に記しているのです。
(一方、瀬織津姫について、その御一生のこと、具体的なご活躍のことがほぼすべて記されているのはホツマを除いてほかにありません。ホツマを読むと、記紀が積極的に瀬織津姫を神話から除外していることがよくわかります。記紀が瀬織津姫抹消という恐るべきその編集方針に基づいて、神話ストーリーをぶつ切りにつづっていることは明白です。それだけではなく、宇宙根源神天御祖神を祭祀していることをも抹消しているのです。もちろん、これらは記紀が編纂される前にすでになされていたことかもしれませんが。)
 
 上記のようなことは、記紀によっては一切わからないことです。全国各地の神社祭神やその諸関係をつぶさに見ていくと、記紀は大して役に立たないどころか、逆にそれを混乱させるための悪書=偽書であることがよくわかります。そして、それは全国式内社の選択の根拠のわけのわからなさ、祭神隠し、祭神すり替えの痕跡ともなぜか一致してくるようにも思えるのです。(宮崎駿氏の「千と千尋の神隠し」は、この神隠し状態にある神々を世に出そうという意図があるように思えます。)
 これは、やはり、ある勢力によってトータルに意図的になされたものとしか言いようがないと思うのですが。

posted by yakamihakuto at 10:43| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

若桜神社

 このたびの参拝で初めて参拝した神社の中で、その格式の高さに驚いたのが若桜神社です。

 境内地の大きさはもちろん、境内の雰囲気があの有名な玉置神社に似ていました。奈良の玉置神社は国常立命を祭る神社で、非常に格式の高い神社です。
縄文時代の杉が立ち並ぶ、歴史的には相当古いお社なのです。
 若桜神社境内にも樹齢1000年近い杉の巨木がそびえていました。長い長い石段を息を切らせながら登り詰めると、広い境内があります。その境内にさらに石垣があり、その上に拝殿そして本殿が鎮座しています。
 その光景があの玉置神社を彷彿とさせました。
 おそらくこの社も主祭神国常立命を祭る玉置神社を意識して同じような構造にしたのではないでしょうか。
 とにかくその荘厳さに圧倒されました。
 若桜神社のことは以前、県民局の方からもすばらしい神社であるとは聞いていました。しかし、実際に行ってみなければそれは実感できません。
 若桜の人たちの信仰心の強さを実感しました。

 以下は鳥取県神社誌から編集しました。

「祭神 国常立命 
合祀 天照大御神 ホンダワケ尊 素佐乃男尊、天御降産尊 保食神 倉稲魂神 菅原道真命 大己貴命 豊受神 ミズハノメの神 オオヤマズミの神 カグツチノ神 イザナミノミコト
 創立年代明らかならず。往古より松上大明神と称し、郡中の大社なり。当社始め若桜郷鶴尾山字八平谷に鎮座せられ、古来武将の崇敬篤し。…元弘三年五月後醍醐天皇隠岐より御還幸の途、名和長年鋒を奉り…

 これほどの規模の神社が式内社になっていないことも注目すべきことです。
 八頭郡の観光地の目玉となるべき神社であることには間違いありません。因幡でもっとも荘厳なお社の一つです。ぜひ行ってみてください。行かなきゃわからないことはあまりに多いのです。

posted by yakamihakuto at 00:13| 瀬織津姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月01日

天照大神八上行宮の期間は?

 天照大神が八上の伊勢ヶ平を拠点にしてしばらくの間行宮されたのはほぼ間違いないようです。それは、今まで検証してきた地域に残る遺跡や、伝承などによって立証できます。これに加えて、筆者が以前より注目しているホツマにも、天照大神の山陰地方行幸のことが記されています。
 天照大神は、丹後にいらっしゃった豊受大神の崩御直前より、丹後にお越しになり、天照大神は豊受大神崩御後も、丹後の人たちに引き止められて、しばらくとどまられました。この「しばらく」という期間はどれくらいかというと、関西ホツマの集いの清藤代表にお聞きすると、ホツマに記された暦から、十年間とわかるそうです。(6紋に記されています。)
 以下は筆者の想像も交えます。
 その十年間の間に隠岐、八上にもお越しになったと思われます。八上の伊勢ヶ平にどれくらいいらっしゃったのかは不明ですが、おそらく1〜2年間くらいはいらっしゃったものと思われます。
 瀬織津姫は豊受大神が崩御されたとき、しばらくは伊勢伊雑宮におられ、その後、和歌山にワカ姫とともに稲虫の駆除に出かけられます。その報恩の印として、和歌山の人々は日前国懸宮を瀬織津姫に提供されます。ワカ姫には玉津島神社を提供されます。これらはホツマの記述によってわかることです。
 瀬織津姫は、そこから伊雑宮へお帰りになったか、または、そのまま、天照大神のいらっしゃる丹後へお越しになったかもしれません。それが綾部市に残る私市なのかもしれません。
 そして、天照大神とともに山陰地方の行幸に向かわれます。
 八上にしばらく行宮されるときに、瀬織津姫は伊勢ヶ平にいらっしゃった事でしょう。あるいは私都にいらっしゃった可能性もあります。
 その候補地は現在瀬織津姫を祭る私都の4〜5つの神社の地のいずれかである可能性が極めて高いといえるでしょう。
 そして、記紀やホツマにも記されていませんが、この地でもう一人御子神をお産みになります。
 それが八上姫と思われます。
 この姫は何かの事情、慮りで、この八上の地で地元の人に養育されることになりました。

 八上姫の特徴と瀬織津姫の特徴が、どちらも性格も良く容姿端麗であったこと、広範に流れたうわさを聞きつけて、出雲から八十神、大己貴命が求婚に来られたこと、時代的に一致することなどを考慮して、八上姫が天照大神と瀬織津姫との間に誕生したという可能性は十分にあるのです。
 そして、このたびの参拝で、ほぼ、八上姫と非常に縁の深い賣沼神社境内に熊野神社、タカオカミ、クラオカミが祭られていることが判明したことから、このお社も瀬織津姫とかなり濃厚な関係を有しているといえます。
 すると、筆者の想像もまんざらあてずっぽうではないのではないかという気がしてくるのです。
posted by yakamihakuto at 00:53| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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