2009年05月23日

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 My website is continued to the Yakami White Hare Shrine ブログを開設して早や3年が過ぎました。1昨年にはこのブログ記事を元に著作を出版し、今2冊目の著作を準備中です。今まで公開してきた記事内容は、当面、既刊の著作「八上神秘の白兎と天照大神伝承」と2冊目の著作にて公開いたします。 
 なお、ブログ八上 白兎神社 の続き、 Blog Yakami White Hare Shrine こちらです。よろしくお願いします。まだ使い方など慣れていませんので、少しずつ、進めていきます。
posted by yakamihakuto at 12:08| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月14日

八頭町観光ガイド

 今年3月に、「八頭町観光ガイド」というパンフレットが完成しました。このブログのコメントに寄稿してくださるかぎやさんから頂戴しました。ありがとうございます。
 デザインや写真のアングル、処理がまことに巧みで、八頭町のイメージアップに大きく貢献するものとなっています。今まで作成された中でおそらく最高のできばえといえるのではないでしょうか。
 これは八頭町産業課、八頭町観光協会が作成されたものです。
 そのデザイン性の高さもさることながら、内容が斬新です。
 なんと史跡名所のコーナーでは「白兎の伝承」散策、と題して、八上の白兎神社3社と波ウサギのある寺社が紹介されています。少し前までは、考えられなかったことです。
 八頭町、八上は本当にすばらしい歴史と遺跡を残しています。これは司馬遼太郎氏も指摘していたことで、筆者も以前紹介したことですが、因幡は本当に古いものを大切に残しているところです。
 そのおかげで、記紀の神話を覆しかねないような独自の神話伝承とそれに基づく遺跡や地名が多く残っているのです。それらの価値はもちろん、記紀ではわかりません。
 しかし、偽書扱いされているホツマによってその価値が明確に表れるのです。これも実に不思議なことです。ホツマなど、学会ではまったく相手にされていないのですが、全国各地の記紀に記されなかった神話伝承を丁寧に調べていくと、ホツマの記述に近いものが多く得られるのです。
 八上の伝承、遺跡はかなり近い将来、全国から大いに注目されていくこととなるでしょう。
 八上の皆さん、因幡の皆さん、その価値をしっかり再確認しましょう。皆さんのルーツをたどると天照大神直系の血統であるだろうことも改めて再認識しましょう。
 そして、八上姫は八上の一部地域ではなく、因幡の白兎と同じく、因幡全体をご活躍の舞台とされていた、とみなすのが妥当でしょう。
 筆者は神話時代の八上姫の出生地は八上、八頭町宮谷、ご活躍の舞台は因幡、伯耆、出雲、奥都城は八上、河原町曳田ではないかと推測しています。
 この八頭町観光ガイドの良い点は、その範囲を八頭町のみに限定しようとしていないことにあります。
神話伝承時代の八上や因幡、山陰を現代の行政区画で割って、他の地域との関連を捨象してしまっては、神話伝承の意味が、遺跡の意味が不明となるのです。その枠を超越しようとする志向性が、この「八頭町観光ガイド」にあることは、また大いに評価されるべき事である、と筆者は思います。


posted by yakamihakuto at 00:21| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月12日

豊受大神の伝承

 前回のブログ記事で、天照大神伝承が極めてまれであることを述べましたが、記紀がほとんど抹消した、豊受大神のご業績、ご活躍の舞台についても、同様です。
 「豊受大神 伝承」 で検索して出てくるのはやはりホツマ関連と丹後地方がほとんどです。それに関連して、このブログも引っかかってきます。
 丹後はその点で貴重な伝承を残してきている大切なところです。以前にも記したとおり、羽衣伝承や浦島伝説で豊受大神のご業績や伝承を覆い隠す、あるいは捻じ曲げようとした形跡が読み取れます。
 この点から、意外にも今まで誰も指摘してこなかったことが判明します。即ち日本書紀を編纂した時点で、すでに外宮は低く扱われていた、ということです。そして日本書紀の記述のとおり、書紀に出てくるどの一書にも雄略22年の外宮遷宮のことが記されていないとするならば、その時代はもう少し古くなるかもしれません。つまり最も古くて雄略22年となります。この時点以降より、外宮祭神を低めようとするなんらかの勢力による動きがあったといえるように思えます。

 これは、因幡においても同様である、と筆者は思っています。
 天照大神の八上行宮、とそれに関わる白兎神の伝承は、古事記の稲羽の素菟神話で見事に覆い隠されたといえると思います。
 もちろん、大己貴命が因幡へお越しになったときに白兎が現れたことでしょう。
 しかし、白兎がワニを騙して云々は後世の古事記執筆者の作り話です。
 
 京丹後市峰山町と網野町にまたがる風土記に記された羽衣伝説とは、男神、豊受大神を女神に仕立て上げるためのもの、しかも、天御中主神、国常立命の転生、即ち根源神であることを否定して神格を低めようとする意図を持って、奈良時代以降に新たにファブリケートされたおとぎ話にすぎないものと思われます。
 以前記したとおりですが、浦島伝承も雄略22年7月に竜宮へ出発、とはちょうど同じ年の同じ月に丹後の元伊勢から伊勢山田へと豊受大神の遷宮が開始されたタイミングに合わせており、しかも日本書紀には、この遷宮の事実を一切無視して、浦島伝承を記しているのです。
 このことからも日本書紀の執筆者が伊勢祭神をいかに低く扱おうとしているかが、よくわかります。
 記紀・風土記のこのような意図を見抜くことが大切です。
posted by yakamihakuto at 10:06| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月09日

ブログ開設3周年

 八上 白兎神社のブログを開設して、早や3年がたちました。
 この間で、当初思ってもいなかった展開となってきました。石破洋教授や、地元の郷土史研究家の新誠さんを始め、多くの方々の尽力と、このささやかなブログの宣伝も相俟って、地元の皆さんに何らかのインパクトをもたらすことができたのではないかと、自負しています。
 その一つの変化が、このたび因幡で開かれている、因幡の祭典で作成された観光案内に表れていると思います。
 今まで、八上(八頭町)福本の白兎神社が観光案内に登場したことは皆無でした。今でも、大手の地図作成会社のどの地図を見ても、福本の白兎神社が、たとえその名はなくとも、鳥居マーク一つさえも掲載されていないにもかかわらず、です。
 また、まったくといってよいほど忘れ去られてきた天照大神伝承も、少しずつクローズアップされています。この伝承は、関連する河原町、若桜町との連携がなされることによって初めて、全貌が浮かび上がってくるものです。そして、天照大神の伝承がこれだけ広範囲にまたがって色濃く残る場所は、全国どこを捜しても見つかりません。それほど、八上は意義のある場所なのです。
 ためしに、「天照大神 伝承」で検索してみてください。 拙著が多く引っかかってくるのはわずらわしいですが、それ以外を注意深く探してみましょう。本当にそれに基づいて検索されうる他の場所は、以前にも記しましたが、きわめて稀なのです。
 この大切な伝承をもっと顕彰していくことが、今後より重要となります。
 また、その内容は、記紀しか対象とならなかった今までの神話研究に大きな波紋を投げかけるものであることも、このブログですでに強調しているとおりです。

 



posted by yakamihakuto at 00:10| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月02日

福本の金山谷

 4月30日の日本海新聞に、またまた八頭町、霊石山麓、(中山)の福本の記事が掲載されました。
 八頭町の黄金伝説 光る物が見える「金山谷」と大きな見出しです。この伝説は、福本のある方が一冊の本としてまとめていたことから、ちゃんと伝承が途絶えることなく残りました。このようなことは非常に大事です。

 その記事の中には石破教授のコメントが掲載されていますが、やはりこのような伝説が残るのも、霊石山、中山一帯が、聖地とされてきたからに他ならない、ということを指摘されています。ますます注目を浴びる八上です。
 因幡は宝庫だらけですね。それを活かせるか否かは、私たち次第です。
posted by yakamihakuto at 14:50| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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