2006年05月25日

神蹟 月の輪田 丹後の真奈井原

 現在の月の輪田は昭和の圃場整備によって、元の地より移動・縮小されましたが、これはそれ以前の、つまり伝承のままの貴重な写真です。
元のとおりに復元されることを切に願います。


神蹟 月の輪田
posted by yakamihakuto at 13:28| Comment(12) | TrackBack(0) | 元伊勢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
月の輪田(半月の月)とは、世界では古代から神聖な方角は東とされていたようで、日本以外では、冬至の日の日の出が神聖(動・植物の再生)と考えれらていたようです。でも、日本では上弦の月(つまり半月)の月の出(東)のとき、太陽は必ず真南に位置する。つまり、一番高い位置となる。そして、昔から満月を十五夜と言いますが、この場合、上弦の月は、新月から八日目の月となります。上弦の月は弓に例えられ、太陽は、弓矢と考えると、東の空から弓を射ったように見えると思います。
弓矢は古来から神聖なものとして、武士が神社に奉納されますし、破魔矢はほとんどの神社にあります。
茨城県常陸太田市には、馬場八幡宮と言う神社から真東の山に真弓神社があります。真弓神社の伝承に、「源義家は、陸奥を平定し、凱旋の日に、真弓神社で弓八張を奉じる」とあり、弓八張とは、たぶん八日目の月のことを表しているのだと思います。数字の8も神聖なようで、伊勢神宮では、八開手というおまえりの方法があるようです。
半月は必ず太陽の前後ろ90度になることは、ウィキペディアにも紹介されています。
Posted by 上弦の月は弓 at 2013年03月15日 11:30
 上弦の月は弓さん、 コメントの御返しが遅れて申し訳ございません。

 そうですか。 
 月と日の位置関係がちょうど90度になるのが半月ですね。それと弓矢の関係、数字の8との関連、またこのことから、神社や神奈備山の位置関係も新たに判明してきそうですね。
Posted by 白兎の小使い at 2013年03月20日 09:59
月の輪田(半月の月)について、大切なことを忘れてました。日本への渡来氏族の波多(秦)氏は、弓月君が率いてきたことになっています。また、日本の文化・経済・宗教・技術・政治などに、深く影響を与えたことになっています。稲作においても同じだと思います。秦氏の祖の弓月君の弓月は、=弓張月=上・下弦の月=半月の月となり、秦氏にとって月の輪田は神聖なものだと思います。
Posted by 上弦の月は弓 at 2013年04月07日 10:08
 秦氏が日本の文化・経済・宗教・技術・政治などに深く影響を与えたのは間違いないと思います。
 秦氏が日本へ来た当初は、仲哀天皇崩御から応神天皇即位まで、70年間もの大空位時代を余儀なくされたことから、政権を簒奪する勢いだったと思いますが、日本の神々の力を背景とする皇室の御稜(みいづ)によって、所期の目的はついぞ果たされず、結果として皇室を守る側になっていったようですね。
 月の輪田が半月形をしていることと、秦氏とは歴史的時代が異なるので、関係ないのではないでしょうか。
Posted by 白兎の小使い at 2013年04月08日 23:46
以下、これまで私が調べた結果の私見として述べます。
常陸太田は河内(清和)源氏で源頼義の三男の義光の孫佐竹昌義が常陸佐竹氏の城があったところです。また、馬場八満宮は佐竹氏の氏神様となります。
馬場八満宮を起点とした半月の月と太陽の関係について、真東に真弓神社があることはすでに述べました。馬場八満宮から、真南に進むと高房神社、天白羽神社、岩船神社(御祭神:饒速日命)そして、久慈川となり、矢=太陽=饒速日命となります。(地方の田舎の話ですいません)
真弓神社を弓=弓月君(秦氏)=神功皇后と考えると
馬場八幡宮の御祭神は物部氏の祖:宇摩志麻遅命となってしまいます? 
京都・奈良にある石清水八幡宮(真弓八満宮)と手向山八満宮について、同じように半月の月と太陽の関係で示すと、(真東,真南からは若干外れます)
真弓八満宮から東に進むと兵主大社(滋賀県野洲市)で、真弓八満宮から南に進むと石清水八幡宮を通り、饒速日墳墓に至ります。
また、手向山八満宮から東に進むと雲出神社(元伊勢とのこと)で、手向山八満宮から南に進むと石上神社、穴師坐兵主神社、大神神社(御祭神:大物主大神)となります。
秦氏は、スサノオ(新羅系)を通して物部氏との関係もあり、ずっと大王家を支える月でいたかったのばないかと思います。
Posted by 上弦の月は弓 at 2013年04月09日 11:57
 貴重な研究成果をお知らせいただき、誠にありがとうございます。

 史実は一つであっても、歴史への視点は、人によってさまざまだと思います。
 秦氏と激動の応神期などについてはこちらで記したものがあります。
http://white.ap.teacup.com/hakuto/1561.html

http://white.ap.teacup.com/hakuto/1265.html
Posted by 白兎の小使い at 2013年04月10日 06:43
こんにちは
月ノ輪田について調べているうちに、こちらのページにたどり着きました。
私は京丹後出身で、趣味で丹後ちりめんの雑貨を作っております。またホームページでいろいろ丹後について紹介しています。
今年、月ノ輪田は地元の方により復活されました。ホームページで紹介したいと思っています。白兎さんのこの昔の月ノ輪田の写真を遣わせて頂いても宜しいでしょうか。
何卒よろしくお願いいたします。

ヤマネ

Posted by ヤマネ at 2013年06月19日 08:58
ヤマネさん、ありがとうございます。
 
 吉報、誠にありがとうございます。
 以前より、私も望んでいたことが、特に中山市長のご尽力によって成し遂げられたのではないかと推察しております。
 また近々、出かけてみたいと思っております。

 鳥取の古苗代は跡形もなく住宅地と化してしまいましたが、何とか、復元して、伊勢神宮へ初穂を奉納できるようにしたい、と思っております。 
Posted by 白兎の小使い at 2013年06月19日 10:37
白兎さま

ありがとうございます

さっそくブログの記事をアップしてみました。

丹後出身の私でさえ、元伊勢や月の輪田のことを知ったのは最近です。
天女伝説や多くの古墳があることは皆よく知っていますが、天女、月の輪田、元伊勢、古墳、、、いろんなことが結びついたのはここ一年です。

たくさんの人がこの魅力に気がついてくれると良いと思います。

ありがとうございました。


Posted by ヤマネ at 2013年06月22日 08:29
 ヤマネさん、本当にありがとうございます。
 この一大ニュースに気付かないでいるところでした。 
京丹後には、豊受大神と天照大神の奥都城がありますので、この点からも非常に大切な場所です。それに関連する神蹟がこのような形で復活し、しかも、府知事や伊勢神宮の方々にも知っていただけることになり、たいへんうれしく思います。
やはり、昨年の月の輪田へのコウノトリの飛来が、すでに、吉兆を示すものだったようですね。
Posted by 白兎の小使い at 2013年06月23日 23:03
白兎さま

白兎さんのブログに、ちりめんリボンの月の輪田の記事を紹介して頂いてありがとうございました。
何人もの方にいらっしゃっていただいたようです。

月の輪田に復活のことが、白兎さんのような方にさえ情報が伝わっていなかったことに少し驚いています。

このような取り組みは地元だけではなく、白兎さんのような方々に伝わらないと、この先の月の輪田の盛り上がりは期待できないのでは、と思います。

中山市長は生まれたばかりのこうのとりの赤ちゃんが巣から落ちたときも、自ら現地に行き、こうのとりを助けるのに協力されたと聞いております。


鳥取の古苗代もはやく復活されると良いですね。

夏には稲穂が実った月の輪田の記事をアップしたいと思います。

ありがとうございました。





Posted by ヤマネ at 2013年06月27日 21:52
 ヤマネさん、ありがとうございます。
 古苗代も何らかの形で早く復活させたいと思っております。

 月の輪田の稲穂が育つのを楽しみにしております。宜しくお願いいたします。
Posted by 白兎の小使い at 2013年06月28日 14:07
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