2007年04月30日

大江と大江神社について

 大江について
 ところで大江氏の由来は、定説では桓武天皇の御代、現在の京都市西京区大枝(おおえ)を発祥の地とするそうですが、八上の大江は、その後の命名となるのでしょうか。式内社の大江神社は、平安時代に大江氏が登場する前にはなんと呼ばれていたのでしょうか。財原明神とも呼ばれていたそうですが大江、と名のり始めたのは、大江広元が八上に来る前からだったようです。
 大江広元は、因幡に数ある土師氏系の神社から、船岡の大江神社を自らの氏神神社として選び出したのは当時において、相当な社格があったことと、由緒が伝えられていたからに違いありません。大江広元が因幡国守を務めたころに、正一位大権現にまで社格が上げられました。
 わかる範囲で大江神社とかかわりのあった大江氏の名前を挙げてみます。

大江氏雅 
     859年 因幡国守 社殿再建
大江定基 伝和泉式部の父
     927年 因幡国守 社殿再建
大江広元 1184年〜1185年因幡国守  大江神社を氏神神社とする
大江師貞1387年 地頭で智頭の虫井神社を山頂部より山腹へ遷座したときの願主
 
 大江氏がこの大江神社の神職として少なくとも約500年間、代々関わっていたように思えます。
 規模の大きい神社は国が管理するようになった明治以降は世襲制が禁止されてしまい、伊勢神宮も、現在は内宮の荒木田氏や外宮の渡会氏等が祭祀を継承しているわけではありません。出雲大社は、確か南北朝時代ごろに社家が分かれたものの、現在もなお世襲制を守っています。
 しかし、明治以前の神社は、代々の世襲神主が継承しているところが多かったのです。よほどの政変や戦乱の激しかったところ、祭祀の継承がなんらかの理由で途絶えた神社等はもちろん別です。
 
 その後、大江谷の3つの大きな社である大江神社と塩野上神社、そして赤倉神社ともに、林氏を名のる神職が仕えていたようです。大江は姓であり、苗字ではありませんから大江氏の末流はたとえば、毛利氏や長井氏、等々を名のるようになります。林氏も大江姓の流れを引くものであると思われます。もっとも、大江谷のほとんどの家系が大江氏をルーツに持っているように思われます。
 
 赤倉神社 1719年林権少輔が大江神社より独立して社を再興 (現在も林氏が神職を担っています。)
 つまり林氏が大江神社に仕えていたことが伺えます。
 塩野上神社  由緒書きには  神主は、大江神社の神主林左京亮藤原忠継 と記されており、大江の3社にいずれも林氏が神職を務めていたことがわかります。
 大江神社は現在、勝連(かつら)氏が神職を務めており、年に一度巫女舞が催されているそうです。
 また、「ヒューマニズムの先駆」として称えられている大江卓氏も大江神社を参拝して、社殿の扁額を寄贈しています。
 
 大己貴命がここで民を教化した、という伝説の残る地ですから、社も相当の歴史を持っているのは間違いないでしょう。最近の鳥取大学の地域学部の学生の皆さんによる調査によれば、大江神社にも素兎の神が土地の守り神として祀られているらしい事も判明しており、(地域学部地域文化学科のホームページを参照してください。)八上姫も祀られているようであることと併せて、大江神社が白兎伝承の重要なキーを握る社のひとつであることが浮かび上がってきました。
 


posted by yakamihakuto at 17:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 大己貴命 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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