2008年07月15日

祇園祭の天照大神と瀬織津姫命

 祇園祭 四条烏丸西入る 岩戸山の御神体、天照大神です。
 (偶然にもこの岩戸山のすぐ東に因幡由来の因幡堂があり、大江町という地名もあります。因幡ルーツの人たちが多くいたところなのでしょうか。)
 岩戸山保存会の方にお聞きしたところ、現在の像は、天明の大火で消失後、作られたものだそうです。おそらく当時の人たちも、それ以前より伝わるお姿で作られたのだと思います。

 祭りで男性ばかりだから、天照大神を男性にしたものだという説もあるようですが、太陽神は世界的にも多くは男性の神として認識されており、保存会の方も男神か女神かに疑問をお持ちでした。
 祇園祭の、特に山や鉾は地元の人々によって維持されてきたもので、民の祭りであるといえます。
 
天照大神御神像

















こちらは、明治期に、この岩戸山の模型が作られたようで、天照大神は凛々しい男性のお姿をしておられます。

天照大神御神像2














 




烏丸三条上る 鈴鹿山の瀬織津姫命です。現在、保存会はわずか12軒だけで、周りの企業の方が持ち回りでお世話をされているようです。
 こうして、天照大神と瀬織津姫は、あたかも七夕伝説と同じようにこの祇園祭のときに密かにそのご関係を表わしているといえるかもしれません。烏丸通を一条おいて、位置する男神天照大神と、瀬織津姫、真の事実を知っていた人々が、祇園祭に意図して2つの山を取り入れたのではないでしょうか。

瀬織津姫












 


 同じく岩戸山のご祭神、イザナギノミコトが現実離れした肌の色や形相であるのは、保存会の方のお話によると、この世とあの世を結ぶ神であることの象徴であるのではないかということでした。御子神である天照大神とあまりにかけ離れたお顔はどうしてか、という疑問が少し解けたようにも思いました。 


イザナギノミコト


posted by yakamihakuto at 13:42| Comment(1) | TrackBack(0) | 瀬織津姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 天照大神と瀬織津姫は本来同じ境内位置にほぼ同じ大きさの社殿で祭られていたと思います。その名残が三重の滝原宮であり、和歌山の日前国懸神社と思われます。
 
Posted by 白兎の小使い at 2008年09月22日 22:57
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