2008年08月08日

源氏物語の瀬織津姫

 今年は源氏物語が世に出て1000年目に当たります。筆者は、源氏物語など、高校時代には一切関心がなく、惜しくも先日亡くなった赤塚不二夫の漫画版の源氏物語(光源氏をあのシェー、のイヤミが、桐壺帝はバカボンのパパが演じるなど、赤塚漫画のキャラクター総動員の超豪華キャストで、華麗なる王朝絵巻が描かれています。)を手にして、少しストーリーの概要がわかってきた程度のものだったのですが、ここへきて、瀬織津姫が橋姫として登場していることを知り、もう少し深く内容を知りたくなったところです。
 光源氏亡き後の、宇治十帖(第45帖)の「橋姫」では橋姫にちなむ和歌が登場します。橋姫とは、宇治橋の西側に祀られている橋姫神社に因みますが、祭神は瀬織津姫です。源氏物語にはもちろんこの神名は記されていません。宇治はもともと菟道という漢字が当てられており、兎とも関連のある地です。藤原氏がこの地に別荘を建てて以降は藤原氏の拠点のようになったところです。
 ウィキペディアによれば源氏物語の橋姫以外に、嵯峨天皇の時代、すなわち、源氏物語が書かれる200年位前には、「橋姫は夫に裏切られて憎悪と殺意に駆られるあまり宇治川に身を浸し、生きながらにして鬼と化し、願いを成就させたと伝えられる女性。 丑の刻参り参照。 「宇治の橋姫」とも。  能面のひとつ。復讐に燃える怨霊の女の形相を象ったもの。」と、なにやらマイナスイメージを持たされてしまう存在として描かれているのです。
 しかし、源氏では 薫が詠んだ和歌「橋姫の心を汲みて高瀬さす棹のしづくに袖ぞ濡れぬる」が紹介され、橋姫へのマイナスイメージは微塵もありません。これはいったいどうしたことでしょう。竹取物語にせよ、伊勢物語にせよ、藤原氏を暗に批判する箇所が秘められているのはつとに有名で、源氏物語も藤原氏を批判したものではないか、という説もあります。「大鏡」などは藤原氏を揶揄した痛快な歴史物語としてあまりにも有名です。いずれの書も、実際の執筆者が明確にはされていないのも共通しています。

 紫式部もどのような人物であったかは実はあまり良く分かっていないそうです。
ただ、紫式部の墓所は、京都市上京区の紫野、島津製作所の隣にあります。そこに、反藤原で知られる小野篁(タカムラ)の墓と並んでいるのです。小野篁と紫式部では、生きていた時代が150〜200年近く離れていることも不思議です。生まれ変わり=輪廻転生思想とも関連するのでしょうか。「これは愛欲を描いた咎で地獄に落とされた式部を、篁が閻魔大王にとりなしたという伝説に基づくものである。」という説もあります。
 しかし、筆者はむしろ、これまでのさまざまな考察から推察して、おそらく藤原氏によって作り上げられた、橋姫への恐怖のイメージを払拭した功労者、と評価します。
 紫式部は、宇治十帖に、何等かの意図を持って、瀬織津姫=橋姫を登場させたのでしょう。紫式部は、汚名を着せられた橋姫の名誉復権のために一筆書き上げたように思えてきます。
 また、筆者は中臣氏と藤原氏では瀬織津姫に対する扱いが異なるように思います。
 以下は筆者の推論です。藤原氏は、徹底して、瀬織津姫を悪の権化、にしようとしたのではないでしょうか。藤原氏の本拠であった宇治におけるこの橋姫の話はあまりにむごい内容です。一方で、中臣氏は昨年8月の記事「広田神社」でも紹介したように、大祓祝詞に瀬織津姫を登場させています。
 このことからも筆者は、藤原氏の系統と、それに服従させられていた中臣氏とは明確に区別した方が良いように思われます。

 

 橋姫の帖には、単なる偶然かもしれませんが、八の宮という、光源氏の腹違いの兄弟が登場します。(3の倍数ではなく?)八、という数字に敏感になっている筆者には、すぐに天照大神との関連が思い浮かびます。単なる偶然でしょうか。桐壺帝の皇子は全部で十名ですが、主な人物は光源氏と朱雀帝、蛍兵部卿宮と八の宮なのです。しかも、この八の宮は橋姫の帖にしか登場しません。実にみごとに符合しています。
 紫式部の描く平安貴族の世界観では、神道の力ではもはや力が弱く、仏教に帰依することなくして、日本の神々も含めて、安寧は得られないという考えが主流となっていました。それゆえか、京の都(京都市)には、宮中も含め、天照大神を祭る神社はほとんどありません。その意味では先日紹介した祇園祭の岩戸山は貴重な存在、といえるのではないでしょうか。(三条蹴上近くの日ノ岡に京の伊勢神宮とも言われる古いお社=日向大神宮がありますが、ここでは、伊勢外宮の神として、天御中主神が祀られているのも特筆すべきことと思われます。伊勢神道との関連もあるのではないかと思われますが、詳細は今のところわかりません。しかもその位置は、伊勢と丹後の元伊勢を結ぶライン上です。)
 源氏物語には野宮の斎王のことも登場します。仏教的世界観が支配する平安の世において、伊勢神宮や神道にかかわる行事が描かれていることは非常に重要です。何しろ平安貴族の世界観では、仏教に帰依しなければ、来世はないものと思われていたのですから。
 長谷寺詣でのことも描かれていますが、この長谷寺には今年4月に紹介したように、天照大神の降臨伝承が伝わり、天照大神の男神像が鎮座しているところです。このように源氏物語では、神道の重要なことがらについて、ちゃんと要所要所に描かれているのは非常に意図されたものではないかと思われます。
 本地垂迹という説が、法華経または、天台宗あたりから発生して、福井の気比神宮や若狭彦神社に藤原氏が神宮寺を建立したことから、全国各地の著名な神社のそばに神宮寺が建立され、時代のイデオロギーとして、その後日本社会に根付いていきました。
 鎌倉時代に伊勢外宮から伊勢神道が発生したのも、このような背景があり、それに抗する意図が当然あったものと思われます。

 思い出しました!そういえば、八上ー因幡と非常に縁のある大スター、沢田研二が源氏物語の光源氏の役をしたことがあります。
posted by yakamihakuto at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 瀬織津姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/388410225
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。