2009年02月16日

因幡と土師氏

 天照大神の御子神である天穂日命を祖神とする土師氏が因幡の白兎と大いに関連を持っていることは、すでに判明しています。
 筆者は土師氏は記紀によって改ざんされる前の歴史時代、神話時代の事実を、知っていたのではないかと推測しています。
 ここで、再度因幡国内の土師氏に関連する地をあげてみます。
八上の土師郷ー土師百井、池田、福本、門尾、稲荷
3つの白兎神社  私都川はかつて土師川と呼ばれていました。この土師百井が、八上の、そして因幡の中心部の一つであったと推定します。もと白兎神社の存在、律令時代の大伽藍の寺院の存在、等々からそういえるでしょう。
   大江谷全集落 橋本(土師元)がその中心地でかつて国府があったという説も。大江神社がある。   
   私都谷 大江氏系の毛利氏の拠点
   日下部 天穂日命を祀る神社
   丹比 土師氏と関連がある多治比氏より
   舂米 大江氏の流れを汲む水谷氏
   高草 白兎神社、
   能美郷 大野見宿禰命神社 大江氏の拠点、天穂日命神社他

   土師郷(智頭町)土師神社

 因幡、八上は「土師氏の一大拠点」といっても良いのではないでしょうか。全国的にこれほど土師氏の地域が集中しているところはないのではないでしょうか。そして、これに重なるように瀬織津姫が、全国一の密度で奉祭されていることと関連があるといえるのではないでしょうか。
 土師氏は、瀬織津姫がいかなる神であるかを正確に知っていたはずです。そうであるがゆえに、瀬織津姫を封印したと思われる藤原氏との拮抗があったのでしょう。

      


posted by yakamihakuto at 10:23| Comment(10) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
昨秋のシンポで土師氏と古代豪族物部氏との関係をはじめて知りました。
藤原系により記紀以前の歴史が抹殺され、以来藤原系の流れで日本の歴史が続いてきたことは、結局天皇制を守るための必然だったのでしょう。
闇に葬られた事実、確かに記紀以前の歴史がここにあったという事実を、ここに住んでいる私たちはもっと大切にしなければいけないし、誇りに思っていいと思います。
Posted by funaoka/fukumoto at 2009年02月20日 14:26
 私たち因幡ルーツのすべての人が土師氏と濃厚な縁を持つこと、即ちルーツをたどれば天照大神が直系の祖先神であることを自覚することだけで、ずいぶんと変わってくるのではないでしょうか。言い換えれば、天照大神の直系の子孫たちがこれほど集中している地域はないのではないでしょうか。
 ほんの数年前までは、八上のほとんど誰にも知られていなかったことが、どんどん明らかになり、しかもその歴史的意義の大きさに本当に驚きますね。
 中央の史観では消されてしまう真相を突き止めるためのヒントが横たわっていますね。
Posted by 白兎の小使い at 2009年02月20日 23:49
今日、姫路公園かまくら祭に行くため、私都谷の姫路に上がってきました。

行く途中、福地のところにヤマメ養殖場の看板があり、その看板に「お滝さん2キロ」という表示がありました。
福地部落の先に「落岩」部落。
滝、岩・・・。ははあ、これですね。
ハンドルを握りながら想像を巡らせていました。
姫路の「姫」も意味がありそうな・・・。
Posted by funaoka/fukumoto at 2009年02月23日 01:15
 姫路という地名もこれまであまり深く考察されてこなかったことですね。高貴な姫がいらっしゃったからその名がついたはずでしょう。私都谷に祀られる女神は瀬織津姫と木花咲耶姫であり、姫路が須賀山の尾根伝いで、北方に酒賀神社があることも考慮すると、ここにも宮殿があった可能性もあります。かつてのそのような地であったために、安徳天皇ご一行がご隠棲の地として選ばれたのかもしれません。
Posted by 白兎の小使い at 2009年02月23日 10:16
はじめまして。

このサイトを拝見して、子供の頃登った伊勢がなるにもう一度行って見たいと思いました。

テレビ塔のところから行こうとしたのですが、なにぶん遠い昔のことゆえ、記憶があいまいで…。(^^;

残念なことに迷ってしまい、いけませんでした。

暖かくなったら、もう一度チャレンジしてみようと思います。

郷土の歴史には興味がありますので、いろいろなことを教えていただき、ありがとうございます。
Posted by イドフの友 at 2009年02月25日 01:43
 はじめまして。
 実は昨秋に、郷土史研究家の新さんも、山頂のテレビ塔から伊勢ヶ平への道がわからなくて、そのとき私にメールで、道を尋ねてこられました。そのとき鳥取市からいらっしゃった方も数名同行されていたそうです。
 テレビ等の広場(山頂)からほぼ東南ですから、パンフレット置き場のある場所の近くに少し下りになる道があります。道なりに進むと、分岐があったと思いますが、右側の道を選びます。道は消滅しかかっていますが、なんとなくわかるものです。
 とにかく、テレビ塔広場からほぼ東南方面を意識して約10分程度の歩きで到着します。コンクリートブロック製の休憩所が見えたらその左手です。それが見えなくても到着できるかもしれません。 
 
 しかし、これって、私が白兎と同様の道案内をしていることになりますね。
 現代版の八上の白兎とは言い過ぎかもしれません。
 ところで、イドフ、とは意味深長な響きがあり、思わずグーグル検索してしまいました。
 もしよろしければ、少しお聞かせください。
Posted by 白兎の小使い at 2009年02月25日 10:25
こんにちは。
イドフとは、エジプトにある土地の名前です。イドフに興味があるので、この名前にしました。
でも、ふりかけみたいな名前になり、ちょっと失敗。。

イドフの近くにINEIBAという今は泥に埋もれた町があります。因幡と響きが似てませんか。太古の国境なき時代には、もちろん漢字もありません。偶然でかもしれませんが、面白いですね。

伊勢がなるの場所、よく分かりました。
分岐までは行ったのですが、何も標識がないのでうろうろしてしまいました。
また、リベンジしてみます。ありがとうございました。
Posted by イドフの友 at 2009年02月25日 18:00
 エジプトと日本でなにやら関係が伺えそうですね。人知を超えたレベルかもしれません。私の思いつくところではピラミッドですね。元伊勢内宮の神体山、氷室嶽は人工的に形を整えられています。
兵庫県の社、西脇、市島あたりも、これはピラミッドではないかと思われるくらいの見事な形をした山を見かけます。
 広島の葦嶽山や長野の皆神山、東北のクロマンタ山も有名ですね。
 既成の概念にとらわれすぎないことも大切ですね。
 あるホームページではイドフは江戸府、と記されていました。
 もし、ホームページなどお持ちでしたら、お知らせください。
Posted by 白兎の小使い at 2009年02月25日 23:23
残念ながら(?)ホームページは持っていません。

日本のピラミッドをたくさんご存知なのですね。
わたしはそこまで詳しくはないのです。
ついてゆけなくてすみません。。

イドフのホルス神殿は隼を神として祭ってあり、神様の乗る舟もあります。船岡の隼神社を思い浮かべました。武内宿禰は、どうしてここに住んでいたのでしょう。何代もの天皇に仕えた人ならば、それなりに皇室にゆかりのある土地であるはず。

また、わたしは御子岩も好きで、ときどき行きます。天照大神様はここに降り立ったとき、どんな気持ちだったのかなとか、武内宿禰は国府町まで歩いて行ったのかなとか、八頭の昔のことをあれこれ想像しながらまったりする時間がすきです。
Posted by イドフの友 at 2009年02月27日 00:58
 イドフのホルス神殿に隼が神として祭ってあり、舟もあるんですね。
 船岡、隼神社、つながってきそうですね。なぜ、船岡と呼ばれるようになったかは、今のところあまりよくわかっていないようですし。いくつか説はあるようですが。

 八上の各所にちりばめられた地名や神社の祭神は、現代の私たちが考える以上の深い意義を持っているようですね。
 貴重な情報、視点を頂戴し、誠にありがとうございます。
Posted by 白兎の小使い at 2009年02月27日 09:22
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