2009年03月04日

隼神社

 イドフの友さんからいただいたコメントから、このところ隼神社に俄然関心を持っています。
 ここで、鳥取県神社誌に掲載されている隼神社祭神をご紹介します。
 
 須佐之雄神 櫛稲田媛神 羽明玉神 イザナギノカミ イザナミノカミ 天照大御神 月読神 大己貴神 天穂日神 三穂津媛神 市杵島媛神 味スキ高彦根神 下照媛神 都味歯事代主神 高照光媛大神 建御名方神 木花開耶媛神 大屋津媛神 大年神 御年神 猿田彦神 瀬織津媛神 速秋津媛神 気吹戸主神 岐之神

 以前にも紹介しましたが、ここはかつて、竹内宿禰が居館を構えていたところと伝えられています。そのちょうど北方にやはり、竹内宿禰を主祭神とする因幡一ノ宮、宇倍神社があります。
 一説に竹内宿禰は、河原町の多加牟久神社と縁のある多加牟久命と同一、とも言われています。多加牟久命は大己貴命の子孫であり、その縁で河原の地に定住されました。
 
 隼神社には竹内宿禰は祭られていません。竹内宿禰が神々を祭る祭祀の場であり、それは当然のことといえるでしょう。

 隼神社をグーグル検索してみると、この八上以外に京都市の隼神社があるのみのようです。
非常に珍しい名前の神社です。
 祭神も多く、天穂日命も祭られていることから、土師氏ルーツでもあるはずです。
 古代エジプトにおいて神と崇められてきた隼、(ホルス ヘル、ファルコン) 神を乗せる船の存在、など、隼と船岡の地名は意味深長です。もしかすると、古代エジプトの末裔たちが大挙して移り住んだ所であったのかもしれません。
 日本は、全世界からの移民がさまざまな時代に入ってきた可能性があります。日本では、伝説扱いにしかなされていない徐福一行にしても、中国では史実として扱われています。日本にあこがれてやってきているという事実を看過してはなりません。
 奈良・京都・滋賀には、さまざまな海外からの文物が運び込まれましたが、それとともに世界各国からの民が移住してきた所でもあります。
 京都の太秦(うずまさ)などはユダヤ系ではないかと思われるようなものが多く残っています。聖徳太子の法隆寺などもゾロアスター教の影響もうかがえるという説もあります。東大寺のお水取り行事もタタール人との関連も指摘されます。滋賀県には百済系の移民の地がいくつかあります。
 因幡においても、古代エジプトの移民が一つの町を形成していた、と考えてもおかしくないでしょう。隼神社を中心に、かつては隼村と呼ばれていたのですから。
 朝鮮半島との関連はよく引き合いに出されますが、それだけでなく、もっと世界中のさまざまな民族が
日本に移り住んだといえるでしょう。もちろん白ロシア系も移住してきた事も考えられます。あったかも知れないムー大陸からの移民もいたかもしれません。世界的に見て、きわめて特徴的な日本語の音韻体系の歴史をたどると、そのような説にもうなづけるのです。
 しかし、日本の言語体系や文化、習慣に慣れ親しみ、もっとも優勢であったと考えられるネイティヴの土師氏となじむことによって、すべて民族的には同化されていったのでしょう。 
 これは何も八上に限ったことではありません。
 日本人を日本人たらしめるもの、その筆頭に日本語があると考えられます。
 そして、日本の祖先神が築き上げた情緒性豊かな感性や、しきたりがさまざまな年中行事を通じて日本の社会に継承されていったことがあります。
 ホツマのような教えの書もかつてはあったかもしれません。
 しかし、そのような教えの書がなくなっても日本人の生活習慣や常識的感覚の中に神々の教えが定着してきたのでしょう。
 八上はかつての日本の玄関といわれた日本海側においてさまざまな世界の文化を巧みに受容してきたのでしょう。
 隼の存在はそれを裏付けるものといえるかもしれません。



posted by yakamihakuto at 00:18| Comment(12) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
トンデモ満載ですよね、ここのブログは。日本とユダヤ人は関係ないでしょうw

あと、江波氏の主張するような騎馬民族征服説は信じないようにw

で、なんで、こういうトンデモが出回るのかというと、結局、日本の1500年以上前の歴史観が空白になってしまったのが大きな原因です。

で、その原因を作ったのが、本居宣長ですw 「天皇家の先祖が中国に朝貢するわけがない。卑弥呼は熊襲の女酋長で、勝手に中国に朝貢した。」とか「高天原は天井の地で、実在しない世界」とか、こういうことを言ったのが本居宣長ですw

で、これは大外れだったわけです。

実際は、邪馬台国=大和国であり、卑弥呼=媛命であり、孝霊天皇の皇女であるヤマトトトヒモモソ媛命。高天原とは、葛城地方(奈良県御所市高天)のこ。

他にも詳しいこと知っていますが、それは、このブログでは明かせません。
Posted by よりみち at 2009年03月04日 14:44
 よりみち様のおっしゃるのもごもっともです。
 私も何も確証を持って述べているわけではありません。間違いも多いことでしょう。ですから、承認制としてはいますが、コメントに自由に書き込んでいただけるのを楽しみにしております。
 ただ、もう少し、展開していただかなければ、どこがどのように間違っているのかが分かりかねます。
宜しくお願いいたします。
Posted by 白兎の小使い at 2009年03月04日 15:29
すいません。言葉が悪くて...
気軽な気持ちで書いて、まあ、承認されないだろうと思ってました。
だから、名前のところは「よりみち」としました。
言葉遣いが悪かったのは謝ります。

で、このブログで、もともとヤマトの始祖は、女神・天照ではなくて、男神・天照だったという説ですが、これは、かなり良い目の付け所だと思います。

これは、皇室の歴史の謎を解き明かしてくれると思います。ただ、永井さんのブログに「男神が女神にされたのは、藤原氏の陰謀」みたいに書き込まれていますが、藤原氏の名誉のためにいうと、藤原氏はさほど関係ないと思います。

では。
Posted by よりみち at 2009年03月04日 18:34
  貴重なコメントをありがとうございます。
 正直に申しまして、私は、歴史にそれほど明るいわけではありません。八上の歴史、神話を追っていく中でそれに関連してくる歴史関係の文献を読みはじめた位のものです。
 ですから、ブログにあまりに大それたことを書きすぎてしまっていることへの危惧はあります。永井さんのブログにも書きすぎたかもしれません。
 
 特に、2冊目を出版するに当たり、今までブログで展開してきた内容の再検討をしなくてはならない段階に来ております。
 特に藤原氏への評価をめぐってと、巷でトンデモ本の代表格とされるホツマをどのように反映させていくかが、最も頭を痛めるところです。
 いっそ、ホツマも、藤原氏のことも一切抜きにして、無難に1冊目のように論じていくことも考えております。
 ですから、ちょうどこの時点で、皆様から、忌憚なき批評を頂戴することをたいへんありがたいことであると思っております。
 郷土の名誉のためにも、数百年後の人たちが目にしても笑われないものにしていきたいと思っております。
 また、いろいろとご批評ください。お待ちしております。
Posted by 白兎の小使い at 2009年03月04日 19:41
凄いですね。
本を出版されるんですか...

今日はこれからちょっと用事があるので、すみません。
Posted by よりみち at 2009年03月04日 20:40
 ぜひ、辛口批評をお願いいたします。それによって、持論も精緻化されていきます。
 お待ちしております。
Posted by 白兎の小使い at 2009年03月05日 00:37
あんまり、ここでは詳しくは言いませんが

まあ、少なくとも、最近の考古学の研究で、魏志倭人伝に登場する卑弥呼は、孝霊天皇の皇女であるヤマトトトヒモモソ媛命の可能性が強まってきています。

で、まず、そこから、日本の古代史を解明するスタートになってくるわけです。

ヤマトトトヒモモソ媛命は、日本書紀にその活躍が多く記載され、古事記のほうでも、その系譜が記載されている。

日本書紀や古事記に記載された人物と、比較的にリアルタイムに近い年代に書かれた中国の史書との間に、初めて接点が出来る。

日本書紀や古事記というのは、リアルタイムよりも、かなり後世に書かれた史書であり、どうも、古代の暦が違っていたり、また、日本書紀の編纂者が、そのことで混乱したせいで、年代を改竄してしまったりと、正しい年代が分かりにくい史書です。

が、魏志倭人伝の卑弥呼と記紀のヤマトトトヒモモソ媛命が同一人物なら、今まで見当もつかなかった記紀の年代が、西暦の実年代でいうと、どのあたりになるのか、初めて目安が出来るのです。

だとしたら、皇室系図のどの人物の生存年代は、西暦で言うところの、どのあたりの年代だったのか、大まかな目安が出来ます。

むろん、記紀に書かれていることが、完全なでっち上げなら、こんなことは無意味です。が、そんなこと言って、我々が全く新しい空想小説を作るのなら、もう、それは歴史研究ではないでしょう。それに、歴史史料の明確な中世とか近世の歴史も、我々が実際に見た歴史ではなく、あくまでも、その当時の特定の人物たちの偏見に満ちた解釈に過ぎないわけです。

だから、とるあえず、記紀などに書かれていることを素直に解釈して、中国の史書などと見比べる必要があるでしょう。


とまあ、今日のところは、古代史の話はこれくらいにしておいて、本を出版されるということですが、どういう方法で出版されるのですか?

Posted by よりみち改め→himiko at 2009年03月05日 22:48
 孝霊天皇を含め、欠史八代、などという説をほんの一個人が唱えたものが、学会であたかも定説であるかのごとくに扱われているのはおかしいことですね。
 私は、一昨年、この欠史八代の天皇の陵墓を2日がかりですべて回りました。
 孝霊天皇については、鳥取県には伝承地があり、また、八上の土師百井をはじめ、孝霊天皇の血統を引く方もおられますので、欠史八代などは、到底信ずることができません。
 これはあるホツマ研究家が発見したことですが、ホツマの前半は神武天皇に仕えていたクシミカタマノミコトが著されました。そして、崇神天皇と垂仁天皇の御世にオオタタネコノミコトが後半を執筆されました。欠史八代とは、ちょうど、この間の代であって、ホツマにおいてもちょうどその時代があまり詳しく書かれていないことがそのまま、記紀にも反映された模様です。このことは今まで誰からも指摘されていません。
 丹念に比較すると、記紀よりホツマの記述のほうが時代的に先行し、しかも緻密に書かれています。
 確かに、卑弥呼とヤマトトトヒモモソヒメの相関性、同一性はあると思われます。何れも神との取次ぎをするシャーマンです。 
 邪馬台国が大和であることはもはや定説化してきているように思えます。
 記紀にも真実は多く記されています。また、意図的にゆがめた内容もあると思います。意図的に削除された神々の教えもあったはずです。今のところ、私には、その痕跡がホツマに残っているとしか思えません。
 歴史は語る人の立場や主観で、同一のことがまったく逆の評価となってしまいます。
 私たちの歴史評価も客観的に、と行きたいところですが、よほど心しないと誤ったものになりがちですね。
 その観点から、わたしもあまり、語尾は断定口調にはしていません。
 
 著作ですが、ずっと前から、その基調を1冊目と同じにするか、あるいは新たな視野、つまり、今まで歴史学者が見落としてきて、しかも、歴史観の根幹に関わることをも含めて展開していくかで、悩んでいます。
 
 2冊目ももちろん、自費出版です。もし、この過程で出版社から声がかかれば別ですが。
 流通はブイツーソリューションにお願いすれば、安全に確保されます。1冊目を出版する際に、さんざん、ネットで出版社の悪評がたっていないか安全性を確かめました。
 
 
Posted by 白兎の小使い at 2009年03月06日 00:15
隼神社のことを投げかけて、よけいな仕事を増やしてしまったようで、すみません。でもいろいろなことを教えてくださり、ありがとうございます。おっしゃっていることはとても分かりやすく、わたしにはすんなり理解できます。賛否両論、意見はいろいろあるでしょうが。

過去の歴史の中で、平和な時代ばかりとは限りませんから、その時の権力者の都合のよいように、文字は何度か書き換えられたと見るのが妥当でしょう。
少なくともわたしは日本書紀をあまり信用していません。
なんたって因幡の白兎のことが載ってませんから。


Posted by イドフの友 at 2009年03月09日 01:13
 今まで、隼という地名について考えたこともありませんでした。そのきっかけを下さり、ありがとうございます。
 2日前、テレビ番組、世界不思議発見でも、ホルスのことがチラッと登場しました。
 古代エジプトの王の側近の巫女さんの生まれ変わりと思われる人によって、エジプト考古学や発掘に大きな進歩を果たすことができたようですね。
 わたしには、このようなことが、今の八上にもおこりつつあるのではないかと思います。このブログを開始する少し前から今にいたるまで、そのような気がしています。
 
 信じる、信じないは受け取る方にお任せするとして、木花咲耶姫神示にも、記紀によって神々の真相が隠蔽されたことを指摘されています。一方ホツマに載るアワ歌について、紹介されています。
 
 いずれにせよ、神々に関する研究は、アカデミズムにおけるような、唯物論的なアプローチのみでは、真相に行き着くには程遠くなることでしょう。
アワ歌についてはまず、こちらをどうぞ。
http://macrobiotic.at.webry.info/200705/article_27.html

 
Posted by 白兎の小使い at 2009年03月09日 09:22
除福伝承に関しては、割と最近、誕生した伝承です。江戸時代くらいに広まった伝承か?

そういう意味で、江戸時代とは、徳川光圀といい、本居宣長といい、日本の創世記について、あれやこれや珍説が飛び回った時代でもあったわけでw

江戸時代は、京都朝廷が、記紀の研究を民間に幅広く開放した時代でもあった。それも原因でしょうね。

こういうのは、それだけ日本の創世の歴史観が曖昧だから、そういう思想が付け込む隙が出来たのでしょう。

で、私もいろいろ書きたいのですが、私も自説はなるべく秘密にしておきたいのです。すいません。この自説を武器に小説でも書きたいという夢があるのです。
Posted by himiko at 2009年03月10日 01:15
 確かに江戸時代は、さまざまな学問研究が盛んになった時代ですね。
 グーグル検索してみると、江戸時代に作られた、という説もあるようですね。
 徐福について詳しく研究していませんので、なんともいえません。せいぜい、伊根町の徐福伝承地に行ったことがある程度ですので、門外漢です。
 ひょっとすると、同じく中国がらみと思われる羽衣や浦島伝承と同じなのかもしれません。
  
 小説として出されるというのは、楽しみですね。
Posted by 白兎の小使い at 2009年03月10日 09:37
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