2009年03月18日

欠史八代?

 鳥取県には7代孝霊天皇とゆかりのある神社などがあります。鳥取県西部には、孝霊天皇を祭る楽々福神社(ささふくじんじゃ)が複数あります。霊石山付近には、八頭町土師百井や河原町国英に孝霊天皇と血縁のある末裔の方もおられます。
 丹波、丹後には9代開化天皇に因む神社や伝承が残っています。
 一方で、初代神武天皇から10代崇神天皇までの間の天皇については、歴史学会の主流的な見方として、実在しなかったとされています。
 その理由は、その間の天皇の平均寿命が長いことや、記紀の叙述に詳しく述べられていないことがあげられています。その意図は、皇室の歴史を故意に延ばそうとしたものとして、実在しない天皇を作り上げたというものです。
 天皇の平均寿命や在位期間はともかく、その実在性そのものをもすべて否定しているのが主流となっているというわけです。
 実は、筆者は、ホツマを研究する数名の人たちとともに、一昨年、この欠史八代といわれる天皇の御陵をすべて回りました。
 架空の天皇であるなら、どうしてわざわざこれほど立派な御陵を作ったものであろうか、というのが率直な感想でした。もちろん、御陵は明治以降にかなり整備されてはいます。
 しかもそれを作ったのは、ほぼ間違いなくわが因幡と深い縁を持つ土師氏なのです。実際に御陵を回ってみて、その見事な造形美に改めて感心しました。
 神武天皇陵は長らくその場所が不明でしたが、明治の初期に記紀の記述にそって、場所を特定、整備されました。
 2代から9代までの天皇陵についても記紀にそれぞれ記述があり、そのとおりに御陵が存在するわけですから、これについてはもう少し素直に認めるべきではないでしょうか。
 
 欠史八代とホツマの叙述には関連があることを「関西ホツマの集い」の清藤代表が提唱されています。
 ホツマは、40章からなりますが、前半の1章から28章までは初代神武天皇の御世、クシミカタマノミコトが執筆したとされます。
 後半の29章から40章までは、10代崇神天皇・垂仁天皇の御世、クシミカタマノミコトの末裔であるオオタタネコノミコトが記したといわれます。
 そして、それに伴い、ホツマにおいても、2代から8代の天皇の御世の記述は必然的に少なくなっています。
 おそらく記紀も、ホツマ、あるいはホツマを底本とするほかの歴史書に基づいて記されたために、ちょうど、クシミカタマノミコトとオオタタネコノミコトの間の8代の天皇の御世のことが簡略的な叙述になったのであろうという説です。
 
 まさしくホツマを研究し、それと記紀を照合することによって浮かび上がる事実の一つなのです。
 
 欠史八代はいったい誰が提唱したのでしょう。筆者はこの間、それを追っていましたが、意外にも追求できません。これについてご存知の方はお知らせください。
 

posted by yakamihakuto at 23:39| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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