2009年04月01日

天照大神八上行宮の期間は?

 天照大神が八上の伊勢ヶ平を拠点にしてしばらくの間行宮されたのはほぼ間違いないようです。それは、今まで検証してきた地域に残る遺跡や、伝承などによって立証できます。これに加えて、筆者が以前より注目しているホツマにも、天照大神の山陰地方行幸のことが記されています。
 天照大神は、丹後にいらっしゃった豊受大神の崩御直前より、丹後にお越しになり、天照大神は豊受大神崩御後も、丹後の人たちに引き止められて、しばらくとどまられました。この「しばらく」という期間はどれくらいかというと、関西ホツマの集いの清藤代表にお聞きすると、ホツマに記された暦から、十年間とわかるそうです。(6紋に記されています。)
 以下は筆者の想像も交えます。
 その十年間の間に隠岐、八上にもお越しになったと思われます。八上の伊勢ヶ平にどれくらいいらっしゃったのかは不明ですが、おそらく1〜2年間くらいはいらっしゃったものと思われます。
 瀬織津姫は豊受大神が崩御されたとき、しばらくは伊勢伊雑宮におられ、その後、和歌山にワカ姫とともに稲虫の駆除に出かけられます。その報恩の印として、和歌山の人々は日前国懸宮を瀬織津姫に提供されます。ワカ姫には玉津島神社を提供されます。これらはホツマの記述によってわかることです。
 瀬織津姫は、そこから伊雑宮へお帰りになったか、または、そのまま、天照大神のいらっしゃる丹後へお越しになったかもしれません。それが綾部市に残る私市なのかもしれません。
 そして、天照大神とともに山陰地方の行幸に向かわれます。
 八上にしばらく行宮されるときに、瀬織津姫は伊勢ヶ平にいらっしゃった事でしょう。あるいは私都にいらっしゃった可能性もあります。
 その候補地は現在瀬織津姫を祭る私都の4〜5つの神社の地のいずれかである可能性が極めて高いといえるでしょう。
 そして、記紀やホツマにも記されていませんが、この地でもう一人御子神をお産みになります。
 それが八上姫と思われます。
 この姫は何かの事情、慮りで、この八上の地で地元の人に養育されることになりました。

 八上姫の特徴と瀬織津姫の特徴が、どちらも性格も良く容姿端麗であったこと、広範に流れたうわさを聞きつけて、出雲から八十神、大己貴命が求婚に来られたこと、時代的に一致することなどを考慮して、八上姫が天照大神と瀬織津姫との間に誕生したという可能性は十分にあるのです。
 そして、このたびの参拝で、ほぼ、八上姫と非常に縁の深い賣沼神社境内に熊野神社、タカオカミ、クラオカミが祭られていることが判明したことから、このお社も瀬織津姫とかなり濃厚な関係を有しているといえます。
 すると、筆者の想像もまんざらあてずっぽうではないのではないかという気がしてくるのです。
posted by yakamihakuto at 00:53| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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