2009年04月04日

八上姫と瀬織津姫 白兎ライン

 筆者は瀬織津姫と八上姫・因幡の白兎の関係について、以前より何かあると思っていました。因幡参拝旅行で、その思いはさらに強くなりました。瀬織津姫の祭られている神社にも兎神が祭られていたり、波兎が存在する例があるのです。
 瀬織津姫と八上姫は相似たところがあることはすでに述べました。
 もう一点類似点があることに気がつきました。
 ホツマによれば、瀬織津姫が天照大神との間にお産みになったオシホミミノミコトは、その名が現在の伊勢神宮外宮にある忍穂井(おしほい)、つまり上御井神社(または下御井神社)付近でお生まれになったからつけられた名前です。
 忍穂井とは天の真名井の別名です。
 一方、八上姫は大己貴命との間に御子神をもうけますが、その名も御井の神です。島根県の三井神社がそのお生まれになった場所です。どちらも清水の湧き出る聖なる地に基づいてつけられたお名前です。この点も一致します。不思議です。
 
 白兎夏至冬至ラインをもう一度確認してみます。
 するとラインの一番北には天穂日命が祭られています。天穂日命は天照大神の御子神です。一番南には八上姫を祭る賣沼神社があります。筆者の仮説によれば、八上姫は天照大神と瀬織津姫の御子神です。
 
 そして、育英小学校跡地付近に胞衣塚があります。
この胞衣塚とは八上を代表する尊い祖先神の胞衣を祭ったものではないかと思われます。ここで誕生された尊い神とは即ち八上姫ではないでしょうか。胞衣塚とは、八上姫の出生に大いに関わるものであるように思えてくるのです。
 賣沼神社横の嶽古墳は、地元の人には八上姫の墳墓ではないかともいわれています。
 実際、この白兎ライン上に、ご誕生に関わる胞衣塚、そして、葬礼に関わる墳墓がある事には重要な意味があると思います。また、変形八角形の福本70号墳もこの胞衣塚の真西に位置してるのです。これらは八上姫と大いに関連するのではないでしょうか。
 というのは、天照大神のご生誕の際に埋設された胞衣塚がある恵那山が、同じく天照大神の崩御の地と思われる丹後の大江町氷室岳と同一の緯度に位置しているのです。東のご誕生の地と西の崩御の地、東からのぼり、西に沈む太陽の復活にあやかって、適切な埋葬の地が設定された可能性があります。
 八上においても、北東から南西に伸びるライン上の北東の地に胞衣塚、南西の地に嶽古墳が位置しているのも単なる偶然とはいえないかもしれません。とにかく、古代の人々は、現代人よりも方角に対する感覚は敏感でしたし、復活・再生を願う呪術的な考え方には、現代人よりもはるかに重きを置かれていたと思われます。古代エジプトにおいてもそのような考え方が非常に強かったことは、吉村作治氏の研究によって明らかにされつつあります。
 八上姫を祭る神社は、因幡国に数箇所ありますが、その分布を見ると、八上郡と一致しません。大己貴命と八上姫の宮殿ではなかったかと思われる、兵庫県境に近い酒賀神社も八上郡ではないのです。あるいは八上姫ファミリーがすべてそろう御湯神社も八上ではありません。
ただし、八頭町大江の大江神社も八上姫ファミリーがそろっています。ここは瀬織津姫も祀られています。
 その位置関係から、むしろ八上姫信仰は因幡国全体で見たほうが良いように思えることも、以前指摘したとおりです。それは白兎が「因幡の」と形容されていることと一致します。
 石破教授も指摘されていたとおり、白兎は八上姫の化身ととらえられるかもしれません。もっとも、天照大神が八上へお越しになったときには八上姫はまだ成人されていませんが。 
 やはり八上姫は因幡の白兎と同様、因幡全体の守護神だといえます。
 ですから、八上姫、因幡の白兎、天照大神の行幸伝承、瀬織津姫祭祀の色濃く残る点、大己貴命伝承、スサノヲノミコトを祭る神社の異常なまでの多さなど、因幡に秘められた神々の謎は、現在の行政区画で縦割りで考察すると、何も見えてこなくなります。

posted by yakamihakuto at 00:51| 瀬織津姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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