2009年04月10日

因幡の波ウサギ

 ブログを開設して5月で3年になろうとしていますが、ここで、今まで確認された因幡の波ウサギをまとめて紹介します。ぜひ地元の新聞や広報誌などでシリーズで紹介していただきたいものです。
青龍寺本堂厨子   八頭町下門尾 1
(旧福本白兎神社本殿)
福本白兎神社    八頭町福本  1※
西橋寺本堂     八頭町船岡 1
赤倉神社本殿    八頭町大江 2
金比羅大権現本殿  八頭町水口 1
西野神社本殿    智頭町西野 2
光専寺本堂     智頭町智頭 1
上市場神社本殿   智頭町智頭 1
諏訪神社 燈籠2基 智頭町智頭 2
御湯神社 燈籠   岩美町 1
岩崎神社本殿 鳥取市晩稲     1
天穂日命神社本殿  鳥取市福井 4
利川神社摂社    鳥取市青谷町 1
吉瀧神社本殿    鳥取市青谷町 1
以上20柱(羽)うち旧八頭郡に12柱 
波ウサギ ほか

八頭町見槻中の私邸(石破教授論文より)1
八頭町日田の私邸 1
八頭町安井宿 内田様 1 ※
八頭町堀越(門尾?)郡家選果場 1

置きウサギ

賣沼神社拝殿            1 ※

総計25柱(羽) うち旧八頭郡に17柱(羽)
※印はここ10年以内くらいに新たに誕生したウサギ神です。
 もっと誕生させましょう。
 もっと光を(ゲーテ)
 もっと兎を(白兎の小使い)
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2008年11月25日

神秘の波兎 もっとウサギを!

 講演シンポジウムも終わり、ほっとして、ドライブを楽しんでいるとふと視界に、追い求めているものが出現しました。
 八頭町大御門の隣の安井宿の内田様宅の土蔵に施された鏝絵の波兎です。やはり、旧八東町です。八東町の方々もご先祖様からの何かを受け継いでいらっしゃるのだと思われます。白兎は天照大神を氷ノ越えまで案内されたのでしょう。その途中でお通りになった八東です。(八東には天照大神と白兎という密意がこめられているのではないかというのは筆者の自説です。)後の世にこれが伊勢道となります。(勿論、この写真は内田様に許可を頂戴して撮影し、公表させていただいております。内田様、このたびは誠にありがとうございます。)
 ちょうど小雨の振る中での撮影で、何枚も撮りましたが、その中の1枚には雨のしずくがちょうどお月さんのようになって写ってくれました。月世界から白波とともに地上に舞い降りてくる神秘の白兎です。ヒデキ感激!(ヒデキじゃありませんが。 ちょっと古いかな?)

内田様のお話によりますと、5年くらい前、土蔵の塗り替えの際に、職人さんに勧められて、子宝(子沢山)に恵まれるようにとの願いで、制作されたそうです。
 八上、因幡一帯にこのようなウサギの像や八上姫をはじめとする神々の像が増えていくと、もっともっと町は栄えていくように思えます。ホントにほのぼのとした気持ちになります。
そろそろ日本全国、町中いたるところにクリスマスのイルミネーションで飾られますが、どこへ行っても同じではなく、八上へ行けば、こうしてさまざまなウサギさんに会えるというのは地域独自の魅力です。日本では、多神教ならではの個性のオンパレードができるのです。いずれこれは全国的な評判になります。
 もっと光を!ではなく、もっとウサギを!が八上・因幡の合言葉となりますように。
 

神秘の波兎
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2008年10月26日

耳なし波兎

静岡県 草薙神社拝殿
 このたびは静岡、富士宮、箱根、厚木、三島で、主に天照大神、コノハナサクヤヒメ、オオヤマズミノミコト、ヤマトタケノミコト、オシホミミノ命に関連する神社を中心に旅行してきました。
 草薙神社はヤマトタケノミコトに因む神社ですが、おそらく江戸時代に流行した波兎をここでも社の再建のときに取り入れたのでしょう。
 耳がなくなっており、耳なし芳一ならぬ耳無し波兎になっていました。早く耳を取り戻してあげるとよいと思いました。

耳なし兎
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2008年08月13日

美保神社の波兎

 美保神社に久々に参拝しました。
 主祭神は事代主命と三穂津姫命です。
 ホツマによれば、事代主命は初代大物主=大己貴命の御子神で、国譲りを承諾した神です。実は西宮神社の祭神でもあり、美保神社は実は、恵比寿神(元は「笑みす」神)の本拠です。大物主二代目で、その御子神、子守神=三穂彦が三代目の大物主、したがって、この三代で、大神神社が三輪明神と称するようになったことがわかります。大物主、事代主、とは役職名であることもわかります。
(ところで古事記には大神神社祭神は以下のように記されています。
  大国主命の幸霊 奇霊
  大国御魂神 韓神 曾富理神 向日神 聖神
 なぜ三輪、という名前が発祥したのかはこれでは不明です。また、大神神社の由緒書にも韓神 曾富理神 向日神 聖神については触れられていません。現在の大神神社の摂社、末社にこれら四神は祀られていないようです。記紀編纂者の何らかの意図があったように思えます。)
 
 事代主命=奇彦(クシヒコ)は国譲りの後、青柴垣神事に示されているように、海中に没したのではなく、滋賀県湖西の万木(よろき)という所へ遷り、豊受大神がそこで研究されていた薬草などの研究を継承されます。その後、ニニギノミコトの元で大活躍をして、家屋建築などに才能を発揮し、後に大国主命と呼ばれるようになりました。そして、晩年には大和の三輪山で神上がられた、とあります。同じく大和の大和(おおやまと)神社で大和国魂神としても祀られました。
 高皇産霊命は、自分の娘である三穂津姫を奇彦に嫁がせました。これにより、美保神社で、事代主命(=奇彦)と三穂津姫が祀られているその縁起がはっきりとわかります。 
 大己貴命は先にも紹介したように国譲りの後、過去、スクナヒコミコトと全国行脚して民の生活を豊かにされたことなどが評価され、青森の岩木山に移り、その地を統治されます。その地で神上がった後に、元の出雲の地に天穂日命を祭主として祀られるようになったのが出雲大社の起源です。(これらは記紀ではまったく明らかにされていないことです。ホツマのこれらの記述を後世のまったくのでっち上げ、とみなすことは難しいのではないでしょうか。何の目的でここまで込み入った内容の作り話を記さなくてはならなかったのか、その必然性を筆者は想像できません。ホツマを偽書とみなす人はネット検索をすれば一目瞭然ですが、実に少数です。逆にホツマの内容は正しいのではないかとする見解のほうがいまや主流になりつつあることを肌で強く感じます。偽書説を取る人たちはすべて、記紀とのまともな比較をしないままで、内容の実地調査など一切していないことが共通しています。せいぜい、上代8母音説が偽書としての根拠とされているようですが、これとて明確な根拠があるわけではありません。かつて5母音であったものが、渡来人の影響によって一時的に8母音になった可能性が高いのです。現代英語においても母音の数は20にもなります。しかし文字としての母音字はaiueoの5つになってしまい、日本語の5母音と共通するのは単なる偶然でしょうか。
 つまり、ホツマが偽書であるか否かの検討は、いまだに手付かずの状態のままなのです。アカデミズムはこのような態度をずっと取り続けるつもりなのでしょうか。おそらく、このような姿勢のままでいるのならば、アカデミズムの学者は、早晩在野の研究者たちの研究成果の後塵を拝することとなるのは目に見えているように思えます。かたくなにホツマを無視しようとする態度には、歴史研究に何らかの圧力がかけられているとも思えてきます。) 
 
 美保神社境内の手水社の手前の参道脇には、上の部分が欠損した燈籠がありました。その燈籠の下部には二羽の波兎がほられていました。一羽は風化してわかりにくかったのですが、れっきとした波兎です。思わぬ収穫でした。

美保神社 灯篭 兎



















美保 兎 2
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2008年05月20日

御湯神社の波兎

昨日昼過ぎにまた新たな兎発見情報が舞い込んできました。とてもわくわくします。郷土史研究家の新誠(あたらしまこと)さんのお知り合いである御湯神社の宮司さんから新さんに連絡があって分かったものです。
 旧道のところに神社の灯篭があり、そこに波兎の彫り物が発見されました。御湯神社は昨年9月に紹介したように、大己貴命、八上姫、御井の神をそろって祭る非常に珍しい神社です。これで、白兎神もそろったわけですから、非常に価値があります。神社の装飾の一つ一つには大きな意味がこめられているはずです。
 この神社へは筆者は一度きり、昨年、雨の中で参拝しただけですが、厳かな感じを受けました。ほぼ同一地点に古代の廃寺があったわけですから、当然、風水上も最良の地といえるでしょう。場所が重なっているという点では、土師百井のもと白兎神社と土師百井廃寺=慈住寺との関係と似ています。
 まだまだ兎は隠れているかもしれません。残らず見つけ出したいものです。
写真提供:新誠氏

御湯神社 波兎
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2008年01月23日

槻折神社の波兎?

鳥取市生山にある槻折(つきおり)神社本殿に施された波兎(?)の彫刻です。耳があまり長くないのでちょっと自信がありません。本当にウサギでしょうか。
 神社の祭神は大山祇命です。拝殿前には鹿のブロンズ像が奉納されており、春日大社との関連があるのかとも思いましたが、その由来は良く分かりません。 
 神社の場所を探すのに苦労していたら、地元の方がご丁寧にも神社まで案内してくださいました。ありがとうございます。
 

槻折波ウサギ

















槻折 波兎
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2007年11月09日

吉瀧神社波ウサギ

 本殿ではなく、境内摂社の社殿の裏側に施された波ウサギです。少し食べ過ぎのせいか、太りぎみです。こうして様々な波ウサギをみてきましたが、本当にその姿は多様で個性的です。

吉瀧神社波ウサギ
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2007年11月06日

郡家選果場の波ウサギ

国道29号線沿い、地元名産の二十世紀梨などの出荷をしている郡家町堀越(門尾?)の郡家選果場では、いつ頃からかはわかりませんが、このように波ウサギがさりげなく使われています。勢いよく波の上をジャンプしています。
 上の波ウサギは、選果場の建物の壁にペンキで描かれたもので、ペンキの具合からおそらくこの建物が建てられた70年代頃のものと思われます。多産、豊穣、防火の意味を持たせて掲げられたのであろうと思われます。昨年の石破教授の講演でも紹介されたものですが、石破教授が、選果場の方にそのいきさつを尋ねると、「つい、(ただ無意識に)描いた。」そうです。下の横断幕にデザインされたものは比較的新しそうです。内陸の八上の里のこのような場所にも波ウサギが描かれています。

郡家選果場の波兎


















郡家選果場波兎2
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2007年09月17日

吉瀧神社波ウサギ

 本殿ではなく、境内摂社の社殿の裏側に施された波ウサギです。少し食べ過ぎのせいか、太りぎみです。こうして様々な波ウサギをみてきましたが、本当にその姿は多様で個性的です。吉瀧神社は偶然にも八頭町福本の白兎神社とほぼ同一緯度に位置しています。

吉瀧神社波ウサギ
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2007年07月20日

金比羅大権現の波兎

 因幡で最多の波兎のいる旧船岡町、水口(みなくち)の金比羅大権現の波兎です。石破教授からお聞きして、「兎めぐり」に行くのを楽しみにしておりました。
 水口の集落を抜けてさらに山間の道を延々と車で上ってたどり着きました。普段は誰もお参りには来ていないでしょう。清浄な山の中のお社で、木製の鳥居をくぐって20〜30段の石段を上がると境内地です。拝殿と本殿に分かれています。この立体的な波兎の彫刻はちょうど拝殿と本殿の間の狭い空間にあり、ほとんど誰もここにこのような装飾が施されていることには気づきません。この透かし彫りは反対側からだと波兎の姿は見えないようになっていました。ちょうど、安土、桃山のころの装飾、二条城二の丸御殿の透かし彫りも表と裏で、異なった装飾がなされているのと同じです。撮影もしにくい場所で、被写体とカメラとの距離を取りにくく苦労しました。
 金比羅大権現は、四国に本山があり、インドのクンピーラと呼ばれるワニの化身の神様です。奈良の大神神社の大物主神とも関連します。
 ワニが登場してきました。ワニと兎の組み合わせがここ、船岡の山間の地に存在するのは驚きです。ここでは仲良く共存しています。

水口金比羅の波兎
















金比羅由緒

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2007年04月15日

京都市岡崎神社と兎

 京都平安神宮の北東にある岡崎神社に参拝してきました。
 由緒書きによりますと、祭神はスサノヲノミコト、奇稲田姫命、八柱御子神(五男三女)です。平安遷都の際に、王城守護のための四方に建立された神社のひとつで、都の東方に位置することから、東天王と称したそうです。(八上にある天王という地名や、売沼神社の祭神である「西の日天王」も、八上の里を守護する意味があるのかもしれません。) 
往時背後の紫雲山をはじめ境内一帯がうさぎの生息地であったことや、兎は神様のお使いと伝えられていることから、灯篭の台座や、本殿の灯篭、手水舎などに兎の彫刻があります。


岡崎神社の兎


























社殿狛兎

























燈篭波兎
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2006年12月03日

イナバウアー

 なんと「イナバウアー」が今年の流行語大賞を獲得しました。思えば、筆者もこのイナバウアーという響きで、「イナバ ノ シロウサギ」のことを思い浮かべ、このブログを作ろうというきっかけの一つともなったのでした。荒川さん、ありがとうございます。
そして、筆者の強引なこじ付けかもしれませんが、八頭郡智頭町の光専寺に「元祖イナバウアーの白兎」があることも判明しました。ご紹介いただいた石破教授、ありがとうございました。
本堂正面の御拝(ごはい)と呼ばれるこの波ウサギはもちろんこのお寺の守護神です。写真をさかさまにしています。(もうしわけありません。)実際は波の上で逆立ちするくらいの勢いで跳躍している兎の像です。
 このブログ等を通じて、イナバノシロウサギやふるさとの歴史や社寺に関心を強く持ってくださる方が増えることが筆者の楽しみです。

イナバウアーの白兎
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2006年10月26日

波ウサギマップ

 11月6日改定
11月5日の石破教授の「イナバノシロウサギのふるさと(旧)郡家町」講演会にあわせて石破教授発案、八上白兎の小使い作成の波ウサギマップを用意しました。関係する社寺、道の駅の管理者の方からすべて許可をいただき印刷を完了しました。
 八頭町郡家図書館にて配布させていただいてます。トップページ右上の図を拡大できるようにしました。
 

波ウサギ地図2
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2006年10月22日

天穂日命神社の波乗りウサギ

 11月1日改定
 いました。いました。四羽もいました。波乗りウサギ四兄弟です。波ウサギも驚きですが、社殿の装飾のレベルが尋常ではありません。絢爛豪華です。寺院建築に用いられる装飾も採用されており、信仰が厚かったことがうかがわれます。
 天穂日命神社も非常に格の高い神社でこちらも一宮クラスです。また、社地移転の説もあるようですが、この辺り一帯が天穂日命一族の拠点であったことをうかがわせるにふさわしい遺跡や神社が集中しています。記紀の記述に従えば、本来出雲にあってしかるべき遺跡が、実際は因幡のほうにある、ということにお気づきの方も多いと思います。それはあたかも『出雲国風土記』の内容と、『古事記』の出雲神話が、ほとんど異なる内容であることとも関連するような気がします。『記・紀』も大切でしょうが、それを唯一絶対と見ることのほうがむしろ誤謬を生み出す結果となるように思えます。
 カメラの調子が今一つで、とりあえずちゃんと写ったものを紹介します。

天穂日神社 波乗り兎




















社殿 装飾
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2006年10月10日

光専寺の波ウサギ

 智頭町智頭 光専寺本堂正面の波ウサギ

 石破教授より光専寺の波ウサギの情報をいただきました。
 光専寺は現住職のお話によりますと約200年前に本堂が消失、その直後の再建、ということらしいですから特に防火の意味合いが強いと思われます。この彫刻は御拝(ごはい)と呼ばれているそうです。
 智頭も八上同様、白兎伝承の強く残る土地柄であるといえそうです。ほとんど逆立ち状態の波ウサギです。上下ひっくり返して見ると「イナバウアーのシロウサギ」です。オリンピック金メダリストの荒川選手も真っ青かもしれません。元祖イナバウアーよりもさらに150年古い、イナバウアーの白兎 です。つまり、元祖イナバウアーはこの八頭郡智頭町の光専寺の波ウサギだという事実が判明しました!?
 ちなみにあのバルセロナオリンピックのマラソンで銀メダルを獲得した森下広一選手は八頭町大江の出身・育ちですから、赤倉神社の波ウサギのご利益があったのかもしれません。兎神には跳躍・飛躍のご利益もあるのではないかと、筆者は自らの経験から感じています。
 因幡の波ウサギは、どれも個性的なスタイルで、ほかでは見ることのできないものです。
 

光専寺波ウサギ
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2006年09月24日

西野神社の波兎と伊勢信仰

 八頭郡智頭町は八上郡の隣ですが、以前にも述べたとおり、八上とのつながりの強いところです。昔は、嫁入りは一山超えたところへ、というパターンがあったようで、この西野神社のある智頭町の郷原や芦津は、八上の山を越えたところにあり、鉄道や自動車交通の普及する以前は八上と智頭の人々の交流関係も濃かったようです。
 西野神社は、智頭町の西野という村の小さな神社ですが、その社殿の彫刻は躍動感のある龍をはじめ、立体的な装飾が際立つすばらしい美術品といえます。その社殿正面の下部になんと2つの波兎の彫刻がほどこされています。このあたりにも、八上の白兎伝承が根付いていたことをしめすものといえるのではないでしょうか。もちろん、波ウサギには防火や豊穣・多産の呪的な意味が込められており、白兎神社でない社寺の波ウサギを直ちに八上の白兎伝承と結びつけるのは早計かもしれません。その装飾の由来もぜひ探ってみたいところです。
 また、村の入り口に当たる通りの路傍には、伊勢神宮の常夜灯と称する燈篭があり、伊勢信仰がこの地においても強かったことを示しています。船岡町にも伊勢が谷、という地名があるようです。伊勢講の資金源としての田畑や山林だったのだろうと思われます。八頭郡全域で、伊勢信仰が盛んであったことが伺われます。因幡の天照大神伝承を知った伊勢神宮の御師(おし・おんし)がこの地方で特に積極的に活躍していたのかもしれません。村々にそのような記録は残っていないのでしょうか。
 先日、八東町誌を見てはじめて知りましたが、旧八東町にも伊勢街道の道標が2箇所あったようで、街道を通る人たちが、元伊勢行きの道を迷わないようにしていました。若桜町には、以前紹介した道標以外に町の中心部にももう一つ、つまり、町内に計3つの道標があるようです。但馬や播磨にもこのような道標が残っているのでしょうか。

西野波ウサギ
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2006年08月20日

赤倉神社の波兎 

 羂索(けんじゃく)をまとい、迷える衆生を救おうとするかのような極めて珍しい波兎。そして波間に上半身を潜らせた「潜り兎」。これらの兎は全国唯一のスタイルではないでしょうか。1719年再興当時のものであろうと思いますが、ハイレベルです。ユーモアのセンスと高度な知識を持っていた人物が構想したものでしょう。

赤倉 兎2










潜り兎
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2006年08月19日

西橋寺の白兎 因幡船岡駅前

 恐ろしい形相の白兎です。もちろん魔を寄せ付けない、そして、防火、豊穣の呪的な意味合いを持たされています。しかしこんな怖い兎は見たことがありません。1720年、左甚五郎作と伝えられています。出雲大社の兎も左甚五郎作といわれています。ところで、左甚五郎は活躍の範囲と時代が長すぎるので、そう呼ばれた彫刻家が複数いたのかもしれません。誰が作ったものであろうと、どの作品も歴史に残る秀作であることには変わりありません。
 赤倉神社の社殿も1719年作と考えられ、この時代に多様な波兎が流行したことを示しています。
 一昔前には、この兎が夜ここを抜け出て、田畑の作物を荒らすので、金網で囲われていたそうです。本来の意味とは全く逆に取られてしまったことは残念です。石破教授の金沢大学国語国文31号の論文「『イナバノシロウサギ神話』の周辺」によると、昭和28年に穴の空いていた金網は、兎がもう抜け出すことはあるまい、ということで取り外されたそうです。

魔除け兎 














西橋寺 兎正面








いかめしい魔除兎も真下から見れば「癒し系ウサギ」です

西橋寺 兎 真下
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2006年08月07日

青龍寺本堂厨子の波兎 拝観は要予約

 ちゃぶちさんご夫妻、本当にありがとうございます!筆者も6年前に撮影させていただいたのですが、当時はデジカメではなく、しかも上手に撮れていませんでしたので、近いうちに撮りなおしをさせてもらおうと思っておりました。やっぱり立派な社殿です。青龍寺の歴代の、そして当代のご住職様にも感謝いたします。貴重な社殿、貴重な文化遺産をちゃんと守ってくださっています。合祀によって元の社地の跡形もなくなり、当然元の社殿も取り壊されてしまった社は数知れません。こうして社殿が保存されたのは奇跡とも言うべきでしょう。
 社殿の波兎の上部にはやはり、皇室を意識した菊花紋がなんと半分になっていますが、ちゃんとデザインされています。大兎神=白兎神と天照大神との伝承が二千年近くにわたって残り、江戸時代のこの社殿造営にも反映されたのだと思います。波兎も堂々の迫力で、やっぱりこれが秀逸の作かな、と思います。
 拝観は事前に予約をしてください。また、わざわざ遠くから住職さんがいらっしゃいますので、できるだけ複数で、拝観料も心づけでお渡しするのがよいでしょう。

青龍寺5




















青龍寺4
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青龍寺 白兎神社社殿と波兎

  青龍寺宝物館内の波兎 裏には桃の実が彫られており、新さんによれば、理想郷常世(とこよ)を示すめでたいものだそうです。先代の住職様の話によりますと、この作品は用瀬町の大安興寺から譲り受けたものだそうです。

青龍寺2



















 青龍寺本堂内の白兎神社の社殿 たいへん良好な保存状態です。

青龍寺3
posted by yakamihakuto at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 波ウサギ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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