2008年12月06日

小泉友賢

 筆者はいまのところ、17世紀に記された小泉友賢の「因幡民談記」を直接目にしていません。
 石破洋教授の「イナバノシロウサギの総合研究」に小泉友賢の因幡民談記の記述、「又八上姫の社も当国に有るべけれども今何れの地に有りということを聞かず」が紹介されていますが、これはいったいどういうことなのでしょうか。
 筆者が調べてきたように、少なくとも因幡の国には八上姫を祀る神社は、賣沼神社、石坪神社、大江神社、酒賀神社、稲葉神社、御湯神社、潮津神社の7社があったわけですが、小泉友賢はなぜこのように書いたのでしょうか。今非常に疑問を持っています。
 小泉友賢は因幡中探し回って八上姫を祀る社は見当たらないといっているのです。これは非常に不可思議です。八上姫を祀る神社は複数あるにもかかわらずどうしてこのように記したのでしょう。
 前回のブログ記事で記した多加牟久神社も元の祭神は大己貴命と八上姫であった可能性があり、その意味では、表向きに八上姫を祀る神社としては当時、認識されなくなっていたと考えられます。
 しかし少なくとも酒賀神社や潮津神社、そしておそらく御湯神社も一貫して八上姫を主祭神として祀っていたはずなので、この小泉友賢の記述は非常に疑問です。
 この小泉友賢の記述を信じるならば、酒賀神社、御湯神社、潮津神社の祭神も中世においてまったく不明であったのでしょうか。
 もしそうだとするならば、祭神八上姫を隠さなくてはならなかった大きな理由が何かあったのでしょうか。
 もしくは単に小泉友賢の見落としなのでしょうか。
 ここを確認することが因幡の八上姫を祀る神社の謎を解く鍵であると思います。

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2008年11月30日

潮津神社

 鳥取市青谷町の潮津(うしおづ)神社です。
祭神は八上姫と大己貴命です。ここはすでに以前から紹介しているように、因幡と伯耆の国境付近で、青谷上寺地遺跡の北方にあります。
 これで因幡にある八上姫を祀る神社をすべて参拝することができました。
 先日、清流茶屋かわはらの方から伯耆の八上姫を祀る神社の資料を頂戴しました。誠にありがとうございます。
それによると、日野郡福栄村字神福の福栄(ふくさかえ)神社(大字豊栄の大阪神社の祭神を合祀)、日野郡石見村大字上石見の大石見神社に八上姫が祀られています。
 このほかに、「伯耆の素兎」で有名な大山町束積の中山神社の境内社の鷺の宮にも素兎の神とともに八上比賣幸魂が祀られているそうです。
 改めて八上姫を祀る神社を列挙します。 
八上
 賣沼神社
 都波只知上神社
 大江神社
 
因幡八上以外
 酒賀神社
 御湯神社
 稲葉神社(稲葉殿)
 潮津神社
 
伯耆
 福栄神社
 大石見神社
 鷺の宮
県外
 三井神社(島根県)
 島御子神社(長崎県対馬)
 気多神社摂社(石川県)
 大己貴命とともに祀る神社は酒賀神社、御湯神社、稲葉神社、潮津神社、大石見神社、福栄神社、島御子神社の7社です。気多神社は確認できていません。合祀後であれば、大江神社、都波只知上神社もあります。
 
 

潮津神社

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2008年11月28日

能登半島 八上姫を祀る神社

能登半島にある気多神社に関連する神社にも八上姫が祀られています。「嶋山の内、別所村に八上比売の神社あり。八上明神という。」とあります。
 また、「南西に望めば、田畝茫々として湖水湛えたり、此の辺の山を能登の中山と云い、此の山上の端一宮垂跡の地也。 巫女原と云い山を巫女山と云う。」とあり、ここにも中山があり、その付近に巫女と関連する地があるのも八上と共通します。 
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対馬 八上姫を祀る神社

  八上姫を祀る神社が対馬にもあることを講演会で紹介しましたが、こちらです。
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2008年11月16日

酒賀神社 由緒 その1

 筆者が八上姫のお社として最も注目する酒賀神社、境内にある石製の由緒書きの内容を紹介します。

 「祭神  大己貴命 八上姫 大山祇命
 例祭 四月十九日  十月十九日
 
 三代実録所載の国史現在社で菅野大明神とも称する
旧大草郷十三ヶ村の氏神であり郷中の一ノ宮である
 そもそも当神社の創立たる判然として知ること能わざれども古伝旧事記に依りて考えるに今を去る千百余年の昔 天平勝宝六年須賀山の麓に坐す宮処を栃本山が鼻に奉移 皇室の尊崇により貞観三年従五位下 同十六年従五位上を授けられる
 元慶元年地方大震災のため宮殿社地崩壊したるを以って翌二年須賀山の旧社地へ復遷 其の後元和八年三月 野火 山に入り社殿まで残らず灰燼に帰したるが故に寛永元年九月再営 天保十三年八月社地を菅野山の峰に移転し宮祠を再建成就す   現在の社殿 即ち 是である
 明治五年二月 郷社に列せられる」

 幾星霜を経る中で幾多の困難を乗り越えてきた酒賀神社の由緒です。それにしてもこの酒賀神社のこの写真、なんだかジーンとくるものがあります。天気のよかったのもあるのでしょうがそれだけではないような気がします。本殿のすばらしさもありますが、筆者は、いくつか撮影した酒賀神社の写真のなかで、この拝殿を写した写真に非常に感激しました。筆者は、このあたりに八上姫と大己貴命の宮殿があったのだとなんとなく確信しています。この拝殿は、その古の宮殿を模したものではないかという気がしてくるのです。
 いずれこのあたりも詳しく探索させていただくことになりそうです。
 とにかく、八上姫に関心のある方は、この酒賀神社はmustな場所です。ぜひご参拝ください。筆者は非常に心惹かれています。理由は説明できません。
ある意味で、因幡の神社を研究していくことは、自身のルーツ探しにつながっています。
 そしてルーツを遡っていくと、因幡の住民のほとんどが、神々の系統とつながっていることがわかります。私たちは、もっと祖先神のことを知る必要があります。縦の系統はとても大切です。

酒賀神社拝殿
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2008年11月05日

清流茶屋かわはら=八上姫の駅

 清流茶屋かわはらは道の駅の中でも中国地方屈指といわれるほど評判の高いところだそうです。
確かに、イナバノシロウサギ伝承や、特に、八上姫を大きくクロースアップした戦略はみごとに地元ならではの特色とマッチしています。賣沼神社とも上手に連携して、神様のご利益を戴いていることも勝因ですが、マネージメント、マーケティングの高度なノウハウを持っており、他の観光地でも大いに参考になる点が多いのではないかと思います。この清流茶屋かわはら自体が、すでに観光名所となっているのです。ニュータイプのテーマパーク、テーマステーションといえます。(莫大な負債を抱えて数年で潰れる地方のテーマパークとは違います。)
 筆者も、拙著を出版した直後に、こちらでの本の販売をお願いしたところ、すぐに快く受け入れてくれました。実際、このたび訪れてみると、拙著はすでに売り切れとなっており、早速在庫補充しました。
 さらに、ここは八上姫を中心に、イナバノシロウサギ伝承にかかわるさまざまな情報の発信基地となり、訪れるたびごとに、その内容レベルが高くなってきているのを感じます。さまざまなイベントもこの道の駅で催されています。
 常に更新し、アイディアを出し続けることは、人体の新陳代謝のように必要なことなのです。 担当の方は相当な研究もされており、たまたま筆者が事務所を訪れたときに、偶然にも拙著をお読みいただいていたようで、筆者はシェーッ、と驚きました。
 筆者も非常に注目しています。このブログも以前に紹介されたようです。ありがとうございます。
 八上姫、イナバノシロウサギ伝承地顕彰を鳥取市という現代の行政区に限らず、因幡全体に広げていくと、本当にその神話の価値が高まると思います。実際、現時点で、物産に関しては行政区分は関係ないようで、若桜や大江の物産も販売されています。ですから神話伝承もより整合性が取れるように、因幡全体へと広げていくのが自然でしょう。
 筆者は、宮崎よりも、因幡のほうがより豊富な神話伝承を残していると思います。ですから、取り組み方次第では、全国的に有名な神話伝承の観光地になりうると思います。
 道の駅は、その地元で取れる物産販売のみでは、いずれ行き詰まると思います。やはり、その地に固有の情報や古くからの伝承、ありきたりではなく、隠れた観光名所情報など、文化的なものを、旅行者は求めているのです。そのあたりのニーズをしっかりとキャッチしている点は、本当にすばらしいことであると思います。今後の活躍が期待できます。
 
 奈良・平安時代に、おそらく八頭町石田百井にあった莫男駅(まくなむえき)=八上姫駅は、平成の世に、ここ河原町高福に国道53号線と、近い将来開通する鳥取自動車道という主要幹線における現代版莫男駅=八上姫駅として蘇りました。これは、江戸時代後半以降、売沼神社を中心に、地元の人たちが八上郡内でもっとも八上姫を称えてきたことの因果とも言えるでしょう。旧八上郡で以降現在に至るまで、八上姫を最も称えているのは間違いなく河原町・売沼神社です。
 一方、筆者はもともとの八上の範囲を因幡全土ではないか、と推測していますが、その点から言っても歴史上一貫して八上姫を主祭神として、2000年近くにわたって称えてきたのは、先日紹介した鳥取市国府町菅野の酒賀(すが)神社、祭祀を50代受け継いできた長尾宮司家であることを忘れてはならないと思います。八上姫の謎を解く上で、最も重要な社が酒賀神社です。
 八上=因幡全土とは、八上姫を娶った大己貴命が、そのことにより、因幡全土を勢力圏としたととらえられるからです。
 筆者は八上姫伝承地と、八上姫を祀る神社を参拝して、八上姫は因幡の複数の場所に居住されたのではないかと思うようになりました。
 これは、丹後地方においても豊受大神の伝承地が複数あり、そのいずれもがなんらかの根拠があるからです。もちろん、メインの場所はあると思いますが、あまりそこで決着をつけようとすると、こじれるので、どれも候補地として、取り上げるのが妥当ではないでしょうか。
 その後の信仰の深さや持続によって、最終的にはどれが本当の場所かは分かってくるように思えます。いずれにせよ、もっと八上姫を祀る神社や白兎を祀る神社が増えてもいいと思います。
 少し、見方を変えると、神社合祀は結果として白兎神社関連の地を賀茂神社、青龍寺と、2箇所増やすことになりました。マイナスがプラスに転化したともいえるのです。そのあとは地元の住民の盛り上げ方次第であると思います。
 それと、地域の皆さんにもちゃんと利益が還元されるようなシステムが構築されることが大切です。特に自動車道が整備されると、実は自動車道が敷設された地域の経済力が弱まるのは見えています。自動車道の途中の出口に降りてもらえるよう、観光資源をもっと宣伝・開発していくことは大変重要です。
 
 


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2008年11月03日

犬山神社

  鳥取市(旧八頭郡)用瀬町にある犬山神社に参拝しました。こちらは国道53号線、あのスーパーはくとの通過する因美線のすぐ近くにある小高い山の頂上に社殿が鎮座しています。ここは、珍しくも大己貴命がアシハラノシコヲノミコト、という祭神名で祀られています。
 
 宮司様からお話をお聞きしました。するとこちらには八上姫も祀られているそうです。以下は犬山神社の宮司様のお話です。メモを取っておらず、若干不正確になっているところがありはしないかと少々不安ですが、ご紹介します。また、近い将来、正確にお話を書きとめるつもりでいます。
「八上姫は安蔵長者の娘として生まれ、この犬山神社に大己貴命としばらくお住まいになったそうです。その後、出雲へ向かうときにやはり正妻を怖れて、売沼神社のある河原町曳田で八上姫と別れ、二神の間にすでに宿っていた御子神、御井の神を河原町高福の黒木神社の地でお産みになり、朽ちた桜の木にできた穴においておかれたそうです。それを見た地元の民が、これは恐れ多いこととして、御子神を大切に育てられたということです。」
 にわかに信じがたいお話です。(シェーッという感じです。)
 智頭郡であるのに、八上姫と呼ばれていることは、その昔、智頭郡が八上の一部であったことを示すのでしょうか。
 八上姫は大己貴命とともに、出雲へ向かわれて、そこで、御井の神を三井神社でお産みになって、御井の神を木の俣においたまま、一人、ふるさとへお帰りになった、という出雲の地元の伝承と矛盾してきます。
 また、八上姫はこの八頭郡から一歩も出ておられないようで、御井の神をお産みになって、どういう理由でかわかりませんが、その後お育てしていないこと、などが疑問点として残ります。また、拝殿上部に設置された由緒書きには祭神名として八上姫が上げられていないことなど、八上姫に対する扱いが一貫していないところが気になります。
 しかし、八上姫の何らかの伝承を多少不正確さも交えながらも残しているものとして、軽く見てはいけないものであるといえるでしょう。
 

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酒賀神社

 この連休を利用して、筆者は今まで行くことのできていなかっ寺社や観光施設を精力的に回ってきました。
 その結果、またもや驚くべき事実がいくつか浮かび上がってきました。
 その筆頭は鳥取市国府町菅野にある酒賀神社です。
ここは、主祭神が八上姫と大己貴命、そしてオオヤマズミノミコトです。
 そのすぐ近くの大石というところの大石神社には、なんと御井の神が祀られています。ところで、昔の人たちの道とは、尾根伝いの道もありました。下界は安全性の点から、交通を避けることもあったようです。このような話はほかの地域でも聞いたことがあります。今年5月に八頭町宮谷の賀茂神社の山に登りましたが、まさに山頂から尾根伝いに道が残っていました。
 この酒賀神社のある山を須賀山(すがやま)と呼ぶそうですが、尾根伝いに南へ行けばあの赤倉山、そして須賀の山(すがのせん)へと通じます。須賀の山は以前紹介したとおり、ソ(ス)サノヲノミコトとクシナダヒメの宮殿跡、御陵のあるとされるところです。北へ行けば、湯村温泉へとつながる蒲生峠、そのすぐ近くの御湯神社には大己貴命、八上姫、そして御井の神が祀られています。御湯神社は伊勢宮とも呼ばれている大変格式の高い神社です。ここにも廃寺跡が隣接していることから断言できます。また、峠の名前から、イナバノシロウサギに登場する蒲の穂綿もおのずと連想されます。
 これらの事実、他の関連の社との位置関係より、この酒賀神社の格式の高さを非常に強く感じました。
 

 社の壮大さにも参道の雰囲気にも驚きました。参道は杉並木で、あの三重県の伊勢神宮別宮滝原宮を思い起こさせる風情があります。
 そして、何よりも、ここの神社を守ってこられた長尾宮司家の当代宮司様がなんと50代目に当たるということです。
 これは驚きです。50代とは一世代を約30〜40年と計算して、約1500年前〜2000年前が初代となります。
 祭神は創建当初より八上姫と大己貴命だそうです。のちに扇ノ山の神、オオヤマズミノミコトを祀るようになったということです。
 筆者は、この長尾宮司家は八上姫の系統の方ではないかと、推測しました。
 また、個人的に驚くべきこととして、長尾宮司様のお話をお聞きすると、どうやら筆者の八上、大江谷の家系ともご縁があるようでした。シェーッ!

 
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2008年10月29日

八上姫の顕彰

 
 神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添う(御成敗式目:1232年)

 八上姫の本拠の候補地はどこか、というと、現在のところやはり一番は鳥取市河原町です。江戸時代以降明確に、八上姫を祀る賣沼神社があるからです。
 河原町では八上姫を町の象徴的存在として、アピールしています。
 八上姫は無論、八上を象徴する姫であり、八上全体で、大きくクロースアップしていける存在です。
 
 少し不思議なお話をします。神話時代の八上姫は、その後の歴史時代、ちょうど古事記編纂の時期に近い頃の八上采女として再び八上に誕生したととらえることはできないでしょうか。この八上姫は、安貴王との悲恋で知られていますが、どこか、神話時代の八上姫を彷彿とさせるようなお話です。
 実は、神話時代の神々のなかに転生された例があることがホツマには記されているのです。
 原初の神ともいえる国常立命がその後、豊受大神として活躍されたこと、スサノヲノミコトがヤマトタケ(ル)(明治以前はヤマトタケと記されていたそうです。)に転生されて、非常に似通った数奇な運命をたどったことなどです。ヤマトタケが女装して敵陣を油断させてみごとにしとめた話や、叢雲の剣を使って敵を倒したり、大蛇との因縁の対決があったり、など、不思議なくらい一致しています。そのほかにオロチ自身も転生した例も記されています。
 このようなことを前提にすると、先に述べたように、神話時代の八上姫と歴史時代の八上采女には並々ならぬ関連があるといえるかもしれません。
 すると、八上にかつてあった莫男(まくなむ)駅のあった辺りが神話時代、歴史時代ともに八上姫の住んでいた本拠といえるのではないでしょうか。以前紹介しましたが、郷土史家の三木薫氏は、莫男とは「男莫き(おとこなき)」(未亡人)がその由来であろうと推測されています。なぜ、そのような名前がここの駅につけられたのか、無論どちらの八上姫も、悲恋の後に独り身となったためでしょう。莫男とはずばり八上姫・八上采女を指し示す名称です。采女とは国魂を代表する国造の子女でした。即ち中央に出て行く八上采女は因幡国を代表する存在であり、神話時代の八上姫となんら変わらぬレベルにある人です。
 したがって八上姫の本拠はかつて莫男駅のあった辺りととらえられるのであり、その場所は、国中平野に当たります。そこは、すでに紹介しているとおり、霊石山東麓の八上の中心地で、全国最大規模の八上郡衙のあったところであり、白兎神社が3箇所もあるところなのです。最もその可能性の高い場所は、郡家ー私都、大御門ー八東ー若桜、船岡ー大江へと道の分かれる土師百井、石田百井の辺りではなかろうかと考えられます。石田百井といえば、以前井古で紹介したようにかつてそこに祭祀を司る巫女が居た可能性を持つ土地です。
また、野々宮神社のある下濃(しもの)と上野(かみ の)もその候補地として挙げられるかもしれません。なぜならば、祭祀を司る中でも特に、天照大神の祭祀を担う最高位の斎王のための社だからです。天照大神と密接な関連を持つ八上で、天照大神の祭祀を担う資格をもてるのは、野々宮神社で精進潔斎をした巫女のみとも考えられるからです。
 このようにみてくると、八頭町も八上姫を、白兎と並んで大いにクローズアップするべきところなのです。
 いや、八上姫(またはその化身であるシロウサギ)は、因幡の広域に祀られている神社があることから、因幡全体で顕彰していく大切な国神であるといえるでしょう。
 
 神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添う(御成敗式目)
 神を称えることがすなわち、自分たちの開運を導く基なのです。
 町おこしの精神の根本に持っておくべき大切な考えを鎌倉の北条泰時はみごとに説いていました。御成敗式目は、日本人ならその名を誰でも知っているものですが、その内容となると、ほとんど知られていません。筆者も、このたびの箱根神社参拝の折、境内にこの言葉が紹介されているのを見て初めて知ったというくらいのものです。
 日本全国津々浦々、神社がたくさんあります。これによって日本の国土は守られています。あたかも見えざる毛細血管のごとく、本当に日本の国土の隅から隅に至るまで、いきわたっています。これが日本を日本たらしめている根拠でしょう。強制的な神社合祀が実行される明治以前には全国に17万箇所ものお社があったそうです。合祀終了後も、現在まで10万社を超える神社が残っています。しかし、残っているとはいえ、日ごろ、十分に整備・管理されないで、その存続が危ぶまれているお社も少なくありません。このことと、町や村の衰退とは一定の関連があるのではないでしょうか。

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2007年05月08日

売沼神社

 額に稲羽八上姫と記されています。八上姫は白兎の化身ともみなされますので、この地が白兎ライン上にあることからも、八上の白兎神社と関連があることは間違いないであろうと思われます。神話時代の八上姫はさておいても、賊を退治した八上姫伝承の伝わるお社であるようです。古くは西の日天王を祀るとされていますが、現在の祭神の中には挙げられていないようです。西の日天王が八上姫の別名だから、ということなのでしょう。 京都の王城を守護する神社の中に岡崎神社があることを記しましたが、ここは東天王と呼ばれていました。軍神としてスサノヲノミコトを祭っています。そして偶然にもここも兎と縁があります。
 この売沼神社の地は八上の中心部である国中(くんなか)平野を守護する上でとても大切なところです。国中平野は北は三本松の峠のある霊石山とその連山によって囲まれており、北東は扇の山、東には猫山、東南には氷ノ山(赤倉山)、須賀の山とその連山、南は大江谷の山、用瀬方面には三角山、南西は佐治の高山がそびえており、自然の城壁に囲まれています。唯一西側のみ、鳥取平野につながる平地が千代川によって形成されています。現在のように平和的な環境から物事を判断してもわかりませんが、かつては、隣国や外部勢力との緊張関係もあったことでしょう。氷ノ山越えのすぐ近くには舂米集落があり、大江氏をルーツとする水谷氏をはじめとする氏族が八上の守りを固めていたのではなかろうかと思えます。
 八上の地を守る上で、力点を置くべきはやはり鳥取平野とつながる河原方面だったと思われます。特に現在河原城の建っている城山やかつて売沼神社のあったとされる嶽古墳のある簗瀬山=曳田の地は軍事上大切な拠点であるように思います。京の都でも守護の拠点を○○天王と命名していたのと同様に、ここ八上においても、守護する上での重要拠点に天王という名をつけたのかもしれません。ほかに天王という地名がつけられているところとして、福本の白兎神社のすぐ近くに天王木という字が残っています。ここも白兎ライン上であり、池田との境になるところで、今もご神木とおぼしきところに小さな祠があるようですが、ここも牛頭天王=スサノヲノミコトを祀っています。八上中心部の守護をする意味合いを持っているのかもしれません。
 お隣の但馬新温泉町にも、同じ音を持つ面沼(めぬま)神社があり、関連性があるのではないかともいわれています。主祭神は美泥布命、倉稲玉命、天穂日命です。ほかにも但馬の神社には御井の神や天穂日命をはじめ、因幡とも共通する神が祀られているようですので、もう少し調べてみる必要があります。
 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地』売沼神社の章には以下のような考察があります。
 「『因幡誌』に興味深い記事が見られる。いわく、   大成旧事本紀 因幡国鵜部の神社は、上皇初代の時、八上姫大社(筆者注:「大神」ではなく「大社」となっています。安陪恭庵が誤記したのかどうかは『稲羽誌』を直接見ていないのでわかりません。)を以って出生の地と為す。住在鎮座 とあるは当社のことなるべし。
 文意がやや不鮮明であるが、おそらく「鵜部の神社」とは…因幡一宮宇倍神社のことであり、したがってこの記事は宇倍神社発祥の地が八上姫(売沼)神社であることを伝えているのであろう。両社は直線距離にして約十二キロほどの隔たりがあるが、売沼神社の社家にもこれに符合するような伝承が残っている。すなわち「売沼が出ないと宇倍の祭りができない」といって、宇倍神社の祭礼日には売沼神社の神主が馬にまたがって宇倍神社におもむいたというのである。」 そして、かつての八上と現鳥取市には鵜飼いや鳥取部など、捕禽を生業とする氏族がいたことなどを取り上げて関連を考察しています。
 これに対して石破教授の『イナバノシロウサギの総合研究』八上比売考には 鵜部神社の同じ箇所で元の先代旧事本紀の漢文
上皇初代時八上姫大神(筆者注:「大社」ではありません)以為出生之地住在鎮座 (先代旧事本紀大成経巻七一、神社本紀)

の解釈より、「八上郡のみならず、法美郡にもまた八上姫の出生の地や八上姫が鎮座する神社が存したことになる。」とされています。(同書のこの漢文には返り点が付されています。)
 そして、同書には国府町に八上姫本人、またはその父が住んでいた、という伝承、同時に鳥取市用瀬町宮原に住んでいた、という伝承なども記されています。
いずれもかつての八上郡ではないところですが、もし国府町の地や用瀬町の地が八上姫の出生の地であるとするならば、やはり、古代の八上は因幡の中心であったことの何よりの証左となるでしょう。あるいはこのあたりも八上と呼ばれていたのかもしれません。
 『日本の神々』(あるいは安陪恭庵の説)と『イナバノシロウサギの総合研究』で解釈は異なるものの、売沼神社と宇倍神社にはかつて何らかの縁があったようです。どちらも賊を平定した功績をもつ方を祭神としているのは共通しているように思えます。古事記に記された身も心も美しい八上姫のイメージと異なって、賊退治の勇ましいイメージが当地の伝承として伝わっているのです。
 地図を見ると面白いことに気がつきました。宇倍神社の真南に旧船岡町隼郡家の隼神社があります。隼神社は武内宿禰の居館跡と伝えられ、他にも珍しい祭神が祭られているお社です。そして宇倍神社は武内宿禰の最期の地とされるところです。
 
売沼神社 額
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2007年02月06日

気多と青谷上寺地遺跡と能登

 石川県羽咋市には気多大社があります。主祭神は大己貴命で、「気多」という名前は、兵庫県但馬地方にもありますが、なんと因幡の「気多」に因むものだそうです。大己貴命が、出雲から当地へ向かう際、立ち寄った「気多の崎」を象徴して名づけた、というのはわが因幡の人にとって驚きです。しかも能登の白うさぎの伝承も伝わっています。(因幡ではびっくりしたときに「あっとろし!」と言います。)「気多」がそれほど意義深いものとしてとらえられていた、ということです。鳥取市白兎海岸の「気多の前」は以前紹介したとおり、豊玉姫の上陸の口碑の残る所であり、同時に、特に近代以降古事記の神話イナバノシロウサギの伝承地、とされる意義深い所です。
 石破洋教授は「気多の崎」は当時、気多郡と呼ばれていた場所の中の地名と考えるべきでその第一候補は、青谷町の長尾鼻ではないだろうか、と提唱されています。白兎海岸は、確かに沖合いの島といい、ワニの背中に見立てられる恋が島といい、気多の前(けたのさき)といい、古事記神話の舞台にぴったりの場所だと思えます。しかし、ここは高草郡であり、「気多」という地名が、飛び地のように浮いてしまっている感がしないでもありません。
 大己貴命が能登半島に出向いてその地を勢力圏の下におき、そこに「気多」と名付けられるということは、因幡の「気多」という場所が、出雲からの単なる中継点ではなかったのではないかと思えてきます。因幡の「気多」は大己貴命にとって比較的長期にわたる重要な軍事的策源だったのではないでしょうか。そこで気多郡の中で、近年注目を浴びており、しかも大己貴命の時代とも重なりうる可能性を持つものとして青谷上寺地遺跡のことが浮かび上がってきます。ここはつい最近も、櫓に使われていたような長い掘っ立て柱が出土したり、古代人の脳の一部が出てきたり、戦闘による傷を負った頭蓋骨が出てきたり、など考古学的にもたいへん重要な発掘品が出てきている所です。場所は青谷駅のすぐ近くで、気多の崎ではないかとされる長尾鼻の付け根のすぐ近くです。軍事的な攻防が繰り広げられたことをうかがわせる痕跡を多分に残しています。また、祭祀の拠点でもあったようです。ここでフトマニに用いられたであろう卜骨の出土数が全国的に見て、群を抜いて異常に多いのです。
 出土品の中には、サメと思われる魚を描いた木片などもあり、古事記神話との関連を想起させます。
 現在、長尾鼻には灯台があり、展望台がありますが、ここは地政学的に見て因幡国の防衛拠点として重要な場所であったのではないでしょうか。四方を見渡せば北東から北西にかけては海路の日本海が広がり、東部には白兎海岸や鳥取砂丘方面を遠望でき、南西部には伯耆(・出雲)方面も見通せます。外敵の動向を警戒し、内憂を監視できる絶好の地です。そこに軍事的拠点を置く事は因幡を制することにつながるくらい大切なことのように思えます。(ところで天穂日命が高天原より遣わされて出雲へ出向くときの前哨基地として、湖山池辺りに拠点を置いたような形跡が、神社の分布から推測されます。これは記紀の記述からすれば何かつじつまの合わないことのように思われます。どうして出雲に出向いたはずなのに、天穂日命やその御子神の神社まで、そのずっと手前の因幡の湖山池辺りに集中しているのか謎です。一つの仮説として、出雲勢力が当時既に青谷の気多の崎=長尾鼻を制していたとするなら、そこは出雲との緩衝地帯であり、その手前の交通の要衝、軍事的拠点とも言える湖山池付近に天穂日命が平和的交渉の可能性をうかがいつつ陣地を構えた、と考えることはできないでしょうか。)
 案の定、青谷町には大己貴命と八上姫の伝承も伝わり、長尾鼻の先端の血止めが池というところにも大己貴命の伝承ががあるそうです。なんと、ここではウサギのほうではなく、大己貴命がサメに足をかまれてその池に足をつけて血止めをした、という伝承が残っているのです。そして、青谷町の塩津神社には八上姫が祀られています。
ところで、能登半島石川県七尾市には気多神社という社もあり、ここも大己貴命を祀っていますが、関連の社として、その近くに八上姫を祀る神社もあります。(しかも、あの大伴家持は富山県高岡市にあるもう一つの気多神社(祭神大己貴命・ヌナカワ姫)と羽咋市の気多大社の両方を参拝・崇敬していたのです。元々国防・軍事をつかさどる家柄の出の大伴氏ですから、参拝にも深い意味合いがあったと思われます。) 八上姫は、大己貴命と共に能登へ渡ったのかもしれません。こうして見ていくと、長尾鼻を「気多の崎」と見たほうが、能登半島の気多の神社との関連をうまく説明できるように思えるのですが。よく、山陰地方や日本海側は大陸や朝鮮半島由来の文物が多く発見されるからという理由で、すぐに関連付ける見方もありますが、歴史とは重層的なもので、時代区分をより明確にして捉えていくことが重要ではないかと考えます。ある時代にはやはり渡来系氏族が幅を利かしたこともあったのだろうと思いますが、すべて渡来系によって日本の文化的基礎が形成されたとは、独自の音韻的特長を持つ日本語一つを例にしても、言い切れないのではないでしょうか。
 一方これまで見てきたように同じ神話の舞台でもいくつも候補地があり、断定はなかなか難しいかもしれません。
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2007年01月28日

八上姫を祀る大江神社

 2月2日改定
 源頼朝をはじめ鎌倉の源氏勢力の影のナンバー1ブレイン=大江広元が、1年近く因幡の国守であったことは以前にも記しました。その時は、伊豆から源範頼が霊石山へ入山したタイミングと一致します。大江広元は、範頼の動向をつぶさにとらえていたのかもしれません。
 ところで、大江広元が自身の氏神神社として崇敬した大江神社に八上姫が祀られているそうです。しかし、このことは神社の案内看板の由緒書きにも記されていません。
 八東町日田の小谷五郎氏の著作「八頭郡の地名 そして八上姫」(平成5年)には「鳥取県神社誌」に掲載されている祭神のことが記されています。それによると八上姫を祀る神社は八頭郡で3社、その内訳は河原町賣沼神社・都波只知上神社の2社 船岡町大江神社1社、と記されています。もちろん、いつから祀られているのか等詳細は不明です。大江神社は大己貴命、天穂日命、三穂津姫命が主祭神ですから、合祀神として祀られていると考えてよいでしょう。この大江谷のいずれかの地にかつて八上姫を祀る社があった、ということになるのです。ともかく八上郡の中で八上比売を祀る神社は特筆に価します。しかも大江神社は以前から紹介しているように、大己貴命がここで稲作をはじめとして民を教化し、その結果財を得たことから、「財原(さいばら)」と呼ばれるようになったという伝承が残る地にあるからです。
 小谷氏によれば(「県神社誌」によれば)青谷町の塩津神社にも八上姫が祀られているそうです。
 一方、小谷氏のこの著作には要約すれば「大己貴命を祭神とする神社は、因幡国で34社、うち10社が河原町に、智頭町と鹿野町にそれぞれ7社、国府町に4社、郡家町と船岡町にそれぞれ2社、岩美町、福部村、若桜町に1社分布している。意外にも、旧鳥取市と八東町、佐治村には全くなく、異名であればかろうじて用瀬町に2社ある。」とあります。実際には、鳥取市の稲葉神社には大己貴命が祀られています。
 河原町は鳥取市に合併する以前より、八上姫のふるさととして、神話を大々的に取り上げており、独自の創作を交えた物語を、観光名所やホームページなどで広めていますが、それとは別の昔から伝わる伝承も何かあるのではないかと思われます。
 今のところ筆者がはっきりつかんでいる八上郡内のダイレクトな大己貴命伝承は、船岡の大江谷のみです。天穂日命の末流と縁の深いこの大江谷、ひょっとして八上姫は天照大神の系統であると見ることができるのではないでしょうか。よく形容されているように八上姫は容姿だけでなく、心も美しいとされていますから。
 旧郡家町の3ヵ所の白兎神社と旧船岡町の寺社や民家の波ウサギの像の存在からして、やはりこの二つの地域が白兎と大いに縁があるところであり、そこに八上姫が住んでいた、ととらえるのが妥当ではないでしょうか。『イナバノシロウサギの総合研究』では福本の古老の話によれば「八上姫と大己貴命は福本で会うことになっていた」とも記されています。
 八十神についての伝承は、今のところ探しあぐねています。
 


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2006年08月18日

莫男駅  

 現在確認されている全国の郡衙(ぐんが)跡の中で最大規模、ずば抜けて大きいといわれる八上郡衙。そのすぐ近くに莫男(まくなむ)という変わった名前の駅が奈良時代にあったそうです。旧郡家町土師百井在住の郷土史家 三木薫氏の最新の研究報告「上代模索 平成十八年」によればこれは男莫き(おとこなき=無き)都から追い返された八上采女(やがみうねめ)に因んでつけられた名前ではないだろうか、ということです。古事記の八上姫もこの八上采女もある意味で類似した話です。「歴史は繰り返す」でしょうか。
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八上姫=素兎の神

 この盆休みを利用して、筆者は新誠(あたらしまこと)さんと一緒に、八頭町(旧船岡町)にお住まいの石破 洋教授にお会いしました。様々な情報・意見交換がなされましたが、その中で、石破氏は神話における八上姫は稲羽の素兎と一体ではないか、と指摘されました。筆者も以前よりそう思っており、このブログのタイトルも「八上 白兎神社」としているのも地名の八上と、八上姫を意図してつけたものです。
 2005年鳥取大学主催の「世界の神話から見た因幡の白兎」と題するシンポジウムが鳥取県民文化会館で催され、その中で石破氏は、「ウサギが因幡の国の臍にいるところの因幡の国を守る神だとしても、神の使い、ヤカミヒメの使いとしても、また、ヤカミヒメ自身であったとしても、オオアナムチとその兄弟をテストし、合格者にヒメの心を伝えることは何の不思議もなかったということになる。ウサギ=ヤカミヒメならば、ウサギの心は全くヤカミヒメの心そのものであったからである。」(講演抄録より)と、指摘されています。
 石破教授は、ウサギのカラーは白ではなかった、とされます。なぜなら、日本原産のウサギに白いウサギはいないから、ということです。現在私たちがよく目にする目が赤くて毛並みの白いウサギは、近代以降外国から輸入したものです。
 しかし、白兎神社はいつの時代からか、とにかくこの名前で呼ばれています。筆者の勝手な想像では、白は告白の白、つまり白す(まおす)兎、あるいは稲葉をしろしめす(治しめす)兎、から名前がついたのかもしれません。
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2006年07月18日

八上姫

 平成19年2月3日 改定
 石破教授の研究によればイナバノシロウサギの八上姫を祀る神社について八上郡内においては、『稲葉民談記』を著した小泉友賢の時代(17世紀)までは、一切不明だったようです。しかしその約60年後より突然に八上姫を祀る賣沼神社の名が鳥取藩士の上野忠親の『勝見名跡史』に登場し、さらにその40年後『稲羽志』を著した安陪恭庵(18世紀)も、旧河原町賣沼神社が八上比売を祀る神社として記したようです。
 話は少しそれますが、小泉・安陪両氏とも「因幡」の漢字を使用せず、それぞれ稲葉・稲羽、としているあたりから、いったいいつごろから「因幡」に統一されるようになったのかという疑問が出てきますがこれについては『イナバノシロウサギの総合研究』に示されています。
 八上姫は固有名詞ではなく、八上姫とよばれた人は複数いたかもしれません。有名な鳥越長者の娘は、河原・用瀬辺りを舞台としていますが、時代はずっと後のようです。賣沼神社境内には、鳥越氏の銘の入った碑もあり、関連性を示すものなのでしょうか。
 ほかにも因幡全体で八上姫の伝承地や口碑が多く伝わっているようです。
 
 八上姫を祭神とする神社を挙げてみます。
 賣沼神社 鳥取市河原町曳田
 都波只知上神社 鳥取市河原町佐貫 合祀神としてなので以前は近くの神社に祀られていたはずです。
大江神社 八頭町船岡橋本 大江谷のどこかの社の合祀神と思われます。
 以上がかつての八上郡内の神社で計3社です。
 
 御湯神社 岩美町岩井
 稲葉神社 鳥取市卯垣
 塩津神社 鳥取市青谷町 
 酒賀神社 鳥取市国府町菅野
 
 「県神社誌」によるものとして日野郡にも八上姫を祀る神社が2社あります。
 
 三井神社 島根県
 
posted by yakamihakuto at 10:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 八上姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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