2008年01月04日

元伊勢内宮の瀬織津姫

 本年も宜しくお願い申し上げます。
元伊勢内宮に初詣に行った折りに、最近ずっと気になっていた瀬織津姫との関わりについて調べてみました。
 ネット検索ではこの元伊勢内宮に瀬織津姫が祀られているという事実は発見することはできていませんでした。しかし、ここには80社以上もの摂社が本殿境内地をぐるりと囲んでおり、筆者はもしや、という思いで、今回はすべての摂社をお参りしました。本殿境内は、黒木鳥居をくぐって、向かって右側に拝殿、その後ろに天照大神を祀る本殿が鎮座しています。そしてその左側には龍灯の杉と呼ばれる樹齢2000年近い杉の巨木が聳え立ち、そのまた左側には、ちょうど本殿がもう一つそこに鎮座できるくらいのスペースが空いています。筆者は、このスペースは伊勢神宮の20年ごとの遷宮がこの元伊勢の地においても行われていたことの名残であるのだろうと思っていました。
 ただし、かつては実施されていたかもしれない遷宮地としての、本殿社地の土台の姿はいまは見られません。
 境内地の形としては、少し不自然な感がしないでもありません。
 本殿を囲む摂社は、古くから鎮座していたということは元伊勢内宮の神職の方から聞いておりました。以前は独立した形ではなく、ちょうど全国から神々が集まるといわれる出雲大社の本殿を囲う摂社群と同様、長屋形式であったそうです。
 いつから現在のような配列になったかは不明ですが、驚くべき事実が判明しました。
 なんと本殿の奥に位置する摂社は瀬織津姫祭祀と関連する和歌山の日前国懸(ひのくま・くにかかす)神宮(三重の瀧原宮同様、同じ社殿が並んでおり、一説に天照大神と瀬織津姫を祀るといわれています。)由来の日前神社、三重の瀧原宮由来の瀧原神社が鎮座しています。これら2社は本殿奥のやや左側、すなわち、空き地に近い位置に鎮座しています。その右隣に伊佐奈美神社、伊佐奈義神社があり、そしてその横に、伊勢内宮の別宮荒祭宮由来の荒祭神社があります。それはまた、ちょうど本殿の中心部の奥に鎮座しているのです。荒祭宮は伊勢神道においては瀬織津姫を祀る第一の別宮と位置づけられています。
また、本殿右側には手力雄命を祀る社があり、、左側にはタクハタチジ姫を祀る社がありますが、ちょうどそのタクハタチジ姫の社の左斜め前方に熊野神社が鎮座しています。熊野といえば、イザナギ、イザナミノミコト、スサノヲノミコトを祀っていますが、熊野那智大社では、あの那智の滝自身をご神体とする信仰があり、飛瀧神社と呼ばれています。祭神は大国主命ともいわれますが、やはり、滝の神として祀られていて自然なのは、瀬織津姫です。
 すると、熊野神社の祭神も瀬織津姫である可能性があります。
 
 筆者はここで大胆な推論を立てました。
本殿境内地には元々、瀧原宮のように現在の本殿と同じ規模の社殿が空き地となっている場所に立ち並んでいた。そして、瀬織津姫と天照大神がこの二つの社に祀られていたのではないでしょうか。
 ところが、瀬織津姫を全国の神社から抹消するという事態が起こったことがうかがわれる形跡があることは以前述べたとおりで、この元伊勢内宮においても同様のことがなされたのではないでしょうか。
 いったん瀬織津姫の祭祀ができなくなった状態から、ひそかに祭祀を復活させようと、境内地の周りを多くの摂社で囲み、そこに瀬織津姫を祀ったのではないでしょうか。
 八上の、瀬織津姫を祀る神社の位置関係が、天照大神を祀る神社や行宮の地と、密接に関わっていることを紹介しましたが、あらためて確認しておきます。
 天照大神の行宮の地、霊石山伊勢が平の真東に福本の白兎神社、賀茂神社をはさんで、瀬織津姫を祀る私都(きさいち)の花原神社が位置しています。(大江町の元伊勢の南東方向のすぐ近くにも私市(きさいち)の地名が残っていることにも注目です。)
 天照大神を祀る旧船岡町大江の赤倉神社と関連性のある大江神社にかつて存在した30以上もの摂社の中に、瀬織津姫を祀る社がありました。これほど多くの摂社を擁する神社は因幡でダントツだった事でしょう。(現在は本殿にすべて合祀され、摂社はほとんどなくなっています。これも将来的には元のように復元されるとよいと思います。)
 赤倉神社のちょうど南方に位置する虫井神社は現在も瀬織津姫を主祭神としているかなり格式のある社です。
 八上におけるこのような神社、祭神の祭祀には大江氏が大きく関わっていました。
 そして、元伊勢内宮のある場所も大江という地名です。その大江の名は、近くを流れる由良川から来ているという説もあるそうですが、大江の発祥の可能性もなきにしもあらずです。いずれにせよ大江氏と関連のある場所です。(これほどの由緒と規模を持ちながらも元伊勢内宮は式内社ではありません。その理由も以前述べたとおりです。)
 やはり、大江氏は、抹消された瀬織津姫の復権を密かに実行して、本来の祭祀を守ろうとしていたのではないかと思われます。その形跡が八上でもこの元伊勢でも存在しているといえそうです。
 
 この点では、伊勢神道を掲げた外宮神官渡会氏と立場を同じくするといってもよいでしょう。
 菅原道真公も外宮、および渡会氏とは非常に密接なつながりを持っていました。菅原道真公はご誕生の際に外宮に祈願し、ご生誕後は外宮神官渡会春彦氏が道真公の生涯にわたってお世話をされました。
 
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2007年10月10日

丹後の賣布神社 京丹後市

 久美浜町女布(にょう)にある賣布(めふ)神社です。今ではなぜこのような内陸の地に、と思ってしまいますが、このあたりの付近は昔は海だったようです。
 この地に上陸された豊受大神御一行はこの地でいったんお休みになり、その後陸路で丹後内陸部へと歩を進められたのでしょう。 神社の前の、いまはアスファルトで舗装されている道の下にご一行がお使いになった船が埋設され、かつてはそこに舟形の石が安置されていました。現在その船形石は境内にあるこれまた舟形の手水鉢の隣に設置されています。
 この地の南には海士というところがあり、天橋立の籠神社の宮司家の出身の地といわれています。
 丹波道主命と結婚された川上摩須の娘は後に垂仁天皇の后となった日葉酢媛をお産みになります。そして日葉酢媛と垂仁天皇の間にのちの景行天皇と倭姫が生まれ、その子に日本武尊がいるのです。その意味では、このあたりも皇室と非常に縁のあるところであるといえるでしょう。
 賣布神社の東方には久次岳、そして、豊受大神の神蹟・伝承の集中する真奈井が原と比沼麻奈為神社があるのです。賣布神社の南方を伯耆谷といいますが、その山中には朝日神社があり、そこではピラミッドのような形をしたイワクラを御神体としています。
 
賣布神社
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2007年09月28日

元伊勢の天照大神像

 元伊勢内宮は八上の真東にあります。元伊勢の真西には出雲大社があります。単なる偶然でしょうか。
 元伊勢皇大神社に奉納されている明治に女神として描かれた天照大神像です。実に神秘的です。
 

天照大神
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2006年08月26日

氷ノ山越え 京伊勢街道

 八上の里、若桜町渕見(わかさちょうふちみ) 氷ノ山越えの道中に残る京伊勢すなわち大江町の元伊勢へ向かう人のための道しるべです。天照大神がお通りになったとされる道でもあります。

道標
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2006年08月09日

外宮故地

 京丹後市峰山町久次 久次岳麓の比沼麻奈為神社です。
 因幡から元伊勢参りで参拝していたのはここではなく、大江町の元伊勢外宮と元伊勢内宮そして天の岩戸だったと思われます。
 祭神の豊受大神は神代よりここにお鎮まりになり、西暦478年雄略二十二年七月、ちょうど浦島太郎の竜宮出発と同じ年の同じ月に、この地より伊勢の山田へと遷宮されたのです。(もちろん浦島伝承が外宮遷宮の事実にあやかったものであろうと思います。)
 因幡の地名由来は鳥取市卯垣(ぼうがき)の「古苗代」で、稲作を民に教え導いた稲葉大明神であり、豊受大神と同じ、或いは同系統の神でしょう。そしてここには古苗代と同じ月の輪田があり、同様の伝承が伝わっているのです。その意味でこの社も因幡と大いに縁があるといえるでしょう。


外宮故地
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2006年08月08日

丹後の元伊勢内宮

 京都府福知山市大江町にある皇大(こうたい)神社=元伊勢内宮です。ご神体の山といわれる日室(ひむろ)岳は禁足の山です。元伊勢内宮の地は、そこに生い茂る杉の風格、その二千年を越えるという樹齢から、相当の古さを感じさせます。歴史学者によって、いろいろな説が唱えられていますが、この境内と日室岳、そしてその麓の天岩戸(あめのいわと)は、たいへん厳かで神秘的な雰囲気を漂わせています。筆者も様々な社寺を巡ってきましたが、そして、ここを訪れた誰もが言うことで月並みですが、やはりここは別格、理屈を並べるまでもなくとにかく不思議な魅力を持っており、心動かされます。
出雲大社では10月を神在月といって全国の神々が出雲に集まる、といわれています。そこで出雲大社の境内にはその全国から集まる神々のための小さな社殿が本殿の脇に並んでいます。
 この元伊勢でも同じように、100近くの小さな社が、本殿境内地をぐるりと囲っています。これほど多くの摂社が集まっているのは他に見たことがありません。本当は神在月には全国の神々が、こちらのほうに集まっているのかもしれません。
 因幡の国からも、江戸時代から明治期にかけて伊勢参りが流行しましたが、かなりの参拝者が訪れたようです。氷ノ山越えでおそらく3〜4日でここへたどり着けたのでしょう。大江町の元伊勢参りは、因幡国の庶民にとっての最大の楽しみだったのではないでしょうか。このような厳かさを守るために、現代的に観光地化されることは避けたほうがよいでしょう。
 ただその一方で、その価値を知らしめる必要もあります。伊勢参りが流行したときはよかったのですが、その後かなり荒れ果てた時期も長く続いていたようです。その意義が忘れ去られて、自然の成り行きに任せることで貴重な遺産をなくしてしまった例は数多くあります。ですから、歴史的価値を持つ遺跡等を顕彰し、後世に残していく努力は大切です。時には誰かが言上げすることも大事です。
 ところで八頭町の隣の国府町は鳥取市に合併しましたが、町のホームページが残されています。それを見ると、町内のすべての神社の紹介がなされています。直接ご当地の図書館へ出向いて調べることのできない遠隔の人にとって、たいへんありがたいことです。これを見ると、国府町内では神社合祀はほとんどなかったように思えるのですが、確かめてみる必要があります。
 明治・大正の神社合祀によって、全国で約70000社もの神社が廃社に追い込まれましたが、いったん合祀された後に社を復興したところもあるようです。また、知事の裁量によって実施されたため、地方によってばらつきがあり、ほとんど神社合祀のなされなかった地方もあったようです。しかし三重ではなんと九割もの神社がなくなり、南方熊楠の和歌山や愛媛でも徹底的に神社合祀がなされたようです。
 また詳細な地図を見るとわかりますが、必ず一つの集落に一つは神社があり、神社を中心として集落が結束していたことが伝わってきます。

氷室嶽 




















元伊勢内宮1






















元伊勢内宮2
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2006年05月25日

神蹟 月の輪田 丹後の真奈井原

 現在の月の輪田は昭和の圃場整備によって、元の地より移動・縮小されましたが、これはそれ以前の、つまり伝承のままの貴重な写真です。
元のとおりに復元されることを切に願います。


神蹟 月の輪田
posted by yakamihakuto at 13:28| Comment(12) | TrackBack(0) | 元伊勢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

清水戸 丹後の真奈井原


清水戸 案内


















清水戸 写真

posted by yakamihakuto at 12:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 元伊勢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

月の輪田 丹後の真奈井原

 1500年以上にわたって、大切にされてきた貴重な遺跡が行政の一方的な指示でいとも簡単に消されてしまうというのはまことに残念なことです。
 神社の森は神様のためだけでなく、他の動植物にとっても大切なものです。神社合祀や圃場整備前には田園地に神社の森が点在していました。ここを住処としていた鳥や虫たちが、田畑の作物を必要以上に荒らすようになったのです。いまや人体にまで悪影響を及ぼす有害な農薬を使って退治せざるをえないのは皮肉としか言いようがありません。 
 
 因幡と丹後で同じ伝承がある、などということは今までクローズアップされてこなかったことです。各市町村誌を照合するするだけでもずいぶん新しい発見ができるでしょう。自治体によっては既に町誌史をすべてネット上で公開しているところもあり、検索で見つけやすくなっています。できればこのような情報をネット上に掲載していただきたいものです。


月の輪田案内
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丹後の元伊勢外宮 比沼麻奈為神社

元伊勢外宮 比沼麻奈為神社
京都府京丹後市峰山町久次

 丹後には元伊勢と称されるところが何箇所かあります。比沼麻奈為(ヒヌマナイ)神社もその一つです。
 比沼麻奈為神社の近くには四道将軍丹波道主命の居館跡とされる船岡山や豊受大神がお使いになった船の埋設地=売布神社、そして久次岳山中には大神の杜と呼ばれる禁足地やイワクラがあります。
 久次岳山頂と山腹のイワクラ=大饗石(オオミアエ石=別名応石)と本社地はなんと、ほぼ東西の線で結ばれるのです。
 久次岳と、その周辺には月読命の御現身(おうつしみ)の伝承も伝わっています。月読命の伝承が伝わる地も極めてまれです。月読命の子孫が日下部氏で丹後の竜宮・浦島伝承の浦島太郎もその子孫に当たるそうです。旧八東町にも日下部という集落があります。
 丹後の月読命の伝承も因幡・八上とも関連してくるのでしょうか。




比沼麻奈為神社









posted by yakamihakuto at 09:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 元伊勢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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