2008年12月26日

ホツマ文字とウサギ

 先日の講演シンポジウムで神様カードを頂戴した方とのメールのやり取りで、驚くべきブログを紹介していただきました。なんと、以前紹介したこともある大神神社のなでウサギの正面からの形がホツマ=ヲシテ文字のトとそっくりだと指摘しています。詳しくはこちらを参照してください。

 うさぎは昔は何と呼ばれていたのでしょうか。ウ(卯)と呼ばれる以前は、ト(兎)と呼ばれていたかもしれません。うさぎが神の使いとしてその像が境内に装飾されている神社の祭神は原初の神を祀っている場合が多いことを、以前記しましたが、やはり、トのヲシテと関連するのかもしれません。
 それを古事記神話の作者がうさぎの本来の神聖性を歪めるために、「ワニを騙して」云々の話を挿入したのではないでしょうか。八上に伝わる白兎伝承には騙しの話など一切無縁で、非常に神々しい印象しかありません。 
 トの教えとは初代天神国常立命の立国の教えであり、人類社会に普遍的な理念が示されています。やはり、ウサギ神には深い意味が付与されています。
 トノという音を持つ地名も、因幡、八上に数箇所残っています。殿様という名前もこのあたりが関係しているのではないでしょうか。整う(トトノウ)も関連ありで、数字の十(ト)も神を表すのでトには深い意味が隠されているのかもしれません。トは北を示しますし、ト(うら)は占いをも示します。兎野(トノ)とも漢字を当てはめることができます。トを取る(獲得する)でトットリ(鳥取、十取り)とも関連するかもしれません。
 地名の由来はそれぞれ、比較的新しいのかもしれませんが、八頭、という地名の持つ不思議な偶然性と合わせ、何か無視できないものがあるようにも思えます。
 記紀のみでは、日本の神々の正確なご業績も不明で、神社へ参拝しても、祭神の神徳もわかりづらい思いをし、閉塞感を持たざるを得ないもどかしい気持ちがありました。
 しかし、ホツマをはじめとするヲシテ文字の文献によって、一挙に日本の神々の業績とその偉大さ、そして、現代にまで引き継がれる日本の精神文化のすばらしさの源がすべて理解できるようになります。
 仮にこれらが神代の時代および、崇神天皇〜景行天皇の御世に記されたものでなく、江戸時代の高度な思想家によるものであったとしても、何らかの方法によって神々の考えを忠実に再現したものといって間違いないと思われます。それは花形隆一郎氏や、鳥居礼氏がすでに指摘しているように、江戸時代に存した思想家の世界観、神道観、支配的なイデオロギーとは大きく異なるからです。プラトンが霊感によってアトランティス大陸の存在を示唆したごとくに、無から有が生じたとしか言いようがないのです。
 ホツマに記された全国各地の古い地名にしても、これだけのもの(実際に触れてみてください。ネット上でもホツマの文章は全て公開されています。)を掲載するには、東北から九州にいたるまで全国津々浦々を歩き回らなければ得られないようなものが多く、自由に全国各地を旅することのできなかった時代にそれらの情報を収集することは不可能です。しかも古い地名のみを選び取らなくてはならないのは、至難の業、まさに神業としか言いようがありません。
 しかも神社の祭神や伝承にいたっては、すりかえられたり、埋没させられているものもあり、それらをホツマのように記すことは不可能です。
 
 記紀は日本の神々の業績や神々の精神的深さ、人類愛、哲学的世界観をほとんどすべて消し去った代物であることが明確に浮かび上がってきます。
 ではなぜ、このようなすばらしい歴史や世界観が消されてしまったのでしょうか。
 
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2008年11月27日

現代版 イナバノシロウサギ

 昨日日本海新聞で紹介された新さんの不思議なエピソードの舞台は実は八頭町の大江谷(旧船岡町)水口(みなくち)の金比羅大権現です。 ここの兎神が、実際の野ウサギに化身して、新さんを案内されたのかもしれません。この鳥居の近くで野ウサギは姿を消したことになります。
 本殿と拝殿の隙間の見つけにくいところに施されているこの立体の波兎神をぜひ皆さんもぜひ見学、参拝してください。水口の集落からかなり山間に入ったところです。道は一本ですが、念のため地元の方に道を確かめておいた方が良いでしょう。うまくすると兎さんに案内してもらえるかもしれません。

金比羅 鳥居
















金比羅 波兎
posted by yakamihakuto at 14:45| Comment(0) | TrackBack(0) | うさぎ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月26日

食べる! 兎ー因幡の白兎ー

食べる! 兎 - 因幡の白兎 -   
 先日のシンポジウムのパネルディスカッションで、筆者は会場からのご質問、「江戸時代に兎を鵜と鷺にして、鳥だから食べてもよいとして食されていたこと」について、「兎を食べないでください。」と、的外れなお答えをしました。
 しかし、その発言も少し修正しなければなりません。ちるくるさんのホームページには、因幡で売られている食べる兎が紹介されています。
 これなら大丈夫です。あとは虫歯に気をつけましょう。
posted by yakamihakuto at 10:39| Comment(2) | TrackBack(1) | うさぎ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月29日

石上神宮の灯篭の兎

 奈良県天理市の石上神宮の灯篭にも兎の彫刻が施されています。
 社務所でこのことをたずねると、昔から兎は石上神宮の神の使いとしてみなされていたそうです。境内には鶏が放し飼いにされており、この鶏が昔からの神の使いとして扱われていたのだと思っていましたが、実際には最近になってからだそうです。
 石上神宮は古くから、(おそらく神武天皇のころから)大和の武器庫として軍事的な色彩の強い所で、各豪族の神剣を収蔵しているところでした。平安時代にここから京の都へ武器、神剣を移す際には、17万人以上を動員したと、由緒書きにはあるほどですから、相当のものです。物部氏の拠点であったこのお社のお使いとして古くから兎が神の使いとして大切にされていたことは驚きです。
 灯篭には他に鹿の彫刻も施され、また、手水舎の脇には天満宮でよく見かかられる銅製の大きな牛の像も鎮座しています。

石上の兎の使い
posted by yakamihakuto at 13:34| Comment(0) | TrackBack(0) | うさぎ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月29日

奈良の大神神社

 奈良県の大神神社の祭神は大物主命、大己貴命、少名彦命です。祭神との関連から、大神神社も兎と縁のある神社です。また、崇神天皇の御代に疫病が蔓延したとき、大田多根子命を招聘し、大物主命を祀って疫病を鎮めたことがあったようですが、この祭祀の日が卯の日であったことにも基づくらしいです。そのような縁で拝殿横の参集殿内には、なで兎が飾られています。
 ほかの神社でも、創始が兎年であったり、兎に関連する日や方角に意味づけをしたものが少なからずあることを紹介してまいりましたが、この大神神社も毎月卯の日に「卯の日祭」を催しています。また、12年に一度の卯の年、卯の月、卯の日に「三卯大祭」が催されているそうです。
 江戸時代までは正月の初卯の日の卯の時刻に、卯の方向を拝する神事が行われていたそうです。
 天皇の代替わりの際に実施される大嘗祭もその実施日は11月の卯の日に催されることになっています。
 日本では、物事の創始と兎はこのように密接な関係を持たされてきたようです。
 
なでうさぎ






















なでうさぎ由来
posted by yakamihakuto at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | うさぎ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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