2008年03月30日

旧八頭郡 大己貴命を祀る社

 次に、やはり気になるのが、古事記神話に登場する大己貴命です。これについても『鳥取県神社誌』で調べました。
 岩田神社 旧郡家町石田百井
 大江神社 旧船岡町橋本
 三谷神社 旧河原町三谷
 黒木神社 旧河原町高福 御井の神は旧八頭郡内ではここと、大江神社で祀られています。
 都波只知上神社 旧河原町佐貫
 山上神社 旧河原町佐貫山上
 小倉神社 旧河原町佐貫小倉
 中井神社 旧河原町西郷中井
 多加牟久神社 旧河原町西郷本鹿
 牛戸神社 旧河原町西郷牛戸
 小畑神社 旧河原町西郷小畑
 弓河内神社 旧河原町西郷弓河内
 高藤神社 旧郡家町大御門大門
 隼神社  旧船岡町見槻中
 若桜神社 若桜町若桜
 三輪神社 智頭町南方
 金刀比羅神社 智頭町坂原
 温宇井神社 智頭町波多
 大内神社 智頭町大内
 温江神社 智頭町駒帰
 河野神社 智頭町土師三吉
 以上21社です。
 このことから、大己貴命を祀る社は旧河原町の佐貫・西郷地区に集中していることがわかります。ここには大己貴命の関連の地であることを知った多加牟久命が永住の地とした、という神社の縁起ともいえるものも残っているのです。大己貴命はやはり八上姫としばらくこの西郷辺りに居住されたのかもしれません。
 祭神関連の社が1社であっても、相当な由緒を持つ場合もあります。
 祭神が集中して祀られているという場合にはほぼ重要な意味があるものと思われます。
 


 
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2007年11月07日

再び大江神社

 大江神社は鳥取県神社庁発行の鳥取県神社誌にはすべての祭神名が記されています。
 そして、由緒の説明には「延喜式所載の神社なり、また正一権現或いは財原大明神とも称す、文徳実録巻三仁寿元年の条に「冬十月戌申因幡国大江(中略)従五位下を授かる」と見え、因幡誌には「大江神社 大江郷財原村(坂田村)財原大明神是なり三座中殿大己貴命、天穂日命、三穂津姫命摂社三十余神 郷中の大社たるを以って大江神社と称す」と記せり、往古国司正四位下因幡国大江氏雄当社を再建す、その後大江広元氏神として崇敬せり、後二条天皇嘉元三年十二月八日本殿相殿二神境内末社五十二神拝殿、神楽殿、神輿宝庫を建立せり 当時の棟札現存し其の文に「嘉元三季乙巳十二月八日大勧進地頭平宗康大宮司藤原吉政」と記載せり、次いで因幡民談記に、寛文年中記録に其の社柱の彫刻に貞治七年再興云々の記事あり、元禄年間大江神社と復称し、享保年間本殿、拝殿、神楽殿を改築す、降りて明治元年境内末社三十五社 祭神五十二柱を合祀し、同五年三月郷社に列せられ...」そして大正五年村中の計十五柱の神々を合祀したことが記されています。これを見ると以前記した大江神社に祀られている八上姫は、もとよりこの大江神社境内の摂社に祀られていたことが分かります。それにしても、かつての大江神社の境内には、数多くの神殿があったのです。丹後の大江町の元伊勢や出雲大社のように、多くの摂社を擁していたようです。これほど多くの摂社をもつ神社はそれほど多くはありません。
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2007年09月19日

元祖大国主命と白兎像2

 ちゃぶちさんが以前、白兎海岸へ観光されたときに写された貴重な写真です。ありがとうございます。
 筆者もうっすらとこの像を見た記憶があります。まさか、八東町の方が経営されていたとは思いませんでした。やはり八上は全域で白兎と縁があります。石破教授も筆者も含め、白兎海岸の地元の方々よりもいにしえの八上郡内に白兎に関心を持つ方が多く出てくるのも何よりの証左ではないでしょうか。

懐かしの白兎と大国主命像
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2007年07月11日

黒木神社

 鳥取市河原町高福の黒木神社です。祭神は八上姫の御子神=御井の神と大己貴命です。売沼神社の東方にある高福集落の氏神神社です。売沼神社とは目と鼻の先にあります。現地に行っても由緒書きもないので、図書館で調べるしかありません。ネットでも調べてみましたが、詳しい情報は出てきません。


黒木神社
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2007年04月30日

大江と大江神社について

 大江について
 ところで大江氏の由来は、定説では桓武天皇の御代、現在の京都市西京区大枝(おおえ)を発祥の地とするそうですが、八上の大江は、その後の命名となるのでしょうか。式内社の大江神社は、平安時代に大江氏が登場する前にはなんと呼ばれていたのでしょうか。財原明神とも呼ばれていたそうですが大江、と名のり始めたのは、大江広元が八上に来る前からだったようです。
 大江広元は、因幡に数ある土師氏系の神社から、船岡の大江神社を自らの氏神神社として選び出したのは当時において、相当な社格があったことと、由緒が伝えられていたからに違いありません。大江広元が因幡国守を務めたころに、正一位大権現にまで社格が上げられました。
 わかる範囲で大江神社とかかわりのあった大江氏の名前を挙げてみます。

大江氏雅 
     859年 因幡国守 社殿再建
大江定基 伝和泉式部の父
     927年 因幡国守 社殿再建
大江広元 1184年〜1185年因幡国守  大江神社を氏神神社とする
大江師貞1387年 地頭で智頭の虫井神社を山頂部より山腹へ遷座したときの願主
 
 大江氏がこの大江神社の神職として少なくとも約500年間、代々関わっていたように思えます。
 規模の大きい神社は国が管理するようになった明治以降は世襲制が禁止されてしまい、伊勢神宮も、現在は内宮の荒木田氏や外宮の渡会氏等が祭祀を継承しているわけではありません。出雲大社は、確か南北朝時代ごろに社家が分かれたものの、現在もなお世襲制を守っています。
 しかし、明治以前の神社は、代々の世襲神主が継承しているところが多かったのです。よほどの政変や戦乱の激しかったところ、祭祀の継承がなんらかの理由で途絶えた神社等はもちろん別です。
 
 その後、大江谷の3つの大きな社である大江神社と塩野上神社、そして赤倉神社ともに、林氏を名のる神職が仕えていたようです。大江は姓であり、苗字ではありませんから大江氏の末流はたとえば、毛利氏や長井氏、等々を名のるようになります。林氏も大江姓の流れを引くものであると思われます。もっとも、大江谷のほとんどの家系が大江氏をルーツに持っているように思われます。
 
 赤倉神社 1719年林権少輔が大江神社より独立して社を再興 (現在も林氏が神職を担っています。)
 つまり林氏が大江神社に仕えていたことが伺えます。
 塩野上神社  由緒書きには  神主は、大江神社の神主林左京亮藤原忠継 と記されており、大江の3社にいずれも林氏が神職を務めていたことがわかります。
 大江神社は現在、勝連(かつら)氏が神職を務めており、年に一度巫女舞が催されているそうです。
 また、「ヒューマニズムの先駆」として称えられている大江卓氏も大江神社を参拝して、社殿の扁額を寄贈しています。
 
 大己貴命がここで民を教化した、という伝説の残る地ですから、社も相当の歴史を持っているのは間違いないでしょう。最近の鳥取大学の地域学部の学生の皆さんによる調査によれば、大江神社にも素兎の神が土地の守り神として祀られているらしい事も判明しており、(地域学部地域文化学科のホームページを参照してください。)八上姫も祀られているようであることと併せて、大江神社が白兎伝承の重要なキーを握る社のひとつであることが浮かび上がってきました。
 
posted by yakamihakuto at 17:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 大己貴命 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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