2008年12月12日

伊蘇乃佐只神社

 先日、講演シンポジウムの翌日に、雨の伊蘇乃佐只神社に参拝に行ってきました。八東町安井宿の水田地帯にある地元の人も普段はあまり参拝していない神社ですが、実は祭神が非常に珍しい神直琵神、大直琵神で、全国的にも極めてまれなので、一部にはたいへん有名なお社なのです。まさに宝は田からです。
 伊蘇乃佐只は埋没神、伊豆能売神を連想させます。「いやー、八上は本当にすごいところですねー。」と、水野晴郎さん風に、言葉が自然と出てきます。多くの宝に恵まれた八上、因幡、その価値を再発見し、その情報を発信していけば町はどんどんよくなると思います。
 
イソノサキ本殿
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2008年09月02日

日下部

 ほかの地域がどうであるかをしっかり調べていないので、断定はできないのかもしれませんが、以前から指摘しているように八上には、皇室由来の氏族の末裔が多いのではないかと思われます。それが地名となって残っているものの一つに旧八東町に日下部(くさかべ)があります。日下部氏は開化天皇とつながりのある氏族とされています。開化天皇陵は現在の奈良市の市街地のど真ん中にありますが、行ってみると騒然とした街中にこんな静謐の地があるのか、と驚いてしまいました。
 実は、開化天皇は丹後地方ともつながりがあるようです。また、開化天皇を主祭神とする神社が丹波の亀岡市の穴太(あのう)というところにあります。ここは大本の出口王仁三郎氏の出身地でもあり、同時に、丹後元伊勢の豊受大神が伊勢山田へ遷宮の際、途中でお留まりになったということが地名由来となっているところなのです。
 以前紹介しましたが、浦島太郎の祖、日下部氏が月読命の末裔である、という説が丹後の浦島神社に伝わっています。亀岡も月読命と関連のある地名や神社が残っており、何かつながってきそうです。
 上と下にわかれる日下部にはそれぞれ神社があります。日下部神社には氏族の先祖神、日下皇子が神功皇后、応神天皇と共に祀られています。由緒書きが拝殿にあったので、神社の祭神がわかりました。
 上日下部神社では天穂日命が祀られています。こちらは鳥取県神社誌や八東町誌などで、祭神名を知ることができますが、現地に行っても由緒書きはないのでわかりません。
 普段は村の人でさえ訪れないところですが、村の起源を物語る大切なお社です。どちらも、他の地域でもほぼ同様ですが、村の一番奥にあり、見つけ出すのに少々苦労しました。

上日下部神社























日下部神社
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2008年07月30日

松原 丹比の天照大神伝承

  大阪府松原市の丹比というところにも天照大神の伝承があるようです。八上にも旧八東町に丹比というところがあります。遡ればおそらく関連を見出せるでしょう
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2008年06月06日

日高見

 2007年9月記事「日高見神社鳥居」 の記事にコメントを頂戴しました。ありがとうございます。日本でかつて日高見と呼ばれていた、とはっきり言える地域はやはり東北の宮城、岩手のあたりであると思えます。北上川、北上山地、という地名もありますが、これも当然、日高見が語源でしょう。日高見は大祓祝詞にも「大倭日高見国」として登場するくらいですから、相当由緒がありそうです。三内丸山遺跡のような縄文時代の巨大な遺跡もあり、 関連をうかがわせます。
日高見神社は宮城県石巻市にありますが、天照大神、原初の根元神を祀っています。
 ネットで検索したところ、ある研究者が、この名前について発表されています。そこには、かつての日本全体が日高見と呼ばれていたのではないかとする説が記されています。
 八上の旧八東町には日田という地名もあります。これも何か関連するものと思われます。日田のとある民家に、あの船岡の西橋寺の波兎を模した鏝絵があることをずっと以前に紹介しましたが、これもその家のご先祖様の言い伝えに基づくものであったのかもしれません。八東町では表立って、天照大神や白兎のことは取り上げてはいませんが、人々の遠い記憶の中にそれに関連するものが残っているのではないかと思われます。
 元祖、大己貴命と白兎の像が八東町にあることも昨年9月に紹介しました。
日高見神社参道は、「私の好きな道2006」コンテストで2位となり、有名になりました。

 また帰省時に八東町を廻ってみたいものです。
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2007年10月23日

イナバノシロウサギ小冊子

 八東町の井上様よりご提供いただいたご自身作成のイナバノシロウサギのパンフレットの表紙です。当時経営されていた白兎海岸のレストランで絵葉書とともに頒布されていたそうです。許可を頂き、ネット上で公開させていただくことになりました。英語訳もついており、白兎海岸、白兎神社の地を国際的な観光地として考えていらっしゃいます。内容はいずれご紹介しますが、ここに記されているストーリーも微妙に異なります。
 絵葉書も井上様ご提供のもので、いまはもう入手できない貴重な一昔前の写真です。撮影技術がたいへん高度で、不増不減の池などは幽玄の美そのものといった観を呈しています。
 菊座石も28弁の花弁がこれほど明瞭に写されたものを筆者は見たことがありません。
 申し遅れましたが、「白兎海岸での現役を引退された」元祖イナバノシロウサギと大国主命像も八東町在住の井上様所有のものです。
 やはり八上と白兎は見えざるところでいまもなお深いつながりを持っています。八上の人々のDNA或いは潜在意識に白兎伝承が深く刻み込まれているのではないでしょうか。

イナバノシロウサギ小冊子
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2007年09月17日

日高見神社鳥居

 八東町小別府の日高見神社です。祭神は天照大神です。明治36年の卯の年に鳥居が建てられているところに、八上の白兎と天照大神の伝承と何等かの縁があるように思えます。
 日高見は明らかに東北由来の地名であり、なぜこの名前がつけられたのかは不明です。
 元はこの社付近に集落があったのですが、洪水により、村が移転し、その後も神社だけ残ったようです。
 同じく八東町には阿蘇神社もあり、こちらはアメノヒボコの勢力が、金属の採掘に来たからとも、九州の阿蘇と関連するともいわれているようです。

日高見神社鳥居
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