2008年11月03日

因幡万葉歴史館

 因幡万葉歴史館は、因幡国の国主として赴任した大伴家持が万葉集最後を飾る歌をこの因幡の地で詠んだことを記念して平成になって作られた記念館です。(ちなみにこの歌を最後に大伴家持は一切歌を詠まなくなります。そこには藤原氏との確執があったとも想像されます。)
 そこにある庭には、万葉集の和歌に登場する木々や植物が植えられています。その中に、あのシラカシが植樹され、その根元には、万葉集10巻柿本人麻呂の編集した詠み人知らずの歌、
 足引きの山路も知らず
    しらかしの枝もとををに
          雪のふれれば
 が紹介されていました。
 もちろん、この和歌の類似の
 
 あしひきのやまへはゆかじ
    しらかしのすえもたははに
          ゆきのふれしば
 が八上の若桜町舂米に、天照大神の御製として伝わっていたという事実は紹介されていません。
 しかし、これは一つの驚きです。シンクロニシティーといいましょうか。実に不思議です。
 万葉集は、約4500首もの和歌が収められていますが、その中には詠み人知らずの歌も多く、もし、文字が存在していなかったとするなら、どのようにそれらの歌が伝えられてきたのか、疑問な点もあります。

 筆者は以前にも述べましたが、万葉集の中の詠み人知らずの和歌のなかには、神々の詠まれた和歌が多く含まれているものと思います。和歌は、政治と密接な関係を持っていた、という事実からもこのことは妥当ではないかと思います。 特にシラカシという言葉は、政治の舞台と大変重要な関連を持つものとして使用されてきたように思います。
 奈良県にはシラカシに因む地名が比較的多く見られるのはこのためであると思われます。
 奈良と八上の類似性に気づいておられる石破教授や、郷土史研究家の新誠さんの見解とも一致するものと思われます。


posted by yakamihakuto at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 国府町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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