2008年10月14日

「田から」が「宝」に

 時々、聞くようになったことですが、宝という言葉はもともとは田からいろいろな作物ができて、人々の生活を潤すことが、その語源であるということです。実は、これはホツマに記されていることです。
御衣(ミハ)定(サダ)め剱名(ツルギナ)の紋(アヤ)23紋 11に記されています。
 同じ23紋の38,39にはツルギの語源も記されています。
 一方で筆者は、出雲国風土記と格闘しています。風土記では天穂日命の本拠地について野城神社が出ていますが、やや疑問の余地が無きにしも非ずですし、事代主命=クシ彦のことが一言も記されず、美保神社の祭神についても異なったことが記されています。古事記や日本書紀の出雲神話と大幅に内容が異なることはつとに有名ですが、それにしても、733年成立の出雲国風土記の記述がすべて正しいとも断定しがたいとも思われてきます。このあたりの最終判断はかなり慎重にすべきでしょう。(筆者は丹後の元伊勢を研究して以来、丹後国風土記において、あたかも豊受大神が羽衣天女であるかのごとくに記されていることから、風土記の信憑性に疑問を持っています。もちろん風土記すべてではありません。浦島伝承(特に出発の日時が雄略22年7月となっている点、これは宇治山田への遷宮出発と同時です。)と羽衣伝承は豊受大神の伝承をぼかす意図の下に作られた可能性を持っていると、推測しています。)
 また新たな研究課題が出てきました。いずれにせよ、出雲は式内社の数も周囲の国と比べて圧倒的に多く、したがって、神社祭神や由緒について、相当な改変が藤原氏の全盛期に、あるいは記紀編纂のタイミングとあわせて変えられた可能性があるのではないかと思えます。
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2008年10月09日

八上の白兎は神聖な神

 
 八上 ルネサンス Yakami Renaissance
 
 八上の白兎を象徴するイラストはすでに、拙著の中でも紹介していましたが、改めてブログ上でもご紹介いたしました。
 このイラストに象徴されるように、八上の白兎は、初めて八上においでになった天照大神を、行宮のためによりよい場所へと案内したのです。城光寺縁起、慈住寺記録に基づけば、このイラストのように天照大神の御衣の裾を銜(くわ)えて、霊石山頂の伊勢ヶ平(もちろん後世の呼称です。)まで案内しました。これが、八上の白兎伝承の核心です。そこには、ワニを騙して、などという話は介在しようがありません。八上における白兎は、より良き方向へ導く道案内の神であり、八上姫を含むその祭神の神社等から八上、因幡全土を守る守護神として意義付けて差し支えないでしょう。
 その意味で、古事記に記された稲羽の素菟とは、その描かれ方が大いに異なります。
 実際、稲羽の素菟がワニを騙したことに対して、素菟に対してあまりよい感情を抱かない地元の人もいるのを筆者は知っています。
 しかし、古事記神話は、海外のウサギ伝承をつなぎ合わせて、稲葉に伝わる本来の伝承をかき消して、創作されたものとしてとらえるのが妥当です。したがって、八上の人たちは、自信を持って白兎の神を誇りに思ってよいのです。そうであるが故に、今まで八上の地で、数千年にもわたって兎神を大切に祭ってきたのです。しかも、古事記神話では舞台(比定地)について異論が出ていますが、八上ではその舞台はそれぞれ明確であることもたいへん重要です。(伊勢が平、御冠岩、白兎神社、伊勢道、赤倉山、氷ノ越えなど。話は少しそれますが、中央中学校近くの寺山古墳は八上に今も在住している方の先祖の墓である、という言い伝えが残っていることもすごいことです。)
 今後、八上ではこのイラストのように描かれた兎神を町のあちらこちらに、数多く登場させてはいかがでしょうか。
 地元の神話伝承を大切に顕彰することは、郷土愛を深めることにつながります。私たちのレーゾンデートル(存在理由)を確認し、自信を深めていくことになります。
 そして、八上の白兎伝承は天照大神伝承と不可分であり、もちろん、大己貴命の八上来訪、八上姫伝承とも不可分なので、かつての八上郡、すなわち、旧八頭郡郡家町・船岡町・八東町・若桜町・智頭町、鳥取市の河原町・用瀬町・佐治町が結束して、この神話伝承の更なる顕彰を進めていかないと、話が断片的になり、その意義が薄れてしまいます。この点は大変重要です。

八上の白兎
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2008年10月02日

「因幡の白兎神話の謎 比較神話から読み解く」を読んで

「因幡の白兎神話の謎 比較神話から読み解く」は12名の研究者、学者の皆さんが執筆した論文を編纂した書です。
 その名のとおり世界の神話との比較から論じられたものが多くのせられています。
 私のような浅学のものには、少々難しい内容でした。比較的地元のことが詳しく論じられているものが読みやすいと思いました。金達寿氏の歴史観にも触れられており、筆者は懐かしさを感じました。
 イナバノシロウサギと一言でいえども、いろいろな視点からさまざまに論じることができるものであることを強く感じました。
 世界的に神話の内容に類似点が見られることはつとに知られていることですが、なぜこのような現象が起こったのか、そこを探ると面白そうです。
それにしても、世界各地に残る神話、その中で、現在もその神話に基づく神殿や遺跡があり、それらが今もなお、信仰の対象となっているのは日本の神話くらいのものではないでしょうか。
 日本の神話の生命力の強さを感じます。
 八上に伝わる天照大神を道案内した白兎伝承は、絶妙なストリー性のあるものではなく、この本には記載されていませんが、逆に、それは固有のもの、であることがわかります。
 誰も指摘していませんが、八上のシロウサギは騙したりすることは一切ありません。本来の純粋無垢で尊いシロウサギの神です。それは、石破教授が主張されているようにシロウサギ=八上姫の化身、八上姫の評判とも完全に一致します。
 
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2008年09月28日

ブクログ



 世の中、どんどん便利になってきています。このような広告用の貼り付けも知らぬ間に作成されていました。ありがたいことです。
 拙著をお読みになった皆様、どしどしレビューをお書きください。
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2008年09月27日

因幡の白兎神話の謎 比較神話から読み解く

  なんと知らぬ間に、『因幡の白兎神話の謎 比較神話から読み解く』という本が今年5月に出版されていました。本日、ネットで検索していたところ、偶然発見しました。
 編者は鳥取大学の門田教授です。早速筆者もネット書店で注文しました。また読後にご紹介します。
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2008年09月21日

蒜山高原の天の真名井

 蒜山高原にも天の真名井がありました。
 どうして蒜山高原には古事記神話に比定されるような地名が集中して残っているのでしょうか。不思議です。中にはおろち(大蛇)という地名もあります。

蒜山天の真名井

























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2008年09月17日

大山

 大山の北壁と南壁は峻厳な岩肌をむきだしにしていながら、北西方面からの眺めは、まるで富士山のようです。天の真名井はこの大山の伏流水で、大山に降り注いだ雨が、数百年間の時を経て地下水路を通って湧き出ているのです。その一つが先日紹介した天の真名井です。
 最近、宮崎の東国原知事のおかげもあっていっそう注目を浴びている日向高千穂。ここの天の岩戸神社を訪れて、インスパイアされたそうです。筆者もここを数年前に訪れたときに、ここで写真を撮影しましたが、不思議な光が写っていました。高千穂はパワースポットとしても有名になりました。ここはニニギノミコトの崩御の地です。富士山のコノハナサクヤヒメと向かい合っているのです。ホツマによればコノハナサクヤヒメは瀬織津姫と同じ家系のご出身です。町全体に神々しい雰囲気が漂っていました。筆者の惹かれる地には真名井=マナイという名前のつくところが多いようです。
 高千穂と富士山の関係を紹介しましたが、富士山と大山はほぼ同一緯度にあります。その間に元伊勢があり、八上があり、八上では白兎神社のみならず、瀬織津姫、天照大神と関連するお社や神蹟があり、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメを祀る賀茂神社(宮谷)があります。
 大山のふもとには高千穂という地名が残っています。不思議です。

大山 伯耆富士
















大山南壁


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2008年09月16日

八上に注目が

 このところ因幡、八上に脚光が浴びせられつつあるようです。8月にはスローライフの催しがありました。
 9月にはいると、八上出身の石破茂氏の総裁選出馬で八頭町が有名になりつつあります。
 ブログでも記しましたが、八上は神話時代より著名な政治家と縁のあるところのようです。その伝統が今も受け継がれているのかも知れません。
 
 追記:七瀬ふたたびの主人公を演じる鳥取市出身の蓮仏美沙子さん(蓮佛美沙子さん)もその名からすると、八上ルーツかもしれません。
 
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2008年09月04日

天の真名井

 案内板「天の真名井
この泉は、米子市淀江町大字高井谷泉川にあり、「天の真名井」と呼んでいます。「天の真名井」とは、「古事記」「日本書紀」において、高天原の「神聖な井戸」を意味し、神聖な水につけられる最高位の敬称です。
高井谷の氏神である下津守神社の古棟札にも、「天乃真名井乃清久潔急幾与 元水於降玉布」と古くから記されております。 その湧水量は、一日二千五百トンに及び、夏は冷たく、冬は温かく、実に味わい深い天然水で、今は、地元の水道水源としても使われています。
この「天の真名井」 泉川の下流の宇田川平野には、弥生時代の角田遺跡があり、すでに二千年もの昔から、人々の生活と耕作の水源として大切にされてきたことを物語っております。
昭和19年に完成した「昭和用水」の水源もこの清水です。文字どおり、郷土の文化と産業を興し、歴史を築いた清水であり、地元「高井谷集落」では、四季折々に、「底ざらえ」をして、水神を祭り、今も古代そのままの神聖な域として、その姿を保っています。」
 なお、このほか淀江町内には、佐奈徐(さなめ)の泉、三泉(西原)・田井の沼(たいのかま)(福井)・本宮の泉(本宮・因伯の泉)・湯口(いぐい)の泉、馬那良シ(ままならシ)(稲吉)・熊谷(くまだに)水源(福岡)など山麓の各所に昔から豊富な清水がこんこんと湧き出しております。
 
 天の真名井の水は、飲んだ人なら誰でも感じると思いますが、本当に体が喜んでいる神聖な水です。おいしい水です。
 大山の伏流水の一部は少し前から商品化されるようになりました。サントリーが今年から奥大山の水を商品化していますが、一昔前は、確かグリコが高原の岩清水という名で製品化し、コンビニなどでも売られていました。今でも売られているのでしょうか。
 天の真名井の湧き水の出所は、知らないと間違ってしまいます。川の上流から流れてくる水ではなく、よく見ると、川の上流に向かって右側の岸の下から川の水に合流している緩やかな流れがあります。こちらが、本物の天の真名井の水です。ちゃんと看板でもあればよいと思うのですが。ネットで変わった航空写真を発見しました。

天の真名井
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2008年07月24日

驚くべきサイトが。

 驚くべきサイトをネット上で発見しました。月の光 という成田亨氏のサイトで、因幡の神社についても紹介されていますが、拙著からも引用されています。うれしい様な恥ずかしい様な気がします。
 このサイトでは筆者が全く気づいていない点についての指摘もいくつもあり、八上・因幡が特別な地である事が浮かび上がってきます。特に豊受大神と因幡の関係について、より深く推理されている点は筆者にとっても驚きです。筆者が神道に関心を持ちはじめたとき、最も惹かれた神が豊受大神であった理由がわかるような気がしました。豊受大神と因幡の関係は今まで、あまり注目されてこなかったことです。
 もっと、このような深遠な神々が作り上げた歴史的背景を認識しておく必要があるでしょう。
他にも風のメモワールというページサイトにも紹介いただいております。ありがとうございます。それぞれ基本的な考えなどのバックグラウンドはさまざまですが、それがまた良い点であると思います。
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2008年07月13日

下鴨神社 井上社

下鴨神社境内本殿東隣にある井上社です。祭神は瀬織津姫命です。みたらし団子発祥の地といわれています。

井上社
















井上社由緒
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2008年07月09日

ホツマで解ける『砂の器』の謎?

 日本映画の不朽の名作といわれる『砂の器』では、事件解決の糸口として、東北弁と出雲弁の類似性がクロースアップされました。何故、このような類似性が生じたのかについての考察はなされていなかったようです。
 ところが、ホツマによれば、大国主命は、国譲りの後、東北の岩木山に遷ったことが記されています。それに対応するように、青森の岩木山にある岩木山神社の祭神は顕国玉神(ウツシクニタマノカミ)として大国主命が祀られているのです。名前の由来が国替えに基づくものであることがはっきりとわかります。
 大国主命の御子が181(180)人もいたのではなく、180人の従者を引き連れて出雲から岩木山へ遷ったというのが真相のようです。これが、出雲弁が東北弁と似通った発音となった根拠かもしれません。記紀ではこのようなことは一切わかりません。記紀神話がいかに貧弱であるかを、ホツマを知れば知るほど強く感じてきます。(もちろん、ホツマがすべて正しいとまでは断言はしておりません。)
 筆者が偶然、伊勢外宮の下御井社で出会った、あるホツマ研究家からお聞きした話によると、鹿児島の言葉と、東北のおそらく秋田だったと思いますが、そこの言葉とが似通っているそうなのです。実は縄文時代に桜島が大噴火をして、鹿児島の住人が東北へ遷ったという伝承があったそうです。方言をより緻密に研究するとよりさまざまなことがわかるかもしれません。
 
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2008年07月02日

ホツマ文字の効用!?

 今朝の朝刊にマキノ出版の『安心』という有名な健康雑誌の広告が出ていました。その中に「癒しの力を秘めた古代文字を発見! ホツマ文字を手足に書いたらひざ痛、腰痛が消えた うつ病、リュウマチが大改善 7kgやせた」とあるではありませんか。
 ホンマカイナ?という気がしますが、じつはホンマという言葉もホツマが語源ではないか、という説もあります。また、古文を学習された方なら皆さんご存知の真秀(まほ)という言葉ですが、真秀(まほ)と秀真(ほつま)は同じ言葉といっても良いのではないかと思います。 
 思わぬ方面からホツマのことが有名になるかもしれません。ホツマツタヱが発見された滋賀県高島市の市民会館では、既にほつま文字が刻まれた会館の石碑があります。
 ホツマホツマと八上の伝承の関連、および神話・古代史が『記紀』として書き換えられた理由等については以前も述べましたが、これがきっかけで日本の神代史・古代史の実相が広まるとよいのですが。
 
 『安心』を入手したら、また記事を足します。

と、書きましたが、やはり、関心のある方は是非、『安心』を入手してください。
 
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2008年06月27日

北野天神のなで牛像破壊に思う

 6月25日の菅原道真公の御誕生の日、またはその翌朝に京都市上京区の北野天満宮で、頭をなでると賢くなると言われる御影石製のなで牛の頭が割られるという事件が起こりました。
 菅原道真公は、丑年生まれで、丑の月の丑の日に亡くなり、牛車で御遺骸を運んでいたときに、牛がとどまったところに太宰府天満宮を創建した、というように、牛とは切っても切れない関係にあります。
 今回の件に限らず、時折、このような無差別な器物損壊事件が起きると、嘆かわしい気持ちになります。
 
 ふと思ったのですが、石造の牛もかわいそうですが、生身の牛も本来20年から30年近い寿命があるのに、日本では実際、5〜6年の寿命だそうです。約440万頭、日本の国内で飼育されている牛のほぼすべてが、天寿を全うすることなく、大半の人の目に触れることのない場所で、血を噴き出しながら首を切り落とされ、体を隅々まで切り刻まれて殺されているという事実があるのです。(教育、食育、マスメディア等によって一定の価値観が出来上がっているからなのでしょうか。破壊された石像には同情し、殺される肉牛には何の感情も持たないで、美味しい、美味しいと舌鼓を打つ私たちの感情も統制された中のものに過ぎないのかもしれません。この食肉解体の事実は俎上に載せられることはありません。実際、筆者もこの記事を書くことにためらいを感じるくらいです。)
 グルテンや、昨今注目を浴びているおからこんにゃくが、牛や豚、鶏、羊の身代わりになれば、いろいろな問題は一挙に解決できるはずなのですが…。(またまた日本ですごい発明がされたのではないかと思います。しかも大国主命と縁の深い岩木山の麓です。東北の一主婦の発明が地球環境を大きく好転させるかもしれません。)
 動物の愛護は突き詰めると、奥深いところへとつながりそうです。
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2008年06月14日

スローライフ鳥取

 きたる8月1日〜3日にかけてスローライフジャパンの催しが鳥取で開催されるようです。
 2日の分科会の一つは八頭町で催されることになっており、そのテーマもまさにぴったりという感じです。
 「八頭(やず)分科会「歴史と環境」
会場:鳥取県八頭町
歴史上の物語や教え、また民俗・風俗のなかに、環境の大切さと社会のあり方を見出す。「白兎物語」などを題材にしながら、全国の伝説・昔話をスローライフの視点で見つめ直す。」と案内には記されています。
 期待できそうな予感がします。

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大和と八上

 いろいろ調べていくうちに、古代の大和と八上には共通するものがいくつかあることがわかってきました。そのことは、郷土史研究家の新 誠氏も最新の研究成果で公表しています。
 筆者も先日訪れた長谷寺の地にも天照大神の伝承が残っていることも共通した点です。
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2008年05月31日

ケルトと日本

 小泉八雲はギリシア人の母とアイルランド人の父の間に生まれました。ギリシアといえば、ヨーロッパの学問のルーツといってもよいと思われます。
 一方、アイルランドはヨーロッパ文化の基底をなすものであるように思えます。
 アイルランドはかつてヨーロッパ全体で活躍したケルト人が追いやられたところです。地球は丸いので、東の果てであるアジア、そのさらに東は、結局西洋の地になるのですが、その最西端に位置すつと言えるのがアイルランドなのです。このアイルランドと日本は、どちらも島国ですが、いくつか、共通性があるように思えます。
 最近、知ったことですが、日本には昔から家紋があります。
 筆者の家紋は丸に蔓柏(つるかしわ)です。柏紋は、古くは神職の家紋として採用されてきたものだそうです。神前に捧げる御餞(みけ)を盛る器として柏の葉が用いられたことに由来するらしいのです。この家紋を持つ家系は神職か、若しくは、熱心な氏子の家系だそうです。もちろん、一昔前までは日本社会では神社の存在を重要視しており、それに携わる人も多かったことから、ある意味ではありふれた家紋であるのかもしれません。
 この柏紋の変形版にはなんと偶然にもケルトの装飾と全く共通するものがあるのです。三つ柏は西宮の西宮神社や甑岩神社など、恵美須神を祭る社の社紋でもあります。
 セントパトリックによって改宗される前のケルト社会ではドゥルイド(ドルイド)教に代表される多神教的な世界観が主流でした。その点でも、日本と共通することがあると思われます。
 

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2008年04月23日

アマゾンでなか見検索スタート!

 アマゾンで拙著のなか見検索がスタートしました。表の表紙と裏表紙、目次と最初の章をすべて閲覧できるようになりました。まだ、入手されていない方は、一度ご覧ください。
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2008年04月21日

長谷寺の天照大神

 奈良の名刹、長谷寺に行ってきました。
本堂の本尊は11メーターもの大きさの十一面観音、向かって右手に春日明神の御神像、そして、向かって左側になんと、天照皇大神の御神像=雨宝童子の像が安置されています。像の前方に大きな額が掲げられており、そこにはっきりと天照皇大神と記されています。
 本堂の外はあの清水寺の舞台づくりと同じようになっており、そこからは、風光明媚な長谷寺の全景を眺めることができます。そして、舞台より向かって左側にそびえる山が天照大神ご降臨伝承の残る與喜山です。このことが縁起で、長谷寺は天照大神を本堂内に祭っているようです。
 源氏物語にも登場する長谷寺詣で、宮中の女御にとって長谷寺詣では楽しみであったようです。今年は源氏物語からちょうど1000年だそうです。
與喜山
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2008年03月30日

旧八頭郡 天照大神を祀る社

 この流れでいくとやはり気になるのが、旧八頭郡内での天照大神を祀る神社です。
 『鳥取県神社誌』で調べました。ただし、たとえば、米岡神社祭神には天照大神の名が挙げられていないなどの致命的なミスがありますので、大まかな目安としてみてください。
 やはり式内社は一つもありません。このことは注目すべきことでしょう。
 
 米岡神社 旧郡家町米岡
 赤倉神社 旧船岡町栃谷(大江谷)
 北村神社(日月宮) 旧河原町北村
 隼神社 旧船岡町見槻中
 日高見神社 旧八東町小別府
 若桜神社 若桜町若桜
 鷹狩神社 旧用瀬町鷹狩 
 岩神神社 智頭町岩神
 向田神社 智頭町土師穂見
 土師神社 智頭町土師埴師
 計10社です。
 
 町単位でみると、式内社の最も少ない智頭町に多く(といっても3社ですが)祀られています。
 伝承が残っていた伊勢道の舂米付近に天照大神を祀る神社があってもよさそうなのですが...。
 
posted by yakamihakuto at 18:43| Comment(3) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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