2008年11月05日

清流茶屋かわはら=八上姫の駅

 清流茶屋かわはらは道の駅の中でも中国地方屈指といわれるほど評判の高いところだそうです。
確かに、イナバノシロウサギ伝承や、特に、八上姫を大きくクロースアップした戦略はみごとに地元ならではの特色とマッチしています。賣沼神社とも上手に連携して、神様のご利益を戴いていることも勝因ですが、マネージメント、マーケティングの高度なノウハウを持っており、他の観光地でも大いに参考になる点が多いのではないかと思います。この清流茶屋かわはら自体が、すでに観光名所となっているのです。ニュータイプのテーマパーク、テーマステーションといえます。(莫大な負債を抱えて数年で潰れる地方のテーマパークとは違います。)
 筆者も、拙著を出版した直後に、こちらでの本の販売をお願いしたところ、すぐに快く受け入れてくれました。実際、このたび訪れてみると、拙著はすでに売り切れとなっており、早速在庫補充しました。
 さらに、ここは八上姫を中心に、イナバノシロウサギ伝承にかかわるさまざまな情報の発信基地となり、訪れるたびごとに、その内容レベルが高くなってきているのを感じます。さまざまなイベントもこの道の駅で催されています。
 常に更新し、アイディアを出し続けることは、人体の新陳代謝のように必要なことなのです。 担当の方は相当な研究もされており、たまたま筆者が事務所を訪れたときに、偶然にも拙著をお読みいただいていたようで、筆者はシェーッ、と驚きました。
 筆者も非常に注目しています。このブログも以前に紹介されたようです。ありがとうございます。
 八上姫、イナバノシロウサギ伝承地顕彰を鳥取市という現代の行政区に限らず、因幡全体に広げていくと、本当にその神話の価値が高まると思います。実際、現時点で、物産に関しては行政区分は関係ないようで、若桜や大江の物産も販売されています。ですから神話伝承もより整合性が取れるように、因幡全体へと広げていくのが自然でしょう。
 筆者は、宮崎よりも、因幡のほうがより豊富な神話伝承を残していると思います。ですから、取り組み方次第では、全国的に有名な神話伝承の観光地になりうると思います。
 道の駅は、その地元で取れる物産販売のみでは、いずれ行き詰まると思います。やはり、その地に固有の情報や古くからの伝承、ありきたりではなく、隠れた観光名所情報など、文化的なものを、旅行者は求めているのです。そのあたりのニーズをしっかりとキャッチしている点は、本当にすばらしいことであると思います。今後の活躍が期待できます。
 
 奈良・平安時代に、おそらく八頭町石田百井にあった莫男駅(まくなむえき)=八上姫駅は、平成の世に、ここ河原町高福に国道53号線と、近い将来開通する鳥取自動車道という主要幹線における現代版莫男駅=八上姫駅として蘇りました。これは、江戸時代後半以降、売沼神社を中心に、地元の人たちが八上郡内でもっとも八上姫を称えてきたことの因果とも言えるでしょう。旧八上郡で以降現在に至るまで、八上姫を最も称えているのは間違いなく河原町・売沼神社です。
 一方、筆者はもともとの八上の範囲を因幡全土ではないか、と推測していますが、その点から言っても歴史上一貫して八上姫を主祭神として、2000年近くにわたって称えてきたのは、先日紹介した鳥取市国府町菅野の酒賀(すが)神社、祭祀を50代受け継いできた長尾宮司家であることを忘れてはならないと思います。八上姫の謎を解く上で、最も重要な社が酒賀神社です。
 八上=因幡全土とは、八上姫を娶った大己貴命が、そのことにより、因幡全土を勢力圏としたととらえられるからです。
 筆者は八上姫伝承地と、八上姫を祀る神社を参拝して、八上姫は因幡の複数の場所に居住されたのではないかと思うようになりました。
 これは、丹後地方においても豊受大神の伝承地が複数あり、そのいずれもがなんらかの根拠があるからです。もちろん、メインの場所はあると思いますが、あまりそこで決着をつけようとすると、こじれるので、どれも候補地として、取り上げるのが妥当ではないでしょうか。
 その後の信仰の深さや持続によって、最終的にはどれが本当の場所かは分かってくるように思えます。いずれにせよ、もっと八上姫を祀る神社や白兎を祀る神社が増えてもいいと思います。
 少し、見方を変えると、神社合祀は結果として白兎神社関連の地を賀茂神社、青龍寺と、2箇所増やすことになりました。マイナスがプラスに転化したともいえるのです。そのあとは地元の住民の盛り上げ方次第であると思います。
 それと、地域の皆さんにもちゃんと利益が還元されるようなシステムが構築されることが大切です。特に自動車道が整備されると、実は自動車道が敷設された地域の経済力が弱まるのは見えています。自動車道の途中の出口に降りてもらえるよう、観光資源をもっと宣伝・開発していくことは大変重要です。
 
 


posted by yakamihakuto at 00:23| Comment(6) | TrackBack(0) | 八上姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月03日

平家と源氏

 八上の山奥には平家の落ち武者伝説がいくつか伝わっています。八頭町姫路は安徳天皇とその従者たちの伝承が残っていますし、現在兵庫県との県境近くの若桜町の落折(おちおれ)集落は全戸が平家という苗字を持つ珍しい集落として有名です。筆者は連休最初の探索地としてこの平家集落を訪れました。
 ここには多くの中学の国語教科書で登場する「敦盛の最期」、その平敦盛の実父、平経盛(たいらのつねもり)の一行の隠れ棲んだといわれる洞窟跡や平経盛以下18名の従者が眠る墓所があるのです。
 同じく集落内には当初は自らの出自を平氏であると悟られないように、社を藤原神社として祀っていたようです。
 社は、国道29号線から程近い小山の頂上にあります。
 驚いたことに、その小さな社殿の扉には大二という文字と、主の神のシンボルマークである丸に点を象ったマークがつけられていました。大二とはなにを意味するのか、わからないので、地元の方にお聞きすると、特に意味はないようだ、という返事がかえって来ました。
 筆者はそこで、思い当たることを考えました。主(す)の神を示すマークのすぐ隣の大二とは同じく、根源神を示すものとして、伊勢神宮で使われている太一であるだろうことが頭に浮かんできました。太一を縦に書いたときに、太の点がずれると下の一と一緒になって二という漢字になり、同じく上の字は大という文字になってしまったのではないかと推測されます。

 すなわち、平家、平経盛ご一行が、伊勢信仰を正確に根源神信仰であるととらえていた可能性が大きく、すでに、そのすぐ後に登場する鎌倉時代の伊勢神道と同一の神道観を持っていたであろうことをうかがわせます。
 また、地元の方のお話によれば、平経盛一行は賀露港より千代川をずっと遡上して、この地にたどり着いたらしいということなのですが、それだけではなぜ、八上を選ばれたのかは理由がわかりません。ここでも、ひょっとすると八上の白兎が何らかのお導きをされたのかもしれません。
 
 一方、反対勢力である源氏の源範頼もなぜか、伊豆の修善寺より八上の、しかも白兎と縁深い霊石山へ逃れ、そこで僧として身を隠します。
 源氏であろうと、平家であろうと、訳ありながらも逃げ延びてきた人々を温かく匿い、、迎え入れていったのが八上の人々の懐の深さではなかろうかと推測します。

 八上では宇宙根源神=主の神、造化三神、神世七代(国常立命〜イザナギイザナミ)をすべて祀っていることになります。

平家 崇敬神 シンボル
posted by yakamihakuto at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 若桜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

因幡万葉歴史館

 因幡万葉歴史館は、因幡国の国主として赴任した大伴家持が万葉集最後を飾る歌をこの因幡の地で詠んだことを記念して平成になって作られた記念館です。(ちなみにこの歌を最後に大伴家持は一切歌を詠まなくなります。そこには藤原氏との確執があったとも想像されます。)
 そこにある庭には、万葉集の和歌に登場する木々や植物が植えられています。その中に、あのシラカシが植樹され、その根元には、万葉集10巻柿本人麻呂の編集した詠み人知らずの歌、
 足引きの山路も知らず
    しらかしの枝もとををに
          雪のふれれば
 が紹介されていました。
 もちろん、この和歌の類似の
 
 あしひきのやまへはゆかじ
    しらかしのすえもたははに
          ゆきのふれしば
 が八上の若桜町舂米に、天照大神の御製として伝わっていたという事実は紹介されていません。
 しかし、これは一つの驚きです。シンクロニシティーといいましょうか。実に不思議です。
 万葉集は、約4500首もの和歌が収められていますが、その中には詠み人知らずの歌も多く、もし、文字が存在していなかったとするなら、どのようにそれらの歌が伝えられてきたのか、疑問な点もあります。

 筆者は以前にも述べましたが、万葉集の中の詠み人知らずの和歌のなかには、神々の詠まれた和歌が多く含まれているものと思います。和歌は、政治と密接な関係を持っていた、という事実からもこのことは妥当ではないかと思います。 特にシラカシという言葉は、政治の舞台と大変重要な関連を持つものとして使用されてきたように思います。
 奈良県にはシラカシに因む地名が比較的多く見られるのはこのためであると思われます。
 奈良と八上の類似性に気づいておられる石破教授や、郷土史研究家の新誠さんの見解とも一致するものと思われます。


posted by yakamihakuto at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 国府町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

犬山神社

  鳥取市(旧八頭郡)用瀬町にある犬山神社に参拝しました。こちらは国道53号線、あのスーパーはくとの通過する因美線のすぐ近くにある小高い山の頂上に社殿が鎮座しています。ここは、珍しくも大己貴命がアシハラノシコヲノミコト、という祭神名で祀られています。
 
 宮司様からお話をお聞きしました。するとこちらには八上姫も祀られているそうです。以下は犬山神社の宮司様のお話です。メモを取っておらず、若干不正確になっているところがありはしないかと少々不安ですが、ご紹介します。また、近い将来、正確にお話を書きとめるつもりでいます。
「八上姫は安蔵長者の娘として生まれ、この犬山神社に大己貴命としばらくお住まいになったそうです。その後、出雲へ向かうときにやはり正妻を怖れて、売沼神社のある河原町曳田で八上姫と別れ、二神の間にすでに宿っていた御子神、御井の神を河原町高福の黒木神社の地でお産みになり、朽ちた桜の木にできた穴においておかれたそうです。それを見た地元の民が、これは恐れ多いこととして、御子神を大切に育てられたということです。」
 にわかに信じがたいお話です。(シェーッという感じです。)
 智頭郡であるのに、八上姫と呼ばれていることは、その昔、智頭郡が八上の一部であったことを示すのでしょうか。
 八上姫は大己貴命とともに、出雲へ向かわれて、そこで、御井の神を三井神社でお産みになって、御井の神を木の俣においたまま、一人、ふるさとへお帰りになった、という出雲の地元の伝承と矛盾してきます。
 また、八上姫はこの八頭郡から一歩も出ておられないようで、御井の神をお産みになって、どういう理由でかわかりませんが、その後お育てしていないこと、などが疑問点として残ります。また、拝殿上部に設置された由緒書きには祭神名として八上姫が上げられていないことなど、八上姫に対する扱いが一貫していないところが気になります。
 しかし、八上姫の何らかの伝承を多少不正確さも交えながらも残しているものとして、軽く見てはいけないものであるといえるでしょう。
 

posted by yakamihakuto at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 八上姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

酒賀神社

 この連休を利用して、筆者は今まで行くことのできていなかっ寺社や観光施設を精力的に回ってきました。
 その結果、またもや驚くべき事実がいくつか浮かび上がってきました。
 その筆頭は鳥取市国府町菅野にある酒賀神社です。
ここは、主祭神が八上姫と大己貴命、そしてオオヤマズミノミコトです。
 そのすぐ近くの大石というところの大石神社には、なんと御井の神が祀られています。ところで、昔の人たちの道とは、尾根伝いの道もありました。下界は安全性の点から、交通を避けることもあったようです。このような話はほかの地域でも聞いたことがあります。今年5月に八頭町宮谷の賀茂神社の山に登りましたが、まさに山頂から尾根伝いに道が残っていました。
 この酒賀神社のある山を須賀山(すがやま)と呼ぶそうですが、尾根伝いに南へ行けばあの赤倉山、そして須賀の山(すがのせん)へと通じます。須賀の山は以前紹介したとおり、ソ(ス)サノヲノミコトとクシナダヒメの宮殿跡、御陵のあるとされるところです。北へ行けば、湯村温泉へとつながる蒲生峠、そのすぐ近くの御湯神社には大己貴命、八上姫、そして御井の神が祀られています。御湯神社は伊勢宮とも呼ばれている大変格式の高い神社です。ここにも廃寺跡が隣接していることから断言できます。また、峠の名前から、イナバノシロウサギに登場する蒲の穂綿もおのずと連想されます。
 これらの事実、他の関連の社との位置関係より、この酒賀神社の格式の高さを非常に強く感じました。
 

 社の壮大さにも参道の雰囲気にも驚きました。参道は杉並木で、あの三重県の伊勢神宮別宮滝原宮を思い起こさせる風情があります。
 そして、何よりも、ここの神社を守ってこられた長尾宮司家の当代宮司様がなんと50代目に当たるということです。
 これは驚きです。50代とは一世代を約30〜40年と計算して、約1500年前〜2000年前が初代となります。
 祭神は創建当初より八上姫と大己貴命だそうです。のちに扇ノ山の神、オオヤマズミノミコトを祀るようになったということです。
 筆者は、この長尾宮司家は八上姫の系統の方ではないかと、推測しました。
 また、個人的に驚くべきこととして、長尾宮司様のお話をお聞きすると、どうやら筆者の八上、大江谷の家系ともご縁があるようでした。シェーッ!

 
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2008年10月30日

箱根神社

 箱根神社 別荘地としても有名なこの地に古くからある箱根神社。その湖畔にある鳥居です。すばらしい景色です。できればここに永住したい気がします。
 箱根神社の祭神はニニギノミコト、コノハナサクヤヒメノミコト、ヒコホホデミノミコト、とどこかで、見たたことのあるような組み合わせです。
 そうです。八上の宮谷の賀茂神社です。もともとの主祭神はニニギノミコト、コノハナサクヤヒメ、ヒコホホデミノミコト、トヨタマヒメ、そしてニニギノミコトの別名別雷命です。
 ホツマによればここは天忍穂耳命の御陵にあたるところです。実際、富士山ろくの近くにはそれと関連するようにオシという響きを持つ地名が残っています。芦ノ湖の鳥居です。

箱根神社




















箱根神社2
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瀬織津姫と木花咲耶姫の御実家

 三島大社です。ホツマによれば、コノハナサクヤヒメと瀬織津姫は同じサクラウチの家系に当たり、どうやら、この三島大社のある場所が、その御住居だったようです。
 それにしても、静岡にある著名な神社はすべて徳川家の厚い信仰により、どれもすばらしい整備がなされています。神様もお喜びのことと思います。
 
三島大社
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2008年10月29日

八上姫の顕彰

 
 神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添う(御成敗式目:1232年)

 八上姫の本拠の候補地はどこか、というと、現在のところやはり一番は鳥取市河原町です。江戸時代以降明確に、八上姫を祀る賣沼神社があるからです。
 河原町では八上姫を町の象徴的存在として、アピールしています。
 八上姫は無論、八上を象徴する姫であり、八上全体で、大きくクロースアップしていける存在です。
 
 少し不思議なお話をします。神話時代の八上姫は、その後の歴史時代、ちょうど古事記編纂の時期に近い頃の八上采女として再び八上に誕生したととらえることはできないでしょうか。この八上姫は、安貴王との悲恋で知られていますが、どこか、神話時代の八上姫を彷彿とさせるようなお話です。
 実は、神話時代の神々のなかに転生された例があることがホツマには記されているのです。
 原初の神ともいえる国常立命がその後、豊受大神として活躍されたこと、スサノヲノミコトがヤマトタケ(ル)(明治以前はヤマトタケと記されていたそうです。)に転生されて、非常に似通った数奇な運命をたどったことなどです。ヤマトタケが女装して敵陣を油断させてみごとにしとめた話や、叢雲の剣を使って敵を倒したり、大蛇との因縁の対決があったり、など、不思議なくらい一致しています。そのほかにオロチ自身も転生した例も記されています。
 このようなことを前提にすると、先に述べたように、神話時代の八上姫と歴史時代の八上采女には並々ならぬ関連があるといえるかもしれません。
 すると、八上にかつてあった莫男(まくなむ)駅のあった辺りが神話時代、歴史時代ともに八上姫の住んでいた本拠といえるのではないでしょうか。以前紹介しましたが、郷土史家の三木薫氏は、莫男とは「男莫き(おとこなき)」(未亡人)がその由来であろうと推測されています。なぜ、そのような名前がここの駅につけられたのか、無論どちらの八上姫も、悲恋の後に独り身となったためでしょう。莫男とはずばり八上姫・八上采女を指し示す名称です。采女とは国魂を代表する国造の子女でした。即ち中央に出て行く八上采女は因幡国を代表する存在であり、神話時代の八上姫となんら変わらぬレベルにある人です。
 したがって八上姫の本拠はかつて莫男駅のあった辺りととらえられるのであり、その場所は、国中平野に当たります。そこは、すでに紹介しているとおり、霊石山東麓の八上の中心地で、全国最大規模の八上郡衙のあったところであり、白兎神社が3箇所もあるところなのです。最もその可能性の高い場所は、郡家ー私都、大御門ー八東ー若桜、船岡ー大江へと道の分かれる土師百井、石田百井の辺りではなかろうかと考えられます。石田百井といえば、以前井古で紹介したようにかつてそこに祭祀を司る巫女が居た可能性を持つ土地です。
また、野々宮神社のある下濃(しもの)と上野(かみ の)もその候補地として挙げられるかもしれません。なぜならば、祭祀を司る中でも特に、天照大神の祭祀を担う最高位の斎王のための社だからです。天照大神と密接な関連を持つ八上で、天照大神の祭祀を担う資格をもてるのは、野々宮神社で精進潔斎をした巫女のみとも考えられるからです。
 このようにみてくると、八頭町も八上姫を、白兎と並んで大いにクローズアップするべきところなのです。
 いや、八上姫(またはその化身であるシロウサギ)は、因幡の広域に祀られている神社があることから、因幡全体で顕彰していく大切な国神であるといえるでしょう。
 
 神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添う(御成敗式目)
 神を称えることがすなわち、自分たちの開運を導く基なのです。
 町おこしの精神の根本に持っておくべき大切な考えを鎌倉の北条泰時はみごとに説いていました。御成敗式目は、日本人ならその名を誰でも知っているものですが、その内容となると、ほとんど知られていません。筆者も、このたびの箱根神社参拝の折、境内にこの言葉が紹介されているのを見て初めて知ったというくらいのものです。
 日本全国津々浦々、神社がたくさんあります。これによって日本の国土は守られています。あたかも見えざる毛細血管のごとく、本当に日本の国土の隅から隅に至るまで、いきわたっています。これが日本を日本たらしめている根拠でしょう。強制的な神社合祀が実行される明治以前には全国に17万箇所ものお社があったそうです。合祀終了後も、現在まで10万社を超える神社が残っています。しかし、残っているとはいえ、日ごろ、十分に整備・管理されないで、その存続が危ぶまれているお社も少なくありません。このことと、町や村の衰退とは一定の関連があるのではないでしょうか。

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2008年10月26日

浅間大社

 静岡県富士宮市の浅間大社です。主祭神はもちろん、コノハナサクヤヒメノ命です。
 ホツマによれば、この浅間大社、もしくは、富士山周辺にある同名の浅間神社、または、浅間大社奥宮のいずれかにおいて、天照大神は旧暦の正月一日にお生まれになりました。
 


浅間大社
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瀬織戸神社

 静岡県三保の松原にある折戸(おりど)という所に鎮座売する瀬織戸神社の由緒書きによれば、「瀬織津姫は天照大神の第二王女である」とされています。瀬織津姫が天照大神の第二「皇女」(つまり天照大神の御子神)という意味で記されたとするのならば、由緒書きにもあるように弁天様と同じ神となります。
 しかし、天照大神の御子神は五男三女で、弁天様は本来イチキシマ姫のことを示します。
 瀬織津姫がいかなる神かがかき消されてしまい、記紀にものっていないことから、イチキシマ姫、と誤って認識されるようになったのであると思われます。
 それにしても、瀬織津姫の名にちなむ地名が残っているのは珍しいこと、すばらしいことです。


瀬織戸神社2



















瀬織戸由緒
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耳なし波兎

静岡県 草薙神社拝殿
 このたびは静岡、富士宮、箱根、厚木、三島で、主に天照大神、コノハナサクヤヒメ、オオヤマズミノミコト、ヤマトタケノミコト、オシホミミノ命に関連する神社を中心に旅行してきました。
 草薙神社はヤマトタケノミコトに因む神社ですが、おそらく江戸時代に流行した波兎をここでも社の再建のときに取り入れたのでしょう。
 耳がなくなっており、耳なし芳一ならぬ耳無し波兎になっていました。早く耳を取り戻してあげるとよいと思いました。

耳なし兎
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富士山

 八上の真東に位置する富士山です。八上の真西には、大山があります。
 このふもとのどこかで、天照大神はお生まれになり、富士山の真西の恵那山にその胞衣(えな)が埋められました。

JR三島駅ホームより眺めた富士山の雄姿です。

富士山


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2008年10月24日

イナバノシロウサギ神話 シンポジウムを開催!

 
八頭町にもあった!イナバノシロウサギ神話
 八神姫とイナバノシロウサギ
来る11月23日(日)午後1時30分より八頭町郡家公民館でイナバノシロウサギ神話シンポジウムが開催されます。主催は八頭町観光協会です。

 なんと驚くなかれ、この私め、白兎の小使いが講演をさせていただくことになりました。
 二部構成で、前半が、私の基調講演、「八上の白兎と神々の伝承の謎」と題して、旧八頭郡全体に残された伝承や遺跡の再認識をし、今までばらばらにされていたそれらのつながりを浮かび上がらせていきます。
 後半はコーディネーターとして、日本海新聞より石井記者をお招きしてのパネルディスカッションで、どんな話になるかは皆目見当がつきません。パネラーの一人はご存知、郷土史研究家の新誠さんです。こちらのほうが面白そうです。
 これで、3年連続で地元八頭町で、イナバノシロウサギの催しが開催されることになります。しかも今年は因幡でスローライフ学会や石破洋教授のいくつかの講演会も催されるなど、大賑わいです。いよいよです。
 次の兎年に向けて旧八頭郡全体、八頭町で大きなうねりができることを期待しております。
 


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2008年10月23日

山蔭神社

 八頭町西御門の通り谷の手前にある山蔭神社です。国道29号線からも鳥居は見えます。(筆者は小さい頃からこの神社へ行ってみたいと思っていました。)
ヤマカゲと読むのでしょう。鳥取県神社誌によれば、祭神はオオヤマズミノミコトです。 創立年代は不詳で、往古より山蔭大明神と呼ばれていたそうです。太平記に登場する神社で、「元弘三年後醍醐天皇が…山蔭の東に進ませ給ひし由記せり、山蔭は即ち当社の事なり。」と記されています。
 山陰「サンイン」とは音読みであり、元は「ヤマカゲ」であったろうと思われます。ちなみにホツマにもこの地方のことがヤマカゲとして登場しています。
 山陰地方に山蔭神社は果たして他にあるのでしょうか。他に無いとすれば、この地はやはり重要なところであったとはいえないでしょうか。このあたりにはかつて円入寺という大伽藍を持つ寺院もあり、ここと郡家殿の和多理神社に後醍醐天皇名和長年一行は行宮されました。当時の和多理神社の大川神主は出自は熊本であるそうです。旧八東町に阿蘇神社(本社は熊本)があることとあわせて注目に値することです。
 円入寺にて後醍醐天皇が大川神主をしてナギナミ二神を勧請して勅願されたその札は、今も和多理神社に保管されているそうです。

 

 

山蔭2


















山蔭1
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2008年10月14日

「田から」が「宝」に

 時々、聞くようになったことですが、宝という言葉はもともとは田からいろいろな作物ができて、人々の生活を潤すことが、その語源であるということです。実は、これはホツマに記されていることです。
御衣(ミハ)定(サダ)め剱名(ツルギナ)の紋(アヤ)23紋 11に記されています。
 同じ23紋の38,39にはツルギの語源も記されています。
 一方で筆者は、出雲国風土記と格闘しています。風土記では天穂日命の本拠地について野城神社が出ていますが、やや疑問の余地が無きにしも非ずですし、事代主命=クシ彦のことが一言も記されず、美保神社の祭神についても異なったことが記されています。古事記や日本書紀の出雲神話と大幅に内容が異なることはつとに有名ですが、それにしても、733年成立の出雲国風土記の記述がすべて正しいとも断定しがたいとも思われてきます。このあたりの最終判断はかなり慎重にすべきでしょう。(筆者は丹後の元伊勢を研究して以来、丹後国風土記において、あたかも豊受大神が羽衣天女であるかのごとくに記されていることから、風土記の信憑性に疑問を持っています。もちろん風土記すべてではありません。浦島伝承(特に出発の日時が雄略22年7月となっている点、これは宇治山田への遷宮出発と同時です。)と羽衣伝承は豊受大神の伝承をぼかす意図の下に作られた可能性を持っていると、推測しています。)
 また新たな研究課題が出てきました。いずれにせよ、出雲は式内社の数も周囲の国と比べて圧倒的に多く、したがって、神社祭神や由緒について、相当な改変が藤原氏の全盛期に、あるいは記紀編纂のタイミングとあわせて変えられた可能性があるのではないかと思えます。
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2008年10月09日

八上の白兎は神聖な神

 
 八上 ルネサンス Yakami Renaissance
 
 八上の白兎を象徴するイラストはすでに、拙著の中でも紹介していましたが、改めてブログ上でもご紹介いたしました。
 このイラストに象徴されるように、八上の白兎は、初めて八上においでになった天照大神を、行宮のためによりよい場所へと案内したのです。城光寺縁起、慈住寺記録に基づけば、このイラストのように天照大神の御衣の裾を銜(くわ)えて、霊石山頂の伊勢ヶ平(もちろん後世の呼称です。)まで案内しました。これが、八上の白兎伝承の核心です。そこには、ワニを騙して、などという話は介在しようがありません。八上における白兎は、より良き方向へ導く道案内の神であり、八上姫を含むその祭神の神社等から八上、因幡全土を守る守護神として意義付けて差し支えないでしょう。
 その意味で、古事記に記された稲羽の素菟とは、その描かれ方が大いに異なります。
 実際、稲羽の素菟がワニを騙したことに対して、素菟に対してあまりよい感情を抱かない地元の人もいるのを筆者は知っています。
 しかし、古事記神話は、海外のウサギ伝承をつなぎ合わせて、稲葉に伝わる本来の伝承をかき消して、創作されたものとしてとらえるのが妥当です。したがって、八上の人たちは、自信を持って白兎の神を誇りに思ってよいのです。そうであるが故に、今まで八上の地で、数千年にもわたって兎神を大切に祭ってきたのです。しかも、古事記神話では舞台(比定地)について異論が出ていますが、八上ではその舞台はそれぞれ明確であることもたいへん重要です。(伊勢が平、御冠岩、白兎神社、伊勢道、赤倉山、氷ノ越えなど。話は少しそれますが、中央中学校近くの寺山古墳は八上に今も在住している方の先祖の墓である、という言い伝えが残っていることもすごいことです。)
 今後、八上ではこのイラストのように描かれた兎神を町のあちらこちらに、数多く登場させてはいかがでしょうか。
 地元の神話伝承を大切に顕彰することは、郷土愛を深めることにつながります。私たちのレーゾンデートル(存在理由)を確認し、自信を深めていくことになります。
 そして、八上の白兎伝承は天照大神伝承と不可分であり、もちろん、大己貴命の八上来訪、八上姫伝承とも不可分なので、かつての八上郡、すなわち、旧八頭郡郡家町・船岡町・八東町・若桜町・智頭町、鳥取市の河原町・用瀬町・佐治町が結束して、この神話伝承の更なる顕彰を進めていかないと、話が断片的になり、その意義が薄れてしまいます。この点は大変重要です。

八上の白兎
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2008年10月02日

「因幡の白兎神話の謎 比較神話から読み解く」を読んで

「因幡の白兎神話の謎 比較神話から読み解く」は12名の研究者、学者の皆さんが執筆した論文を編纂した書です。
 その名のとおり世界の神話との比較から論じられたものが多くのせられています。
 私のような浅学のものには、少々難しい内容でした。比較的地元のことが詳しく論じられているものが読みやすいと思いました。金達寿氏の歴史観にも触れられており、筆者は懐かしさを感じました。
 イナバノシロウサギと一言でいえども、いろいろな視点からさまざまに論じることができるものであることを強く感じました。
 世界的に神話の内容に類似点が見られることはつとに知られていることですが、なぜこのような現象が起こったのか、そこを探ると面白そうです。
それにしても、世界各地に残る神話、その中で、現在もその神話に基づく神殿や遺跡があり、それらが今もなお、信仰の対象となっているのは日本の神話くらいのものではないでしょうか。
 日本の神話の生命力の強さを感じます。
 八上に伝わる天照大神を道案内した白兎伝承は、絶妙なストリー性のあるものではなく、この本には記載されていませんが、逆に、それは固有のもの、であることがわかります。
 誰も指摘していませんが、八上のシロウサギは騙したりすることは一切ありません。本来の純粋無垢で尊いシロウサギの神です。それは、石破教授が主張されているようにシロウサギ=八上姫の化身、八上姫の評判とも完全に一致します。
 
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2008年09月28日

ブクログ



 世の中、どんどん便利になってきています。このような広告用の貼り付けも知らぬ間に作成されていました。ありがたいことです。
 拙著をお読みになった皆様、どしどしレビューをお書きください。
posted by yakamihakuto at 07:42| Comment(2) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月27日

因幡の白兎神話の謎 比較神話から読み解く

  なんと知らぬ間に、『因幡の白兎神話の謎 比較神話から読み解く』という本が今年5月に出版されていました。本日、ネットで検索していたところ、偶然発見しました。
 編者は鳥取大学の門田教授です。早速筆者もネット書店で注文しました。また読後にご紹介します。
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2008年09月21日

蒜山高原の天の真名井

 蒜山高原にも天の真名井がありました。
 どうして蒜山高原には古事記神話に比定されるような地名が集中して残っているのでしょうか。不思議です。中にはおろち(大蛇)という地名もあります。

蒜山天の真名井

























posted by yakamihakuto at 20:30| Comment(2) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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