2008年09月17日

大山

 大山の北壁と南壁は峻厳な岩肌をむきだしにしていながら、北西方面からの眺めは、まるで富士山のようです。天の真名井はこの大山の伏流水で、大山に降り注いだ雨が、数百年間の時を経て地下水路を通って湧き出ているのです。その一つが先日紹介した天の真名井です。
 最近、宮崎の東国原知事のおかげもあっていっそう注目を浴びている日向高千穂。ここの天の岩戸神社を訪れて、インスパイアされたそうです。筆者もここを数年前に訪れたときに、ここで写真を撮影しましたが、不思議な光が写っていました。高千穂はパワースポットとしても有名になりました。ここはニニギノミコトの崩御の地です。富士山のコノハナサクヤヒメと向かい合っているのです。ホツマによればコノハナサクヤヒメは瀬織津姫と同じ家系のご出身です。町全体に神々しい雰囲気が漂っていました。筆者の惹かれる地には真名井=マナイという名前のつくところが多いようです。
 高千穂と富士山の関係を紹介しましたが、富士山と大山はほぼ同一緯度にあります。その間に元伊勢があり、八上があり、八上では白兎神社のみならず、瀬織津姫、天照大神と関連するお社や神蹟があり、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメを祀る賀茂神社(宮谷)があります。
 大山のふもとには高千穂という地名が残っています。不思議です。

大山 伯耆富士
















大山南壁


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2008年09月16日

八上に注目が

 このところ因幡、八上に脚光が浴びせられつつあるようです。8月にはスローライフの催しがありました。
 9月にはいると、八上出身の石破茂氏の総裁選出馬で八頭町が有名になりつつあります。
 ブログでも記しましたが、八上は神話時代より著名な政治家と縁のあるところのようです。その伝統が今も受け継がれているのかも知れません。
 
 追記:七瀬ふたたびの主人公を演じる鳥取市出身の蓮仏美沙子さん(蓮佛美沙子さん)もその名からすると、八上ルーツかもしれません。
 
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2008年09月04日

天の真名井

 案内板「天の真名井
この泉は、米子市淀江町大字高井谷泉川にあり、「天の真名井」と呼んでいます。「天の真名井」とは、「古事記」「日本書紀」において、高天原の「神聖な井戸」を意味し、神聖な水につけられる最高位の敬称です。
高井谷の氏神である下津守神社の古棟札にも、「天乃真名井乃清久潔急幾与 元水於降玉布」と古くから記されております。 その湧水量は、一日二千五百トンに及び、夏は冷たく、冬は温かく、実に味わい深い天然水で、今は、地元の水道水源としても使われています。
この「天の真名井」 泉川の下流の宇田川平野には、弥生時代の角田遺跡があり、すでに二千年もの昔から、人々の生活と耕作の水源として大切にされてきたことを物語っております。
昭和19年に完成した「昭和用水」の水源もこの清水です。文字どおり、郷土の文化と産業を興し、歴史を築いた清水であり、地元「高井谷集落」では、四季折々に、「底ざらえ」をして、水神を祭り、今も古代そのままの神聖な域として、その姿を保っています。」
 なお、このほか淀江町内には、佐奈徐(さなめ)の泉、三泉(西原)・田井の沼(たいのかま)(福井)・本宮の泉(本宮・因伯の泉)・湯口(いぐい)の泉、馬那良シ(ままならシ)(稲吉)・熊谷(くまだに)水源(福岡)など山麓の各所に昔から豊富な清水がこんこんと湧き出しております。
 
 天の真名井の水は、飲んだ人なら誰でも感じると思いますが、本当に体が喜んでいる神聖な水です。おいしい水です。
 大山の伏流水の一部は少し前から商品化されるようになりました。サントリーが今年から奥大山の水を商品化していますが、一昔前は、確かグリコが高原の岩清水という名で製品化し、コンビニなどでも売られていました。今でも売られているのでしょうか。
 天の真名井の湧き水の出所は、知らないと間違ってしまいます。川の上流から流れてくる水ではなく、よく見ると、川の上流に向かって右側の岸の下から川の水に合流している緩やかな流れがあります。こちらが、本物の天の真名井の水です。ちゃんと看板でもあればよいと思うのですが。ネットで変わった航空写真を発見しました。

天の真名井
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2008年09月02日

日下部

 ほかの地域がどうであるかをしっかり調べていないので、断定はできないのかもしれませんが、以前から指摘しているように八上には、皇室由来の氏族の末裔が多いのではないかと思われます。それが地名となって残っているものの一つに旧八東町に日下部(くさかべ)があります。日下部氏は開化天皇とつながりのある氏族とされています。開化天皇陵は現在の奈良市の市街地のど真ん中にありますが、行ってみると騒然とした街中にこんな静謐の地があるのか、と驚いてしまいました。
 実は、開化天皇は丹後地方ともつながりがあるようです。また、開化天皇を主祭神とする神社が丹波の亀岡市の穴太(あのう)というところにあります。ここは大本の出口王仁三郎氏の出身地でもあり、同時に、丹後元伊勢の豊受大神が伊勢山田へ遷宮の際、途中でお留まりになったということが地名由来となっているところなのです。
 以前紹介しましたが、浦島太郎の祖、日下部氏が月読命の末裔である、という説が丹後の浦島神社に伝わっています。亀岡も月読命と関連のある地名や神社が残っており、何かつながってきそうです。
 上と下にわかれる日下部にはそれぞれ神社があります。日下部神社には氏族の先祖神、日下皇子が神功皇后、応神天皇と共に祀られています。由緒書きが拝殿にあったので、神社の祭神がわかりました。
 上日下部神社では天穂日命が祀られています。こちらは鳥取県神社誌や八東町誌などで、祭神名を知ることができますが、現地に行っても由緒書きはないのでわかりません。
 普段は村の人でさえ訪れないところですが、村の起源を物語る大切なお社です。どちらも、他の地域でもほぼ同様ですが、村の一番奥にあり、見つけ出すのに少々苦労しました。

上日下部神社























日下部神社
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2008年08月13日

美保神社の波兎

 美保神社に久々に参拝しました。
 主祭神は事代主命と三穂津姫命です。
 ホツマによれば、事代主命は初代大物主=大己貴命の御子神で、国譲りを承諾した神です。実は西宮神社の祭神でもあり、美保神社は実は、恵比寿神(元は「笑みす」神)の本拠です。大物主二代目で、その御子神、子守神=三穂彦が三代目の大物主、したがって、この三代で、大神神社が三輪明神と称するようになったことがわかります。大物主、事代主、とは役職名であることもわかります。
(ところで古事記には大神神社祭神は以下のように記されています。
  大国主命の幸霊 奇霊
  大国御魂神 韓神 曾富理神 向日神 聖神
 なぜ三輪、という名前が発祥したのかはこれでは不明です。また、大神神社の由緒書にも韓神 曾富理神 向日神 聖神については触れられていません。現在の大神神社の摂社、末社にこれら四神は祀られていないようです。記紀編纂者の何らかの意図があったように思えます。)
 
 事代主命=奇彦(クシヒコ)は国譲りの後、青柴垣神事に示されているように、海中に没したのではなく、滋賀県湖西の万木(よろき)という所へ遷り、豊受大神がそこで研究されていた薬草などの研究を継承されます。その後、ニニギノミコトの元で大活躍をして、家屋建築などに才能を発揮し、後に大国主命と呼ばれるようになりました。そして、晩年には大和の三輪山で神上がられた、とあります。同じく大和の大和(おおやまと)神社で大和国魂神としても祀られました。
 高皇産霊命は、自分の娘である三穂津姫を奇彦に嫁がせました。これにより、美保神社で、事代主命(=奇彦)と三穂津姫が祀られているその縁起がはっきりとわかります。 
 大己貴命は先にも紹介したように国譲りの後、過去、スクナヒコミコトと全国行脚して民の生活を豊かにされたことなどが評価され、青森の岩木山に移り、その地を統治されます。その地で神上がった後に、元の出雲の地に天穂日命を祭主として祀られるようになったのが出雲大社の起源です。(これらは記紀ではまったく明らかにされていないことです。ホツマのこれらの記述を後世のまったくのでっち上げ、とみなすことは難しいのではないでしょうか。何の目的でここまで込み入った内容の作り話を記さなくてはならなかったのか、その必然性を筆者は想像できません。ホツマを偽書とみなす人はネット検索をすれば一目瞭然ですが、実に少数です。逆にホツマの内容は正しいのではないかとする見解のほうがいまや主流になりつつあることを肌で強く感じます。偽書説を取る人たちはすべて、記紀とのまともな比較をしないままで、内容の実地調査など一切していないことが共通しています。せいぜい、上代8母音説が偽書としての根拠とされているようですが、これとて明確な根拠があるわけではありません。かつて5母音であったものが、渡来人の影響によって一時的に8母音になった可能性が高いのです。現代英語においても母音の数は20にもなります。しかし文字としての母音字はaiueoの5つになってしまい、日本語の5母音と共通するのは単なる偶然でしょうか。
 つまり、ホツマが偽書であるか否かの検討は、いまだに手付かずの状態のままなのです。アカデミズムはこのような態度をずっと取り続けるつもりなのでしょうか。おそらく、このような姿勢のままでいるのならば、アカデミズムの学者は、早晩在野の研究者たちの研究成果の後塵を拝することとなるのは目に見えているように思えます。かたくなにホツマを無視しようとする態度には、歴史研究に何らかの圧力がかけられているとも思えてきます。) 
 
 美保神社境内の手水社の手前の参道脇には、上の部分が欠損した燈籠がありました。その燈籠の下部には二羽の波兎がほられていました。一羽は風化してわかりにくかったのですが、れっきとした波兎です。思わぬ収穫でした。

美保神社 灯篭 兎



















美保 兎 2
posted by yakamihakuto at 22:02| Comment(5) | TrackBack(0) | 波ウサギ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月09日

霊石山 伊勢が平(伊勢ヶ平)

 霊石山 伊勢ヶ平はすでに紹介しているように、天照大神がしばらく行宮された神蹟です。鳥取市河原町総合支所のウェブサイトに、昭和三十年代ごろの白黒の写真が紹介されています。
posted by yakamihakuto at 09:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 河原 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月08日

源氏物語の瀬織津姫

 今年は源氏物語が世に出て1000年目に当たります。筆者は、源氏物語など、高校時代には一切関心がなく、惜しくも先日亡くなった赤塚不二夫の漫画版の源氏物語(光源氏をあのシェー、のイヤミが、桐壺帝はバカボンのパパが演じるなど、赤塚漫画のキャラクター総動員の超豪華キャストで、華麗なる王朝絵巻が描かれています。)を手にして、少しストーリーの概要がわかってきた程度のものだったのですが、ここへきて、瀬織津姫が橋姫として登場していることを知り、もう少し深く内容を知りたくなったところです。
 光源氏亡き後の、宇治十帖(第45帖)の「橋姫」では橋姫にちなむ和歌が登場します。橋姫とは、宇治橋の西側に祀られている橋姫神社に因みますが、祭神は瀬織津姫です。源氏物語にはもちろんこの神名は記されていません。宇治はもともと菟道という漢字が当てられており、兎とも関連のある地です。藤原氏がこの地に別荘を建てて以降は藤原氏の拠点のようになったところです。
 ウィキペディアによれば源氏物語の橋姫以外に、嵯峨天皇の時代、すなわち、源氏物語が書かれる200年位前には、「橋姫は夫に裏切られて憎悪と殺意に駆られるあまり宇治川に身を浸し、生きながらにして鬼と化し、願いを成就させたと伝えられる女性。 丑の刻参り参照。 「宇治の橋姫」とも。  能面のひとつ。復讐に燃える怨霊の女の形相を象ったもの。」と、なにやらマイナスイメージを持たされてしまう存在として描かれているのです。
 しかし、源氏では 薫が詠んだ和歌「橋姫の心を汲みて高瀬さす棹のしづくに袖ぞ濡れぬる」が紹介され、橋姫へのマイナスイメージは微塵もありません。これはいったいどうしたことでしょう。竹取物語にせよ、伊勢物語にせよ、藤原氏を暗に批判する箇所が秘められているのはつとに有名で、源氏物語も藤原氏を批判したものではないか、という説もあります。「大鏡」などは藤原氏を揶揄した痛快な歴史物語としてあまりにも有名です。いずれの書も、実際の執筆者が明確にはされていないのも共通しています。

 紫式部もどのような人物であったかは実はあまり良く分かっていないそうです。
ただ、紫式部の墓所は、京都市上京区の紫野、島津製作所の隣にあります。そこに、反藤原で知られる小野篁(タカムラ)の墓と並んでいるのです。小野篁と紫式部では、生きていた時代が150〜200年近く離れていることも不思議です。生まれ変わり=輪廻転生思想とも関連するのでしょうか。「これは愛欲を描いた咎で地獄に落とされた式部を、篁が閻魔大王にとりなしたという伝説に基づくものである。」という説もあります。
 しかし、筆者はむしろ、これまでのさまざまな考察から推察して、おそらく藤原氏によって作り上げられた、橋姫への恐怖のイメージを払拭した功労者、と評価します。
 紫式部は、宇治十帖に、何等かの意図を持って、瀬織津姫=橋姫を登場させたのでしょう。紫式部は、汚名を着せられた橋姫の名誉復権のために一筆書き上げたように思えてきます。
 また、筆者は中臣氏と藤原氏では瀬織津姫に対する扱いが異なるように思います。
 以下は筆者の推論です。藤原氏は、徹底して、瀬織津姫を悪の権化、にしようとしたのではないでしょうか。藤原氏の本拠であった宇治におけるこの橋姫の話はあまりにむごい内容です。一方で、中臣氏は昨年8月の記事「広田神社」でも紹介したように、大祓祝詞に瀬織津姫を登場させています。
 このことからも筆者は、藤原氏の系統と、それに服従させられていた中臣氏とは明確に区別した方が良いように思われます。

 

 橋姫の帖には、単なる偶然かもしれませんが、八の宮という、光源氏の腹違いの兄弟が登場します。(3の倍数ではなく?)八、という数字に敏感になっている筆者には、すぐに天照大神との関連が思い浮かびます。単なる偶然でしょうか。桐壺帝の皇子は全部で十名ですが、主な人物は光源氏と朱雀帝、蛍兵部卿宮と八の宮なのです。しかも、この八の宮は橋姫の帖にしか登場しません。実にみごとに符合しています。
 紫式部の描く平安貴族の世界観では、神道の力ではもはや力が弱く、仏教に帰依することなくして、日本の神々も含めて、安寧は得られないという考えが主流となっていました。それゆえか、京の都(京都市)には、宮中も含め、天照大神を祭る神社はほとんどありません。その意味では先日紹介した祇園祭の岩戸山は貴重な存在、といえるのではないでしょうか。(三条蹴上近くの日ノ岡に京の伊勢神宮とも言われる古いお社=日向大神宮がありますが、ここでは、伊勢外宮の神として、天御中主神が祀られているのも特筆すべきことと思われます。伊勢神道との関連もあるのではないかと思われますが、詳細は今のところわかりません。しかもその位置は、伊勢と丹後の元伊勢を結ぶライン上です。)
 源氏物語には野宮の斎王のことも登場します。仏教的世界観が支配する平安の世において、伊勢神宮や神道にかかわる行事が描かれていることは非常に重要です。何しろ平安貴族の世界観では、仏教に帰依しなければ、来世はないものと思われていたのですから。
 長谷寺詣でのことも描かれていますが、この長谷寺には今年4月に紹介したように、天照大神の降臨伝承が伝わり、天照大神の男神像が鎮座しているところです。このように源氏物語では、神道の重要なことがらについて、ちゃんと要所要所に描かれているのは非常に意図されたものではないかと思われます。
 本地垂迹という説が、法華経または、天台宗あたりから発生して、福井の気比神宮や若狭彦神社に藤原氏が神宮寺を建立したことから、全国各地の著名な神社のそばに神宮寺が建立され、時代のイデオロギーとして、その後日本社会に根付いていきました。
 鎌倉時代に伊勢外宮から伊勢神道が発生したのも、このような背景があり、それに抗する意図が当然あったものと思われます。

 思い出しました!そういえば、八上ー因幡と非常に縁のある大スター、沢田研二が源氏物語の光源氏の役をしたことがあります。
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2008年08月05日

スローライフ イン八頭町

8月14日加筆

スローライフイン八頭町の催しの詳細が報告されています。パネラーの新さんからのお話によると、八頭町長も挨拶にこられ、史跡見学には40名近く、パネルディスカッションには60名くらいの方、参加されたそうです。今後の、八上の町おこしの大きなきっかけとなったと思います。
  その後、別のコメントも発見しました。そこには、民家の鏝絵の写真も紹介されています。

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2008年07月30日

松原 丹比の天照大神伝承

  大阪府松原市の丹比というところにも天照大神の伝承があるようです。八上にも旧八東町に丹比というところがあります。遡ればおそらく関連を見出せるでしょう
posted by yakamihakuto at 13:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 八東 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月28日

因幡薬師

 元は因幡に在った薬師如来の像が安置されています。台座は現在もなお、因幡高草の座光寺に安置されています。さきに紹介した岩戸山のすぐ近くであり、因幡薬師の隣は大江町という地名が残っています。

因幡薬師
























因幡薬師由緒
posted by yakamihakuto at 13:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 鳥取市 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月24日

驚くべきサイトが。

 驚くべきサイトをネット上で発見しました。月の光 という成田亨氏のサイトで、因幡の神社についても紹介されていますが、拙著からも引用されています。うれしい様な恥ずかしい様な気がします。
 このサイトでは筆者が全く気づいていない点についての指摘もいくつもあり、八上・因幡が特別な地である事が浮かび上がってきます。特に豊受大神と因幡の関係について、より深く推理されている点は筆者にとっても驚きです。筆者が神道に関心を持ちはじめたとき、最も惹かれた神が豊受大神であった理由がわかるような気がしました。豊受大神と因幡の関係は今まで、あまり注目されてこなかったことです。
 もっと、このような深遠な神々が作り上げた歴史的背景を認識しておく必要があるでしょう。
他にも風のメモワールというページサイトにも紹介いただいております。ありがとうございます。それぞれ基本的な考えなどのバックグラウンドはさまざまですが、それがまた良い点であると思います。
posted by yakamihakuto at 10:49| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月18日

スローライフイン鳥取 八頭分科会

スローライフイン鳥取の八頭分科会の紹介が掲載されている主催者側ホームページがありました。福本の白兎神社の写真も紹介されています。因幡のシロウサギも、ますますそのルーツが明らかにされそうです。

 郷土史研究家の新誠(あたらしまこと)さんもパネラーとして参加されます。 
皆さん、分科会に出かけましょう。
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2008年07月15日

祇園祭の天照大神と瀬織津姫命

 祇園祭 四条烏丸西入る 岩戸山の御神体、天照大神です。
 (偶然にもこの岩戸山のすぐ東に因幡由来の因幡堂があり、大江町という地名もあります。因幡ルーツの人たちが多くいたところなのでしょうか。)
 岩戸山保存会の方にお聞きしたところ、現在の像は、天明の大火で消失後、作られたものだそうです。おそらく当時の人たちも、それ以前より伝わるお姿で作られたのだと思います。

 祭りで男性ばかりだから、天照大神を男性にしたものだという説もあるようですが、太陽神は世界的にも多くは男性の神として認識されており、保存会の方も男神か女神かに疑問をお持ちでした。
 祇園祭の、特に山や鉾は地元の人々によって維持されてきたもので、民の祭りであるといえます。
 
天照大神御神像

















こちらは、明治期に、この岩戸山の模型が作られたようで、天照大神は凛々しい男性のお姿をしておられます。

天照大神御神像2














 




烏丸三条上る 鈴鹿山の瀬織津姫命です。現在、保存会はわずか12軒だけで、周りの企業の方が持ち回りでお世話をされているようです。
 こうして、天照大神と瀬織津姫は、あたかも七夕伝説と同じようにこの祇園祭のときに密かにそのご関係を表わしているといえるかもしれません。烏丸通を一条おいて、位置する男神天照大神と、瀬織津姫、真の事実を知っていた人々が、祇園祭に意図して2つの山を取り入れたのではないでしょうか。

瀬織津姫












 


 同じく岩戸山のご祭神、イザナギノミコトが現実離れした肌の色や形相であるのは、保存会の方のお話によると、この世とあの世を結ぶ神であることの象徴であるのではないかということでした。御子神である天照大神とあまりにかけ離れたお顔はどうしてか、という疑問が少し解けたようにも思いました。 


イザナギノミコト


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2008年07月13日

下鴨神社 井上社

下鴨神社境内本殿東隣にある井上社です。祭神は瀬織津姫命です。みたらし団子発祥の地といわれています。

井上社
















井上社由緒
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2008年07月09日

ホツマで解ける『砂の器』の謎?

 日本映画の不朽の名作といわれる『砂の器』では、事件解決の糸口として、東北弁と出雲弁の類似性がクロースアップされました。何故、このような類似性が生じたのかについての考察はなされていなかったようです。
 ところが、ホツマによれば、大国主命は、国譲りの後、東北の岩木山に遷ったことが記されています。それに対応するように、青森の岩木山にある岩木山神社の祭神は顕国玉神(ウツシクニタマノカミ)として大国主命が祀られているのです。名前の由来が国替えに基づくものであることがはっきりとわかります。
 大国主命の御子が181(180)人もいたのではなく、180人の従者を引き連れて出雲から岩木山へ遷ったというのが真相のようです。これが、出雲弁が東北弁と似通った発音となった根拠かもしれません。記紀ではこのようなことは一切わかりません。記紀神話がいかに貧弱であるかを、ホツマを知れば知るほど強く感じてきます。(もちろん、ホツマがすべて正しいとまでは断言はしておりません。)
 筆者が偶然、伊勢外宮の下御井社で出会った、あるホツマ研究家からお聞きした話によると、鹿児島の言葉と、東北のおそらく秋田だったと思いますが、そこの言葉とが似通っているそうなのです。実は縄文時代に桜島が大噴火をして、鹿児島の住人が東北へ遷ったという伝承があったそうです。方言をより緻密に研究するとよりさまざまなことがわかるかもしれません。
 
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2008年07月02日

ホツマ文字の効用!?

 今朝の朝刊にマキノ出版の『安心』という有名な健康雑誌の広告が出ていました。その中に「癒しの力を秘めた古代文字を発見! ホツマ文字を手足に書いたらひざ痛、腰痛が消えた うつ病、リュウマチが大改善 7kgやせた」とあるではありませんか。
 ホンマカイナ?という気がしますが、じつはホンマという言葉もホツマが語源ではないか、という説もあります。また、古文を学習された方なら皆さんご存知の真秀(まほ)という言葉ですが、真秀(まほ)と秀真(ほつま)は同じ言葉といっても良いのではないかと思います。 
 思わぬ方面からホツマのことが有名になるかもしれません。ホツマツタヱが発見された滋賀県高島市の市民会館では、既にほつま文字が刻まれた会館の石碑があります。
 ホツマホツマと八上の伝承の関連、および神話・古代史が『記紀』として書き換えられた理由等については以前も述べましたが、これがきっかけで日本の神代史・古代史の実相が広まるとよいのですが。
 
 『安心』を入手したら、また記事を足します。

と、書きましたが、やはり、関心のある方は是非、『安心』を入手してください。
 
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2008年06月29日

元伊勢内宮 七十八社

 元伊勢内宮の大林宮司に末社についてうかがいました。あいにくの梅雨空でしたが、逆にこれが、神秘的で荘厳な雰囲気を更に色濃くしていました。薄霧に包まれた内宮境内と、霞たなびく日室岳はかえって好天のときよりも神々しさを強く感じます。
 大林宮司は元伊勢について深く調べておられ、祭神についても「元伊勢内宮境内社一覧」として纏められ、筆者はその写しを頂戴しました。これには、御前社や参道のお社、昭和にはいってから新たに祭られた社もすべて含め、全86社が掲載されています。
 まず一番気になるのは、やはり、内宮本殿の真北に位置する荒祭神社でしたが、大林宮司は、「一覧」の中で、明確に瀬織津姫(皇大神の荒魂)と記載しています。
 本年最初の記事でも述べましたが、これは、伊勢神宮の正殿と荒祭宮との位置関係と同一です。大林宮司もそのことはご存知でした。そして、この七十八の末社の基本的位置は昔から大きくは変ってないようだ、とのことです。
 内宮本殿西側にある、社殿跡らしき遺構についてもお聞きしましたが、そこには以前、遷宮時のためのものと思われる社が二つあったらしい、ということです。
 あわせて、内宮の例大祭の日についてお聞きしました。古来より毎年、四月二十六日に行われているそうです。そのため、その祭りに合わせて内宮神楽殿に奉納されている天照大神の像(明治四十五年)も、再建された七十八の末社の奉納日(昭和五十二年)も四月二十六日の日付が記されているのです。
 舞鶴の大川神社が四月二十三日、天橋立の籠神社が同二十四日、加悦谷の諸神社が同二十五日、そして皇大神社が同二十六日、というふうに、農業が諸産業の中でも中心であったかつての時代には祭日が連続して並んでいたそうですが、大川神社や加悦谷では現在は諸事情に合わせて、ゴールデンウィーク中の祭日に例大祭の日を変更しているそうです。
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2008年06月27日

北野天神のなで牛像破壊に思う

 6月25日の菅原道真公の御誕生の日、またはその翌朝に京都市上京区の北野天満宮で、頭をなでると賢くなると言われる御影石製のなで牛の頭が割られるという事件が起こりました。
 菅原道真公は、丑年生まれで、丑の月の丑の日に亡くなり、牛車で御遺骸を運んでいたときに、牛がとどまったところに太宰府天満宮を創建した、というように、牛とは切っても切れない関係にあります。
 今回の件に限らず、時折、このような無差別な器物損壊事件が起きると、嘆かわしい気持ちになります。
 
 ふと思ったのですが、石造の牛もかわいそうですが、生身の牛も本来20年から30年近い寿命があるのに、日本では実際、5〜6年の寿命だそうです。約440万頭、日本の国内で飼育されている牛のほぼすべてが、天寿を全うすることなく、大半の人の目に触れることのない場所で、血を噴き出しながら首を切り落とされ、体を隅々まで切り刻まれて殺されているという事実があるのです。(教育、食育、マスメディア等によって一定の価値観が出来上がっているからなのでしょうか。破壊された石像には同情し、殺される肉牛には何の感情も持たないで、美味しい、美味しいと舌鼓を打つ私たちの感情も統制された中のものに過ぎないのかもしれません。この食肉解体の事実は俎上に載せられることはありません。実際、筆者もこの記事を書くことにためらいを感じるくらいです。)
 グルテンや、昨今注目を浴びているおからこんにゃくが、牛や豚、鶏、羊の身代わりになれば、いろいろな問題は一挙に解決できるはずなのですが…。(またまた日本ですごい発明がされたのではないかと思います。しかも大国主命と縁の深い岩木山の麓です。東北の一主婦の発明が地球環境を大きく好転させるかもしれません。)
 動物の愛護は突き詰めると、奥深いところへとつながりそうです。
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2008年06月15日

久々の伊勢参宮

 久々に伊勢両宮へ参宮してきました。
 八上の天照大神伝承についての調査を進めて以降、初めての参宮でしたが、筆者はなんとなく以前参拝していたときとはまた違った観点から神宮に接しているように思いました。
 
 第62回伊勢神宮遷宮を5年後にひかえて、次第に準備が進みつつある神宮です。さすがに前回の遷宮から15年目で、神殿は神寂びた味わいを出しています。一部の神殿の茅葺の屋根には草も生えたりしていますが、神宮ではそれら一切に手を加えないようです。
天武天皇の詔によって、遷宮を20年ごとに行うことが決められ、戦乱の世などを経て、一時的に中断を余儀なくされたこともあったものの、現在に至るまで日々の祭祀はもちろん、遷宮という一大事業が継承されていることは奇跡的なことです。
 その周期が20年であることにもうなずけます。
 神宮で使われた古材は、その後、全国各地のお社などで再利用されており、また、用材を切った後に出る木材の断片も神宮大麻やその他の神具の製作に使われており、実に無駄のない使われ方が徹底されています。
 そのような在り方に、現在問題となっている、循環型の物資の活用の基本理念が示されています。日本では本来昔から実践されてきたことです。
 外宮 古殿地
 平成25年にこの地に新しい正殿が建てられます。

外宮 古殿地












 神道五部書では天照大神の荒御魂は別名瀬織津姫命であり、西宮地名のもともとの由来である広田神社、その祭神と同じ神が祭られています。
 熱心な団体が神殿の前でご祈祷されていました。

内宮 荒祭宮











  心が洗われる五十鈴川です。

五十鈴川















 天の真名井は別名天の忍穂井(おしほい)とも呼ばれ、高天原から地上に降ろされた神水の湧き出るところです。
 八上姫の御子も御井の神です。何か関連することはないのでしょうか。日本海側にはかつて真名井信仰があったということを丹後一ノ宮の籠神社の神職の方から聞いたことがあります。
 島根、鳥取、丹後半島、舞鶴にかけて、確かに真名井の名のつく地名や湧き水の出るところ、神社が複数あります。昔はきれいな水のあるところにしか人は集落を作ることができませんでした。農産物も育ちません。

下御井神社

posted by yakamihakuto at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 瀬織津姫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月14日

スローライフ鳥取

 きたる8月1日〜3日にかけてスローライフジャパンの催しが鳥取で開催されるようです。
 2日の分科会の一つは八頭町で催されることになっており、そのテーマもまさにぴったりという感じです。
 「八頭(やず)分科会「歴史と環境」
会場:鳥取県八頭町
歴史上の物語や教え、また民俗・風俗のなかに、環境の大切さと社会のあり方を見出す。「白兎物語」などを題材にしながら、全国の伝説・昔話をスローライフの視点で見つめ直す。」と案内には記されています。
 期待できそうな予感がします。

posted by yakamihakuto at 10:14| Comment(2) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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